CCQの古いメンバーでMさんという方がおられます。
近年は仕事の関係でお茶会にも顔を見せられなくなりましたが、今年のはじめ久しぶりに会うことが出来ました。
Mさんのシトロエン歴は非常に古く、若い頃からずいぶん乗り継がれて、今もC5-3Lブレーク(X3)は現役とのこと。
広い視野と探求気質にあふれた趣味人で、ジャンルを問わず専門家はだしの知識と経験があり、メカに対する造詣でもクラブのトップクラスの一人であることは、彼を知る人ならまず異論はないはずです。
ハイドロも数多く乗り継がれているし、2CVはフランス製が買えた時代に新車からと、後年もう一台乗られており、私はこの方の存在にどれだけ助けられたかしれません。
1990年代は2CVもたくさんいて、何かというと集まって修理や整備をやってもらったものですが、その陣頭に最も多く立ったのはMさんでした。
しかしMさんにとって、クルマは数ある趣味のうちのひとつであって、幅広く同時進行的にあれこれかけもちで、しかもどれもが奥深いから、まあよく遊んだし、ピーク時は相当に濃密な付合いでした。(過去形で書いているのは、昔話としての過去形です。)
そんなMさんが、手許に残っている2CVのパーツを譲ってくださることになり、ショックアブソーバ、ブレーキパッド等々を持ってきてくださったのです。
本来なら取りに行くべきですが、バイクをBMWのR100RTに乗り換えたというのを聞き、個人的にBMWのバイクは若い頃から憧れだったからぜひ見てみたい!ということもあり、そのBMWで来るというのでそれは是非!ということになりました。
思った以上に大型で、とくに幅が広く、跨がってみると馬の背中のような頼もしさがあり、なにか圧倒的なものが身体に伝わってきます。これを乗りこなせたら、どこまでも行けるだろうし、装備も充実していて、隠し扉の内側にはオーディオ装置、カウル内にはヒーターまで備わるなど、まさに高級バイクでした。
あのお馴染みのマークも、バイクで見るとクルマ以上に特別な感じを覚えます。
エンジンは伝統の空冷水平対向2気筒ですが、2CVの開発時にBMWのモーターサイクル用エンジンを参考にしたという逸話もあり、ご無沙汰している間にシレッとこんなものを手に入れていようとは驚きでした。
Mさんは、2CV/ハイドロに精通しているのはもちろんですが、いわゆるシトロエン盲信派ではなく、いつも是々非々のスタンスでダメなところは容赦なくズバズバぶった斬るから、シトロエン愛どっぷりの人たちには多少刺激的かもしれませんが、その核心をついた意見は一聴に値するものがあります。
次にシトロエンを手に入れそうな気配はないのが残念ですが、「もしこの先シトロエンに乗るなら2CVですよ」という言葉が出たのは驚きでした。

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そんな2CVですが、有名なわりにシトロエン好きの中でも実は特異な立ち位置にあるモデルで、ハイドロはじめシトロエン全般が好きな人でも、内心では2CVにはさほど関心がない、、という人は少なくないと私は見ています。
〜というのも、何を隠そう、私自身が大昔はそっちの側の人間だったからで、何でも原始的なものとか、最低限とか、ガマンとか、簡素を尊ぶ自然派的なものがイヤで、快適で、洗練された、スタイリッシュなものに惹かれるタイプだから、そもそもクーラーさえないという一点だけでも興味をそそられる対象ではなかったのです。
若いころはスポーツカーもしくは高性能系のクルマが好きで、遅くて始めから負けたようなクルマに、味だの雰囲気だのと御託を並べているのはよほどのひねくれ屋か負け惜しみのように思われ、一種の欺瞞すら感じていたのですが、それがシトロエンを知るようになって価値観の大転換を遂げたのでした。
それでも、目が向くのは高速を疾走するCXとかSMとかで、じじむさい2CVなんぞ、まるで「out of 眼中」でした。実際乗せてもらっても、遅くて雑音ばかりの2CVは、視界に入ってもまともに見てはいなかったのです。
さらにいうと、クラブミーティングでも2CVの人たちは、いつもやけに笑顔で、寄ると触ると共通の話題で盛り上がり、そこには完結した世界があって、ダメなところさえ自慢のようでした。それは、居並ぶハイドロ車を前にしてもまったく臆するところがなく、むしろ進んで不便や苦難を楽しんでいるのが奇妙だけれど、決して偽りではないらしいのがいよいよ不気味に見えていました。
それがあるとき、知り合いを通じて2CVを15万円ぐらいで手放したい人がいるけど買いませんか?と言われ、そんな値段なら、ま、どんなものか話の種に少しの間だけでも乗ってみるか?という、いささか不遜で浅ましい興味もあって購入したのです。
クラブのおかげで運転操作ぐらいは覚えていたけれど、これがなんとミッションに難ありの代物で、シフトチェンジすると数回に一度は「ギャッ」という音がするから、すぐに工場入りとなり、結局バラして修理するハメに。
当時は、すっかり騙されたという気持ちでしたが、仲介者にクレームをつけることもできないし、安いからとろくに実車確認もせず安易に購入した自分にも責任があるというわけで、とりあえず修理に専念、ときに深夜まで工場に出向いて作業を見守るなどしながら、ともかく直って戻ってくることだけを念じるようになりました。
退院して普通に走れるようになったときは、そのことが素直にうれしくて、けっこう乗り回すようになり、必然的に2CVが発する独特の波長を呑み込めるようになり、それに沿って走らせるようになると一気に楽しさの扉が開いていきました。
エアコン依存症とも言って過言ではないこの私が、夏にはすだれを張り、うちわを使い、はたまた大胆な白とブルーの縞の生地を買ってきて、巻尺と新聞紙から型紙を起こしてシートカバーを作るなど、いつしか従来まったく知らなかった世界にどっぷり浸りこむようになっていたのです。
限られたパワーを駆使して、先を読みながらいかに上手く効率的に走らせられるか、こちらの知恵と技量を試されるようで、できるだけなめらかな曲線を描くように走らせるゲームに、えも言われぬ喜びと痛快があることを覚えたとき、ようやく巷間いわれる2CVの存在の意味がわかった気がしました。
しかし、そこに到達するにはずいぶん時間もかかり、私の場合、もし上記のようなきっかけがなかったら、ミシュランのビバンダムのように、シトロエンの歴史の中にある象徴的なマスコットとして見ているだけだっただろうと思います。
乗ってみてわかったことは、2CVにはシトロエンのほぼすべてが「原典」として圧縮されていることで、とくにDS以降のシトロエンの精神的本尊ともいうべきか、音楽でいうならバッハのようなものではないか?と思うときがあります。
音域は狭く、シンプルなようでいて、そこにはすべてのものが理に適って配置され、後の発展の基礎となっていますが、それを理屈でなしに、娯楽として走らせ享受する喜びははかりしれません。
2CVを走らせることは、常に先を読み、ここは3速のままか2速にダウンすべきか、速度がのると4速に入れる事さえ楽しみで、さらにハンドル操作から頼りないウインカー、エンジンの調子等々、走っている限りせっせと運転に打ち込む忙しさがあり、退屈しているヒマなどありません。
何というタイトルだったか、シトロエンの本に書かれていましたが、2CVのような最小限のものを人智で操るフランス人の精神的愉快は、後年では自転車競技やトライアスロンのようなものに引き継がれているのだそうで、なるほどなぁと思います。
私は運動系はからきしダメで、怠け者で、ちょっと歩くのさえ嫌なクチですが、それにしては子供の頃自転車には季節を問わずかなり根気強く乗っていたので、どこかに細い糸一本ぐらいそういう神経があって、それが今も2CVに乗らせているのかも、、、などと思ってみますが自分じゃよくわかりません。

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ボンネットを開いて、Mさんとあれこれやっていると、ふと30年前に戻ったような不思議な感触が蘇りますが、こうして昔も今も、傍らに立って作業を見守るだけに徹する他力本願な私でありますが、頼れる人に恵まれてきたのだから、まさにシトロな縁でありがたいことです。
ヘルメットを被りながら「2CVは偉大な車ですよ!」と独特の明朗なテノールでいいながら、BMWはフラットツインを轟かせるや、瞬く間に走り去って行きました。