それから-3

このところ少しずつ走ってみるようになり、最近の様子など。

エンジン調整、マフラー交換、ヒーターダクト類の締め付けなどを経て、とりあえず問題なく走ることができるまでに。
エンジンストールについては、先月のことでしたがT氏のご子息が所用で福岡にお出での際、「ちょっと見てみましょう」ということで我が家に立ち寄られました。

始動性はよく、ほとんど一発で掛かるのに、走行すると信号停止などでストンと止まってしまうのでアイドリングの調整かと思ったら、そちらには一切手を触れず、キャブ調整だけササッと手際よくされました。

慣れた感じでキャブ調整をされる様子。巨匠からよほど鍛えられた様子が伝わります。

これが適確だったようで、以来まったく止まる気配はなくなり、やはり長年扱い慣れた人はさすがです。

その後、マフラー交換という「大作業」を終えてようやく走り出したところですが、爽快な部分と困った部分、一長一短といったところでしょうか。

爽快なのは、ともかく理屈抜きに走って楽しいことで、運転そのものの喜びを満喫できます。
長いことMTから遠ざかり、安楽快適なAT車が当たり前になったことと引き換えに、運転そのもののダイレクトな楽しさの相当な部分を感覚として少しずつ忘れてしまっていたことに、あらためて気付かされました。

誰かの言葉によれば「車の運転はこの世で最も楽しい行為のひとつ」だそうで、それは充分に自覚しているつもりでしたが、実際は2CVにパチパチとほっぺたを叩かれて目が覚めた気がします。
のみならず、AT車は要するに楽でヒマなので、つい重箱の隅をつつくようにアラ探しみたいなことばかりやっている自分にも気づきました。

1本スポークのステアリングは、たしか真下に向いているはずですが、DS風に左斜めにされているあたりは巨匠のこだわりではないか?と思われます。

シートはGSと同じく本皮に張り替えられています。ほどよい滑りがあって乗り降りがスムーズです。横幅は狭いものの縦方向は余裕があり、一方ステアリングはかなり寝ています。

乗り心地の良さはやはり特筆すべきところがあります。
通常2CVに乗るということは、表面的には盛大なエンジン音やギアのノイズ、車体のいたるところから発せられる雑音の渦中に身を置き、駆動力のON/OFFにも大きく影響を受けるので、どうしてもそのあたりが目立ちますが、たまにうねりなどがあるとふわ〜んと路面をいなしていくのは、ハイドロと同様でなかなかのものです。

ゆるい下り坂などで、ニュートラルやクラッチを切って空走させると、シトロエン特有の浮遊感が顔を出してくるのは、う〜たまらん!という気になります。
この特定の条件だけでいうなら、我が家の車の中で、最も乗り心地のやわらかなクルマです。

ducaさんのご協力で苦心惨憺の末に交換できたマフラーが嬉しいです。

もちろん良いことばかりではなく、現代の気密性の高い洗練された車内空間に慣れていると、なにかと音はうるさいし、快適装備は皆無、エンジンから発せられる排ガスその他の匂いが鼻につくなど、ラクではない点があることも事実。

また、受け渡し直前に動かなくなったという燃料計は、乗っていれば何かの拍子に直るのでは?という淡い期待も虚しく、頑として動く気配はなく、これも今後の課題として残ったまま。

久々のイエローバルブのヘッドライト。

また当たり前ですが、センターロックなどとは無縁だから、すべてが手動、車を離れるとなるといちいち手間を要します。
それは仕方がないし、2CVがリモコンでパシャッとロックできるようでは、却って興ざめですが…。

片やC5-acではエンジンを切った瞬間ATはPになり、パーキングブレーキまでかかってしまうという親切ぶりだから、その差には激しいものがあります。
それでも、MTがこんなに痛快なものだったかと思うと、ラクなことと楽しいことは、まったくの別モノだということが歴然です。

最新のシトロエンのロゴマークの元になっている古いマークが、ブレーキとクラッチのペダルに。間にあるのはステアリングシャフト。

AT車のパドルシフトなどは、一向に楽しさがわからないからDレンジ以外まったく使わないのですが、やはり全身を使ってドライブに参加するMTは理屈抜きに面白く、どこかゲーム感覚でもあり少しも苦にならないのは不思議です。

すでにAT車にお乗りの方が大半を占める中、ひとりこんな気焔を吐くのもどうかとは思いつつ、まあ正直なところなのでお許しください。

なんとか動き出した2CV、…まずはこんなところです。

40年近くボディ左側を壁に寄せて保管されていたためか、塗装は左右で状態が異なっており、このようにマスキングをして夜な夜なせっせと磨きましたが、やはりポリッシャーがないと限界を感じます。
左のほうがはるかにきれいです。

4月はお茶会に乗って行こうと思っていましたが、あいにくの雨模様で断念しました。

むかしあるクラブ員の方が、見知らぬ人から「これV6ですか?」と尋ねられて大笑いしたというエンブレム。

天職

昨夜NHKで放送されたドキュメント『時をかけるテレビ 池上彰 プロフェッショナル 一徹に直す、兄弟の工場』が面白かったのでご紹介。

広島県の福山市に、神の手を持つといわれる自動車整備士のベテラン兄弟の修理工場があります。
2015年に放送されたもので、取材当時、兄弟は60〜70代ですが、現在も現役の由。

車種を問わず必ず直せる工場で、長州人特有の真面目で、仕事に深い矜持があり、手慣れた仕事に安住せず、常に新しいことへの勉強も怠りません。
業界専門誌を毎月13冊も楽しみに読んでいるとか!

外観は至って地味だけど、リフトは何台もあるし、地下も掘ってあるし、なによりあらゆる機材が所狭しと整っているのは驚くばかりで、おそらく出来ないことはないのでしょう。

儲けの多くを設備や道具にまわしているのだそうで、この兄弟にとってまさに天職。
あんな工場があればなぁ…と羨ましい限りです。

車種も内外新旧一切不問、軽自動車からフェラーリ、ダンプカーまで、なんでもござれ。
シトロエンもチラッと数秒間画面に映りました。

NHKプラスで見られますので、よかったらどうぞ。

GSのロアアーム・ブッシュ

無事に拙宅の車庫に収まったGSですが、登録に向けては課題がいくつか出てきました。
最初の問題は、右側のフロント・サスペンションからの異音とガタつきがひどく、車庫から動かすことができません。

原因特定のために分解してみると、ロアアーム・ブッシュが完全に崩壊していました。
ここはGSの弱点の一つだそうですが、引き取り時に、近年交換してあるとのことで安心していました。左側は異音もガタつきも無く、同時に交換してあるでしょうから不思議です。

ドライブシャフトを外して観察してみると、ケースが僅かに変形しています。中でジョイントが外れて暴れたのでしょうか。だとすると、ロアアームが通常よりも無理な動きを強いられ、ブッシュが崩壊したことも理解できなくはないです。

貼り合わせのインナージョイント・ケース、鉄板が薄くて華奢な造りです。こちらも要交換ですね。

修理すべきところが判ったので、部品をさがしてみましたが・・・、在庫切れでした。
前期型のロアアーム・ブッシュは世界的に欠品のようです。1個105ユーロ、4個必要なので420ユーロ、なかなかの値段ですね。

このまま、部品が出てくるのを待っていても仕方が無いので、思いついたことを試してみたいと思います。サイズぴったりのゴムホースを圧入したところ、ガタつきも異音もありません。これで、走行テストしてみます。

それから-2

ducaさんの多大なお力添えをいただき、数日間/十数時間を費やし、2CVのマフラー交換を完遂することができました。

2CVのエキゾースト系はフロントからリアにかけて4つに分かれていますが、最も腐食が進んでいるのは3番めのサイレンサー部分でした。
巨匠の手にある頃も何度か交換されたようですが、なにしろ38年という時を経ており、鉄製ゆえ錆もかなりあり、この際全部交換したほうが良いだろうとの判断に至りました。

単純な構造の2CVとはいえ、マフラー交換は初級編とは言い難く、いざ着手してみると次から次へと困難が押し寄せ、そのつど立ち止まりながらの粘り強い作業でした。

エンジンルーム内でマフラーを接合させる際の作業空間はきわめて限られており、さらにducaさんにとっては初見のクルマでもあることから、作業は探り探りのところも少なくありませんでした。

くわえて、私はしょせん持ったり押さえたりと補助的なことが中心になるので、ducaさんが主導的かつ果敢に作業をされたことはいうまでもありません。

この場を借りて、篤く御礼申し上げます。
以下、その様子をアップします。

大きな荷姿にしては、重さはさほどでもなく届きました。
中を開けたところ。もう少しきれいに整えたらよかったけれど、いざとなるとあたふたして写真をゆっくり撮る余裕もありませんでした。
持参された、ducaさんのツールボックスはさすがというべき充実ぶり。
とりあえず地面に落とされたフロントマフラー。
新旧のフロントマフラーを比べる。思ったより劣化は少なかったものの、その後ろはやはり交換して正解でした。
数日を経て、ついにマフラーが空中に釣り上げられたときは感動的でした。
リアまわり。
クランプの取り付けなどは、排気漏れなどの心配も少なくないため、かなりデリケートで難易度が高く、ついにはサイドのパネルを外すことに。
身をよじってひたすら作業に没頭されるducaさん。腰などを痛められないかヒヤヒヤでした。
薄汚れたエンジンルーム内に、にぶく光る新品マフラー。
おまけ。いささかウケ狙いの過ぎたダっサい写真ですが、2CVのトランクに写るducaさんのC5。


〜以上、クルマに対するducaさんの一途な情熱と、自分で作業をするという醍醐味の一端を感じることのできた貴重な体験でした。
試乗記などはまたあらためて。

3月関東地区ご報告

遅くなりましてすみません。

3月は通常のお茶会は休止として、茨城県笠間市の愛宕山というところでX(ツイッター)で告知のあった2代目C3にお乗りのやまねこカーライフさん主催のオフ会に参加してきました。
やまねこさんは2年ほど前にC3iiを購入され、故障がたくさんあったにもかかわらず投げ出すこともなく修理を完遂され、この度、最終形C5ツアラー(白)を増車されたので、そのお披露目でもありました。
現車は走行10万キロ超えとのことでしたが、前オーナーの手入れが良いらしくとても綺麗な内外装で、いい買い物されたなーと思いました。やまねこさんは仕事でもプライベートでも距離を走られる機会が多いそうで、お話を伺っているとC5ツアラーはまさに適役である感じでした。

CCQからの参加はKoさん、Naさん、Koさん、Kaさん、T夫妻と私の6台でした。Naさんは前日まで三重のご親族のところにお出かけになられてその翌日に栃木県経由でおいでになったそうで、まさにハイドロの威力発揮ですね。

↑事前集合した常磐自動車千代田PAにて。


そのほかの参加者はAX、C3初代と3代目各1台、DS3初代、C5の3型セダン各1台、その他プジョー数台でした。新しいハイドロのお迎えがハイドロ車でできたのはちょっと良かったですね。
会場は山頂の公園だったのですが、山腹の駐車場で一旦集合し、昼過ぎに山頂へ移動しました。

↑主催がお持ちになったドローンによる集合写真です。ハイドロずらり、、、

↑やまねこさんのツアラーです。最終型はダブルシェブロンだけでなくC5のフォントも違うんですね。知りませんでした。


愛宕山は関東平野の端に位置していて山頂からは霞ヶ浦が臨め、晴れていれば太平洋も見える様でした。当日はあいにく雪がちらつくもやのかかった曇天だったこともあり、霞ヶ浦がやっと、という感じでした。 
山頂のカフェでお昼を頂いた後、駐車場でおしゃべりして解散だったのですが、コーヒー好きな参加者は近くのやまねこさんのご案内で駅近くにある自家焙煎コーヒー屋さんに伺いました。CCQメンバーではコーヒーが苦手なTご夫妻を除き全員参加でした。

↑山頂のカフェとその眺め。晴れてたらさぞや、という感じでした。

コーヒー屋さんは焙煎がメインとのことでメニューはコーヒーとカフェオレだけというストロングスタイルでしたが、さすがに美味しくて都内だったら行列になりそうな感じでした。
幸い参加者が座る席はぎりぎりながらあったので、そちらで皆さん思い思いにお話に興じました。

↑民家を改装されたカフェだったのですが、ちゃんとデザインされたインテリアで、ゆったりできる空間になっていました。ちゃんとした喫茶店営業すればいいのに、と思うほどです。

私がお話しさせていただいたのはDS3にお乗りのひでゆきさんなのですが、一か月ほど前にGSブレークを入手されたそうで、現在不安なく乗れるように順次整備を予定しているとのことでした。オールドシトロエンの整備ができる工場も紹介され、今後そちらに健康診断を兼ねて入庫させるらしいです。


夕方に解散し、帰路に就いたのですが、常磐自動車道の上りはかなり渋滞していて時間調整を兼ねてサービスエリアで引き続き歓談されて帰られた方もいらっしゃったようです。
ご参加の皆様お疲れ様でした。

↑おまけですが、会場へ向かう利根川の橋で見かけた土手の菜の花。これだけも春を感じられますね。

↑↑ルノーエスパス3が止まってました。タイヤの空気だいぶ抜けてしまっている様で、不動車なのでしょうか、、勿体ない。。

ヘンタイ呼ばわり

「それから」にいただいたコメントの中に「強力な武闘派の方」という文言がありました。

私がシトロエンに入門した1980年代のシトロエンといえば、まさにハイドロニューマティック全盛の時代。
当時はクルマに対する人々の興味や憧れも今とはケタ違いに高く、月はじめの書店にはさまざまな自動車雑誌の新号が高々と積み上げられるのが普通の光景でした。

そんな時流に乗って、多くの自動車ジャーナリストは肩で風を切り、中には、こういっては失礼だけれど、あまり丁寧な情報収集もせぬまま安易な記事を書いてはお茶を濁していた人も相当いたようで、それでもどうにかなった大雑把な時代だったのでしょう。
そんな当時でさえシトロエンはやはり異端で、その真価に着目し、熱く語っていたのは唯一カーグラだけだったように思います。

で、シトロエンは諸事において独創的であったぶん、ちょっとした記事を書くにも勝手が違ったことでしょう。
とくにハイドロニューマティックにかかわる記述は彼らなりに気を遣ったことだと思いますが、その理解はなかなか一朝一夕にはいかなかったようで、2CVが前後関連懸架であることから、ハイドロも同様に思っていた人もわりにいたようです。

オイルが全身に張り巡らされ、ハンドルもブレーキも油圧で賄うから、前後のサスペンションも連携して作動しているかのようなイメージがあったのでしょう。
これ以外にもシトロエンには、他車とは知識の流用や使い回しのきかない要素が多く、それだけ自動車誌の間違った記述も頻発したようでした。

そこに憤然と反応し、そのつど論理的な説明をつけて間違いを正し、ときに噛みつくことも辞さない一派が台頭しはじめます。
とりわけ昔のシトロエン愛好家の中には、知的レベルの高い論理派、学者、医師、建築家など少なくなく、さらにはフランス語の堪能な方などもいるから海外の書籍から直接知識を得たり、実車を手ずからバラしては、その設計思想にじかに触れ、唸ったりおののいたりしながら、その解明に無常の喜びを見出す、私設研究所みたいなものが勃興します。

彼らは、そこで得た知識や経験を蓄積し、整理し、資料や文章にまとめ上げることさ喜々としてこなしますが、チャラチャラした自動車ジャーナリストたちにしてみれば、こんな得体のしれないインテリ連中が道場破りに押しかけられるのではたまったものではなかったでしょうし、その内容においてはしっかりした裏付けがとられているから反論の余地もない。

そのつどプライドを傷つけられる出版社や自動車ジャーナリストたちは、「シトロエン乗りはヘンタイで関わりたくない、理屈屋でいちいちうるさい連中!」というようなレッテル貼りに及んだようです。
いやしくもクルマのプロを標榜していながら自分たちの不勉強を棚に上げ、間違いを正す側をヘンタイ扱いして疎んじるとは言語道断ではありますが、彼らの気持ちもまったくわからないでもなかったりします。

これがトヨタやベンツのことなら大そうマズイと思ったでしょうが、べつにあってもなくても一向構わないシトロエンなんぞのささいな間違いなど、屁理屈で因縁をつけられるような感覚だったかもしれません。
この両者は、ほとんど価値観の相容れない同士だから、「あーうるさい!こっちは忙しいんだ!」というのがおそらく本音で、その執拗な指摘の前では、内容で太刀打ちできないから「あいつらはヘンタイ!」ということで苦笑するしかなかったのでしょう。

ではあるけれど、シトロエン側の人達も、べつにメディア攻撃が目的でやっているわけではなく、ディーラーの知識や技術も脆弱で頼りにならない中、ユーザー有志が立ち上がり、自分達で研究解明するという動きにつながったものと思われます。
結果的にシトロエンの斬新かつ独創的な設計理念を、知れば知るほど感銘を新たにし、ますます入れ込んで、研究の手が休まらなくなったのだろうと思います。

そんな彼らが、日本のエセ専門家のずさんで間違った記述を目にしたとき、まあ黙ってはいられなかったのも頷けます。
当時はネットもなく、自動車雑誌は唯一の情報源であり、執筆はプロの専門家なのだから、読者は紙面に書かれていることを信じて受け入れていたわけですから、そこに間違いを書かれたのでは当然困るわけで、その影響を考えれば、たしかに罪深いことではありますね。

ただ、武闘派の動きも過激化するにつれ、シトロエン愛好家の中でもいささか孤立的な存在になっていったのも事実で、一部にはそうでない普通の文民的ユーザー?のことを一段低く見るような傾向を帯びてきたのは、さすがにちょっと行き過ぎだったようです。
とはいえ物事に功罪両面あるのは世の常で、この武闘派のお歴々のおかげで、多くの正しい知識が広められ、整備や修理における実践の扉が開かれたことも事実でしょうから、先人の奮闘には一礼すべき価値はありそうです。

そして現在、かくいう私もCCQ内で武闘派と言って差し支えない御方のお力添えを得ながら、2CVのマフラー交換などが進んでいるわけですから、その恩恵に浴して感謝しているわけです…。

上記のお話には、添える写真もないので、わざわざ書くほどもないオマケを。
買い物でイオンに行ったら、レジ近くの床にはこんなものがペタペタ貼り付けてありました。
「こちらですよ」という意味なのはわかるけど、なーんか気になりました。

それから

車検証入れの中。80年代のなつかしいシトロエンの世界がムンムンです。

漱石のようなタイトルですが、2CVは、なんとか車検と登録を済ませて、ともかく我が家にやって来ました。

しかし、エンジンの調子も良いとは言い難く、信号停止でストール気味だし、ブレーキの効きもイマイチ、マフラーは長い放置期間が祟ったのかサビサビだったり。
一定の整備はやっていただいたようですが、ナンバーがないため試運転ができなかったこともあり、路上復帰にはもう少々かかりそうです。

いっぽう、心配していた運転については、10分も乗ると昔の感覚がスルスルと蘇ってきて、クラッチ操作も独特なシフトパターンも思いの外すんなりできたのはホッとしました。若いころにやったことは、やはり身体が覚えているんですね。

で、20年以上ぶりに2CVを自分のガレージに入れてみてまず驚いたことは、C5エアクロスとのあまりのボディサイズの違いで、これは想像以上でした。

全幅は185cmに対して、2CVはわずか148cmと37cmも狭いし、車輌重量は車検証によれば570kgとほぼ3分の1。
そんな小さなナリであるにもかかわらず、存在感は強烈で、フラミニオ・ベルトーニの造形は、どこから見ても破綻がなく完成されており、車ではあるがオブジェでもあると感じます。
でもオブジェと言っても、お高くとまったものではなく、見るなり人を笑わせる愛嬌にあふれたオブジェなのです。

納車された日の夕刻、近所をちょっと回ってみたら、いきなり近くの女子校の生徒の一団に出くわし、好奇の目と同時にキャキャキャッというかん高い奇声を浴びてしまいました。
今どきは、フェラーリやマクラーレンでもあまり人目は引かず、大抵は周囲も無関心だけれど、2CVは人の視線を向けさせることにかけてはあきらかに昔以上で、とくに赤黒のチャールストンは塗装も大げさで時代がかっており、これは相当な覚悟を要するなぁと思いました。

配線などが気になって、思い切り作業ができません。

まずはマフラーの交換が先決のようで、それについては比較的近くにお住まいのTさんが鋭意協力してくださるそうで、なんとも心強い限りです。
さしあたり自分でできることといったら、せいぜい掃除をするぐらいなので、黒い汚れがどんよりと堆積していたエンジンルームを、三夜にわたり1〜2時間ずつかけてせっせと磨いてみました。
これでも、かなりきれいになったのですが、掃除前の写真を撮っておくべきだったと後悔しているところ。

トランクには軍手やオイルフィルターなどいろいろ入ったケースがありましたが、それがなんとTINTINの2CV型であるのにびっくり。

それと、部品のオーソリティであるSさんが調べてくださったところでは、フランス/イギリスには2CV専門のパーツショップがあり、その品揃えたるや異様なほど充実しており、すべてのパーツを集めたら新車が一台出来あがるほどで、実際あちらではそうやって組み上げることで、新車を作って販売している例もあるとか。

C5/C6などで、パーツ調達にご苦労をされているのをいつも目の当たりにしているだけに、この点は本当に驚くしかありませんし、おまけに2CVのパーツはどれもお安いので非常に助かります。
将来に向けて本当に安心して乗れるシトロエンは2CVかもしれず、皆さんもおひとついかがですか?

おまけ。ガレージのビバンダムをまわれ右させて、2CVとの記念撮影。

お茶会報告

3月お茶会は長い入院生活から蘇ったC6が2台揃いました。
Aさんは夜中の2時過ぎだというのに、大分に向けて帰って行かれました。大分までは高速を使って2時間半だそうですが、C6での真夜中の別世界ドライブを楽しむことも目的で参加されたようで、別れ際、おだやかに「…朝日とともに帰ります」というあたりは、ハイドロ詩人に見えました!

まだ寒いにもかかわらず、車を前にすると身体をガタガタ震わせながら、ついつい話が止まりません。

考えたらほとんど並んだことのなかった、C6とC5ACで、これは!とばかりに記念撮影…

していると、前に止まっていたC6がスルスルとこちらに移動してきました。

なんだかんだと言いながら、やはりハイドロは駐車場の華ですね!
みなさんお疲れ様でした。

2CVを…

上の写真は1993年5月、CCQ二回目のミーティングを唐津の鏡山でおこなった時のもので、このとき巨匠は2CVでの初参加でした。右端が巨匠、後列左から二人目が私(みんな若い!)。
…この時から32年が経ったわけです。

早いもので、巨匠ことTさんが亡くなられて1年以上が過ぎました。
昨年のいつ頃だったか、ご子息より、残されたシトロエン(GSクラブと2CV)をクラブの方に譲りたいというお申し出があり、GSはすでにご案内の通りで、2CVのほうは私が譲っていただくことになりました。

同じく1993年7月、第4回のミーティングでは、雨だというのに自らクランク掛けを披露される巨匠。まわりは傘をさしかけるが、濡れた背中ににじむ情熱に注目。キャップはダブルシェブロンの模様入り。

いまさらという感じもあるけれど、巨匠のワンオーナーカーでもあり、これも最後のチャンスだろうと思ったことと、逆に、近頃のようにクルマがあまりにも複雑なハイテクまみれになってしまうと、むしろ2CVのようなプリミティブな車に戻ってホッとしてみたいような気分も湧いてきたこともありました。

秋ごろには引き取るつもりだったのが、腰のせいでそれどころではなくなり、これが思ったより長引いたたこともあって、とうとう先月下旬、車載車に乗せられて2CVのほうが福岡に来てくれたのです。

本来なら私が佐賀へ取りに行くべきところ、ナンバーが切られているため、整備後の試運転もななまらないようで、それに仮ナンバーを付けて大移動することに不安もありました。
数年眠っていた2CVをいきなり路上へ引き出し、[山越えルートで50km]もしくは[高速を使えば70km以上]を無事に走破して我が家へ連れ帰るだけの自信もないし、今の私はといえば、運転も長らくAT車に慣れ切ってクラッチ操作もおぼつかないだろうし、まだ腰の不安もあり、くわえてメカオンチゆえ途中で何事か起きれば万事休すです。

それを察してくださったのかどうかわかりませんが、「車載車を借りるツテがあるから、なんなら運びましょうか?」という耳を疑うようなご提案をいただき、この際、深謝しつつお言葉に甘えてしまいました。

〜で、図に乗るようだけれど、ナンバーがついていないのだから、どうせ積載車で動いてもらえるならばと、車検をお願いする工場まで足を伸ばしていただいたのです。

私をその気にさせたのは、ハイドロ同様に2CVとの生活には20年を経ていまだ忘れがたい、楽しい記憶が鮮明だったからです。
むろん素性の確かな巨匠の愛車というのも大きな理由でしたが、さらにはフランス製最終期の1987年の一台だったこともありました。

まさか、あの2CVを引き継ぐことになるとは思いませんでしたが、まったく妙な取り合わせとなる新旧シトロエン。地面に降りたところで、工場内を数メートル動かしてみましたが、いきなりプスンとエンストしました。

製造国といえば、現在のシトロエン/DSでは、モデルによって中国製であることが予めアナウンスされているぐらいだから、我がC5エアクロスも中国製の可能性が…と思っていたところ、2月のお茶会のときオーガニゼーションナンバーとやらを教えていただいたところ、果たしてフランス・レンヌ工場製ということがわかり、少しニンマリでした。

むろん、いまどきはどこ製でもべつにかまわないし、iPhoneだって中国製、タイヤやバッテリーもアジア製を受け容れており、それでどうとも思わないところまで認識はできているけれど、それでも心情としてはフランス製であるほうがちょっとは嬉しいわけです。

2CVはこれから車検・登録してナンバーを付ける予定で、またご報告します。

(左)フランス製の証『SaintGobain』製の窓ガラス。
(右)ボンネットは黒に塗り替えられており、ご子息は「オリジナルではなくなっている…」と仰せでしたが、私はさほどオリジナル至上主義ではないし、これはこれで黒い子猫みたいで悪くないと思いました。