それから

車検証入れの中。80年代のなつかしいシトロエンの世界がムンムンです。

漱石のようなタイトルですが、2CVは、なんとか車検と登録を済ませて、ともかく我が家にやって来ました。

しかし、エンジンの調子も良いとは言い難く、信号停止でストール気味だし、ブレーキの効きもイマイチ、マフラーは長い放置期間が祟ったのかサビサビだったり。
一定の整備はやっていただいたようですが、ナンバーがないため試運転ができなかったこともあり、路上復帰にはもう少々かかりそうです。

いっぽう、心配していた運転については、10分も乗ると昔の感覚がスルスルと蘇ってきて、クラッチ操作も独特なシフトパターンも思いの外すんなりできたのはホッとしました。若いころにやったことは、やはり身体が覚えているんですね。

で、20年以上ぶりに2CVを自分のガレージに入れてみてまず驚いたことは、C5エアクロスとのあまりのボディサイズの違いで、これは想像以上でした。

全幅は185cmに対して、2CVはわずか148cmと37cmも狭いし、車輌重量は車検証によれば570kgとほぼ3分の1。
そんな小さなナリであるにもかかわらず、存在感は強烈で、フラミニオ・ベルトーニの造形は、どこから見ても破綻がなく完成されており、車ではあるがオブジェでもあると感じます。
でもオブジェと言っても、お高くとまったものではなく、見るなり人を笑わせる愛嬌にあふれたオブジェなのです。

納車された日の夕刻、近所をちょっと回ってみたら、いきなり近くの女子校の生徒の一団に出くわし、好奇の目と同時にキャキャキャッというかん高い奇声を浴びてしまいました。
今どきは、フェラーリやマクラーレンでもあまり人目は引かず、大抵は周囲も無関心だけれど、2CVは人の視線を向けさせることにかけてはあきらかに昔以上で、とくに赤黒のチャールストンは塗装も大げさで時代がかっており、これは相当な覚悟を要するなぁと思いました。

配線などが気になって、思い切り作業ができません。

まずはマフラーの交換が先決のようで、それについては比較的近くにお住まいのTさんが鋭意協力してくださるそうで、なんとも心強い限りです。
さしあたり自分でできることといったら、せいぜい掃除をするぐらいなので、黒い汚れがどんよりと堆積していたエンジンルームを、三夜にわたり1〜2時間ずつかけてせっせと磨いてみました。
これでも、かなりきれいになったのですが、掃除前の写真を撮っておくべきだったと後悔しているところ。

トランクには軍手やオイルフィルターなどいろいろ入ったケースがありましたが、それがなんとTINTINの2CV型であるのにびっくり。

それと、部品のオーソリティであるSさんが調べてくださったところでは、フランス/イギリスには2CV専門のパーツショップがあり、その品揃えたるや異様なほど充実しており、すべてのパーツを集めたら新車が一台出来あがるほどで、実際あちらではそうやって組み上げることで、新車を作って販売している例もあるとか。

C5/C6などで、パーツ調達にご苦労をされているのをいつも目の当たりにしているだけに、この点は本当に驚くしかありませんし、おまけに2CVのパーツはどれもお安いので非常に助かります。
将来に向けて本当に安心して乗れるシトロエンは2CVかもしれず、皆さんもおひとついかがですか?

おまけ。ガレージのビバンダムをまわれ右させて、2CVとの記念撮影。

お茶会報告

3月お茶会は長い入院生活から蘇ったC6が2台揃いました。
Aさんは夜中の2時過ぎだというのに、大分に向けて帰って行かれました。大分までは高速を使って2時間半だそうですが、C6での真夜中の別世界ドライブを楽しむことも目的で参加されたようで、別れ際、おだやかに「…朝日とともに帰ります」というあたりは、ハイドロ詩人に見えました!

まだ寒いにもかかわらず、車を前にすると身体をガタガタ震わせながら、ついつい話が止まりません。

考えたらほとんど並んだことのなかった、C6とC5ACで、これは!とばかりに記念撮影…

していると、前に止まっていたC6がスルスルとこちらに移動してきました。

なんだかんだと言いながら、やはりハイドロは駐車場の華ですね!
みなさんお疲れ様でした。

2CVを…

上の写真は1993年5月、CCQ二回目のミーティングを唐津の鏡山でおこなった時のもので、このとき巨匠は2CVでの初参加でした。右端が巨匠、後列左から二人目が私(みんな若い!)。
…この時から32年が経ったわけです。

早いもので、巨匠ことTさんが亡くなられて1年以上が過ぎました。
昨年のいつ頃だったか、ご子息より、残されたシトロエン(GSクラブと2CV)をクラブの方に譲りたいというお申し出があり、GSはすでにご案内の通りで、2CVのほうは私が譲っていただくことになりました。

同じく1993年7月、第4回のミーティングでは、雨だというのに自らクランク掛けを披露される巨匠。まわりは傘をさしかけるが、濡れた背中ににじむ情熱に注目。キャップはダブルシェブロンの模様入り。

いまさらという感じもあるけれど、巨匠のワンオーナーカーでもあり、これも最後のチャンスだろうと思ったことと、逆に、近頃のようにクルマがあまりにも複雑なハイテクまみれになってしまうと、むしろ2CVのようなプリミティブな車に戻ってホッとしてみたいような気分も湧いてきたこともありました。

秋ごろには引き取るつもりだったのが、腰のせいでそれどころではなくなり、これが思ったより長引いたたこともあって、とうとう先月下旬、車載車に乗せられて2CVのほうが福岡に来てくれたのです。

本来なら私が佐賀へ取りに行くべきところ、ナンバーが切られているため、整備後の試運転もななまらないようで、それに仮ナンバーを付けて大移動することに不安もありました。
数年眠っていた2CVをいきなり路上へ引き出し、[山越えルートで50km]もしくは[高速を使えば70km以上]を無事に走破して我が家へ連れ帰るだけの自信もないし、今の私はといえば、運転も長らくAT車に慣れ切ってクラッチ操作もおぼつかないだろうし、まだ腰の不安もあり、くわえてメカオンチゆえ途中で何事か起きれば万事休すです。

それを察してくださったのかどうかわかりませんが、「車載車を借りるツテがあるから、なんなら運びましょうか?」という耳を疑うようなご提案をいただき、この際、深謝しつつお言葉に甘えてしまいました。

〜で、図に乗るようだけれど、ナンバーがついていないのだから、どうせ積載車で動いてもらえるならばと、車検をお願いする工場まで足を伸ばしていただいたのです。

私をその気にさせたのは、ハイドロ同様に2CVとの生活には20年を経ていまだ忘れがたい、楽しい記憶が鮮明だったからです。
むろん素性の確かな巨匠の愛車というのも大きな理由でしたが、さらにはフランス製最終期の1987年の一台だったこともありました。

まさか、あの2CVを引き継ぐことになるとは思いませんでしたが、まったく妙な取り合わせとなる新旧シトロエン。地面に降りたところで、工場内を数メートル動かしてみましたが、いきなりプスンとエンストしました。

製造国といえば、現在のシトロエン/DSでは、モデルによって中国製であることが予めアナウンスされているぐらいだから、我がC5エアクロスも中国製の可能性が…と思っていたところ、2月のお茶会のときオーガニゼーションナンバーとやらを教えていただいたところ、果たしてフランス・レンヌ工場製ということがわかり、少しニンマリでした。

むろん、いまどきはどこ製でもべつにかまわないし、iPhoneだって中国製、タイヤやバッテリーもアジア製を受け容れており、それでどうとも思わないところまで認識はできているけれど、それでも心情としてはフランス製であるほうがちょっとは嬉しいわけです。

2CVはこれから車検・登録してナンバーを付ける予定で、またご報告します。

(左)フランス製の証『SaintGobain』製の窓ガラス。
(右)ボンネットは黒に塗り替えられており、ご子息は「オリジナルではなくなっている…」と仰せでしたが、私はさほどオリジナル至上主義ではないし、これはこれで黒い子猫みたいで悪くないと思いました。

GSを引き継ぎました

1月31日にGSを引き取りに行ってきました。臨時ナンバーを借りて佐賀~熊本まで、約100kmを自走します。積載車での輸送も考えましたが、納車整備をしていただいた巨匠のご子息(整備士)のご意見を聞いて、自走可能と判断。登録を終えたXmの高速テストを兼ねて、友人と二人で引き取りに行きました。

古参の会員の皆様にはお馴染みの巨匠のGSです。2か月間、ご子息に整備をしていただきこの日を迎えました。お昼過ぎにご自宅に到着、レクチャーを受けエンジンを始動。ムクムクと車高が上がり、エンジンもすこぶる快調に回っています。これなら乗って帰れるだろうと一安心です。近所のお寿司屋さんで一緒に昼食を取って出発に備えます。

住み慣れた街をゆっくり走るGSの後ろ姿。すごく、街並みに馴染んでいました。

熊本まで一般道を約100km、無理をせず休憩を挟みながら、順調に走ってきました。

ところが、自宅に近づくにつれて足回りから異音が。ハンドルを切るたびにガクガク、ゴリゴリ、尋常じゃない音と振動です。これはヤバいと思いつつ、やっとの思いで、自宅の駐車場にたどり着きました。

右側のドライブシャフトかサスペンションに異常がありそうです。
これから、GSとの格闘の日々が始まります。

ロータリー

前回/前々回に続いて、エンジンにまつわる話を。

往時はフランス最大にして、国の威信をも背負う自動車メーカーにまで登りつめたシトロエン社ですが、フラッグシップには既存の4気筒OHVを排気量拡大を繰り返しながら、ついにはCX生産終了まで3世代を跨いで40年も使いまわしたという事実は、長寿というより唖然とさせられるものがあります。
DSの登場でエンジンも一新される計画もあったのに、ハイドロニューマティックがあまりに世間の注目を集め、エンジンにまで注意が廻らなかったのか、この点をすんなり乗りきったのはいいけれど、いらいシトロエンのエンジン開発に対する意欲はますます失われたのでしょうか。

長寿という点では2CV用フラットツインも同様ですが、稀に見る名機であったことと、2CV専用という趣で、これに代わる新エンジンの必要はなかったように思われるところが、少し事情が違うように思います。
デビュー当初はわずか375ccでスタート、その後425cc、さらにはアミ6への搭載に際して602ccまで拡大され、我々に最も馴染みのある2CV6は602ccエンジンとなり、モデル末期はこれが標準になります。(さらLNやVisaへの搭載にあたっては652ccまで拡大されている)

そういえば、むかし2CVに乗るメンバーから聞きましたが、リアの「2CV6」のエンブレムを見た人から「これ、V6なんですか?」と真顔で聞かれたそうで、笑いが止まらなかったとか。

GSのエンジンは新設計の空冷水平対向フラット4ということになっていますが、2CV用エンジンを2つ貼り合わせたもので、はじめは1015cc、後に1220となり、最後は1300となって、そこらが排気量アップの限界だったようです。
以前、2CVのエンジンを「ストレスなくよく回る故障知らずの名機」と評されていたと書きましたが、このGS用フラット4も同様にタービンのように良く回るとのこと。

しかし、以降、小型車用/フラッグシップ用いずれにおいても、これという新しいエンジンが出てくることは基本なかったようで、その裏には下記のような目論見も隠れていたのかも?ということが推察されるところ。

1960年代後半、当時の社長であるピエール・ベルコは、アンドレが打ち立てたシトロエンの社是である革新技術をもって再び世に打って出るべく、その切り札というのがロータリーエンジンだったようです。
ドイツのNSU(世界初のロータリーエンジン搭載車を作る)と技術提携して共同研究がなされ、GS/CXはロータリーエンジンの搭載も念頭に置いた設計だったというのですから、当時はかなりの強い意志と期待感をもって挑んでいたように思われます。
その研究の一環として、アミ8風2ドアボデイに、ハイドロニューマティック+ロータリーエンジンを組み合わせた「M35」が作られ特定のユーザーのみに販売された後、有名なGSビロトールの登場に至ります。

[M35]なんという露わ、放埓、懶惰、美醜判然としない強烈な造形!今でいうならブサカワ?

GSビロトールは本格的な生産化に近づけたモデルのようでしたが、実際には克服すべき未完成部分は積み残したままで、なによりロータリーエンジンで不可避の燃費の悪さが克服できなかったこと、さらにはオイル・ショックも追い打ちをかけ、SM同様プジョー経営陣の判断によって開発は志半ばで打ち切られます。
GSビロトールはシトロエン自身も失敗を認めたようで、可能な限り回収してスクラップにされたため、現在残る個体はそれを免れた貴重な生き残りといえ、回収を拒否する顧客に対しては、以降パーツの供給はできないことに同意する約束が交わされたとか。
私も20年ほど前にフレンチブルーミーティングで実車を見たのが最初で最後です。

[GSビロトール] 1973年秋からわずか15ヶ月、847台が生産された薄幸のモデル。前後フェンダーに僅かに付けられたフレアーがビロトールの証。買い戻されたビロトールは長年ラ・フェルテ・ヴィダムにしまい込まれ、スクラップにされたのは実に1986年だったというのも、なにやら奇怪な小説のようでそそられます。

ちなみにビロトールという名のビは2つという意味で、2ローターを表していたとか。
同じ時代、ロータリーエンジン搭載車では共同研究の相手であったドイツのNSUにはRo80という、きわめて斬新かつ異色な車がありましたが、これも大量に出回ることなく姿を消したようです。

ロータリーエンジンが実用に足るエンジンとなっていたら、シトロエンのドライブフィールは、より未来的で洗練されたものになっていただろうと思われますが、先進技術というものはモノにできなければ手痛い敗北が待っており、失敗のリスクをどう捉えるかが難しいところですね。
アンドレは、先進技術のためには失敗を恐れることを最も嫌ったそうですが、時代も下るにしたがって自動車業界は厳しさに拍車がかかり、失敗は企業にとって決して許されないことになり、クルマ社会もしだいに冒険やロマンを失っていったのかもしれません。

これは世の趨勢なので仕方がないことですが、シトロエンはハイドロニューマティックに象徴される、サスペンションやボディなど、動力以外の部分にこだわり抜いたという点で独創的で、他に例のない偉大なブランドとして自動車史に深く刻まれるのは間違いありません。

シトロエンだけでなく、フランス車全体がエンジンに関してはふるわなかった最大の理由は、技術の問題ではなく、前回書いたようにフランスの課税馬力という制度が大きく関係していたといまさらのように思います。
それがなければ、コンコルドで超音速飛行を支えたスネクマエンジンのように、フランス的な創意にあふれた魅力的なエンジンがいくつも誕生していたでしょうし、そこから枝が伸びて高級車やスポーツカーが数多く生まれていたことだろうと思います。

【補筆1】
NSU Ro80といえば少し話が逸れますが、アウディのマークである4リングは、4社統合の象徴であることは有名で、アウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーが集まってアウトウニオン(自動車会社の連合)となり、NSUも吸収合併されて少なくとも1970年代までは、アウディは正式には「アウディNSUアウトウニオン社」と称し、当時のヤナセのカタログにもそのように記されていました。
あの歴史的な名車とされる初代ゴルフ(1974年)のメカニズムは、1972年発表され翌年のCar of the yearに選出されて高い注目を集めていたアウディ80から多くを移し替えたものだったことは昔も今もタブーのように語られません。ゴルフに1年先行したパサートはアウディ80のファストバック版というだけだし、その前のK70もNSU Ro80のレシプロエンジン版をそっくり奪い取ってVWのマークをつけたもの。
当時のVWはまだビートルの呪縛から脱却できず、そのぶん先進技術でも新車開発の発想の面でも遅れていたようで、初代ゴルフはとうていVW単独では開発できた筈がないと私は思っています。その後アウディはVWと完全に合流しますが、シトロエンとともにロータリーエンジンを研究していたNSUも、VWというクジラの胃袋に呑み込まれて、いつしかその名声も消えてしまいます。

[NSU Ro80]この時代のドイツ車としては一線を画するようなやわらかいラインを纏ったボディは、どこかフランス的に見ようと思えば見えませんか? 70年代のドイツ車といえば、ビートルと911以外は武骨な直線づくしが当たり前だった中、ハイドロニューマティックが似合いそうなエレガントな雰囲気があり、まるでエンジン始動とともに車体がせり上り、ふわんとテールを沈ませながら加速していくように見えてしまいます(もちろんハイドロじゃありません)。そしてこのホイール、SMのオプションとして使われたミシュラン製カーボンファイバーのホイールに酷似しており、時代も一致していることから、もしや共用していたのでは?とも思われますが、まあ…それは考えすぎでしょうね。

【補筆2】
私ごとで恐縮ですが、むかし身内にひとりのフランス人がいたのですが、私が幼いころ日本にやってきて、東京で生活を始めて日本で最初に買った車が、発表されたばかりのマツダ・サバンナRX3でした。彼はこれがたいそうご自慢で、どこへ出かけるにも自分の車を使いたがり、それはもう喜々として乗っていました。
見た目が野良犬みたいで好みではなかったけれど、加速するたびにキューンキューンという甘い泣き声みたいな音を発しながら、きわめて滑らかにエンジンが回っているのは子供心にもなんとなくわかりました。彼はパリでは2CVに乗っていたそうで、いま思えば、当時のフランス人は我々が考える以上にロータリーエンジンに対する思い入れが強かったのかもしれません。「ドイツは敵の国!」といいながらドイツ音楽を愛し、メルセデスを軽蔑しながら崇拝もしていて、好みと評価と矛盾ということを同時期に覚えたような…。
NSUもシトロエンも成し遂げられなかったロータリーエンジンを、ともかく製品化し、長らく製造・販売していたマツダはその点において自動車史に足跡を刻んだのかもしれません。ヨーロッパでは我々の想像以上にマツダが評価されているという話の根底には、ロータリーエンジンでの実績があるのかなぁ?と思います。

1998年 Citroen Xm

1月に中古新規で車検を受けて、無事合格、晴れてナンバーが付きました。
1998年 Citroen Xm EXCLUSIVE ブルーモーリシャス です。
内外装は申し分なく、白濁しやすいモールもシルバーに輝いています。屋内駐車で大切にされていた個体であろうことが想像されます。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 26645_1-2-1024x768.jpg

昨年12月に登録する予定でしたが、車検の前日に下血を発見。やむなく車検はキャンセルしました。原因箇所はブレーキバルブで、右前輪の後ろにLHMが漏れていました。部品の到着を待って修理することになりました。

ここは、LHMがよく漏れる場所でゴムのキャップに穴が開いていました。ブレーキバルブの取り外しは、右ハンドルで良かったと思えるところ。左ハンドルは地獄です。
社外品が付いていたことで、2回目の交換と窺えます。今回は、運よく純正部品が入手出来ました。一緒にOリングとシールパイプも交換します。

これで、車両の購入から約1年かかりましたが、ようやく登録できるまでになりました。


以下、これまでに修理・改善した個所を記しておきます。
・リアサスペンション スフィア交換
・ATシフトレバー修理
・ドットマトリックス修理
・シフトポジション インジケーター修理
・LHMサクションホース交換
・セルカッチン対策
・フロントサスペンションブラケット突き抜け対策
・燃料ポンプ修理
・パーキングブレーキワイヤー抜け修理
・ヘッドライトLEDバルブ交換
・エキゾーストパイプ排気漏れ修理
・ブロアファン交換

1/14に熊本陸運支局で車検を受けて、無事に一発で合格、中古車新規登録できました。

今回の、Xm購入から路上復帰は、同好の士の協力、部品や情報の提供によって成し遂げられました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

2月関東お茶会ご報告

通常より1週間早めて関東お茶会を開催しましたのでご報告します。

今月は1月に引き続きいっちょう東松山店での開催となり、参加者はKoさん、Naさん、Kaさん、T夫妻と私であり、これまで皆勤賞だったNoさんがあいにくの体調不良で欠席されました。

参加車両は新旧C5が4台に加えてNaさんが雪対策もあって、普段の2cvやC5ではなく三菱のアイで参加されました。この車は私が気になっている車でもあり、興味深く拝見させて頂きました。

主な話題は千葉県にあるポルシェやコーンズが所有しているプライベートサーキットのことや終の車(終のシトロエン)でした。関東地方では技術的に有力とされてきていたシトロエン板橋とシトロエン千葉が昨年末をもって新車販売を行わないサービスポイントに格下げとなりました。販売店が減ると新しいシトロエンが買いにくくなりますし、電子制御のハイドロ車は部品の問題や技術力のある工場の減少により維持が難しくなりつつなってきました。こうした中、思い切ってクラッシックシトロエンに行くか、はたまた国産車か、、皆さん少しずつ考えはじめている様でした。

いっちょうは昨今の物価高騰の中でも相変わらずのコスパの良さですね。私たちが退店した21時過ぎでもまだお客さんが待ってました。

エンジンは苦手?

伝統的にフランス車は、その魅力においてエンジン性能に依存せず、サスペンションはじめ独自設計に凝るという傾向があるようで、ことにシトロエンはその急先鋒であるのはいうまでもありません。

フランスは資源国ではない背景と、エンジン出力による課税馬力という制度があるためか、必要最小限のパワーを駆使して痛快に走らせるのがフランス流のドライビングの醍醐味のようになっています。
さらにフランス人の気質としても、大パワーにものをいわせて強引に押しきることより、そこへ知恵や工夫を差し込んで、同等もしくは違った価値観に根ざした効果を上げることに喜びを感じるような国民性があるから、どうしても高出力の輝くようなエンジンが生まれにくい土壌があるのかもしれません。

トラクシオン・アヴァンから引き継がれた直4がDシリーズに搭載され、ついにはCXの生産終了まで使いまわしされたことは、このエンジン設計が秀逸で信頼性に富んでいたことがあったとしても、そもそもフランス車におけるエンジンの地位の低さを表しているようにも思います。
最近は以前の『シトロエン 革新への挑戦』(二玄社)に加えて『シトロエンの一世紀 革新性の追求』(武田隆著著)他も併せて読んでみましたが、それらによると、DSは当初の計画では、新開発の水平対向6気筒が搭載予定されており、開発もかなり進んでいたということを初めて知りました。
このエンジンが完成していれば、1963年登場のポルシェ911よりも先んじて、世界初の水平対向6気筒エンジンになっていたそうです。

これが実現に至らなかった理由としては、まだ改良点が残されていたことと、DSの技術的本丸である初の4輪ハイドロニューマティック・サスペンション搭載に多大な投資やエネルギーを傾けたこと、そしてデビューまでの時間的な制約があったこともあるようですが、くわえてフランス車全般におけるエンジンのプライオリティの低さもあっただろうと思われます。
当時の新型シトロエンの登場は、今では信じがたいほど世間の注目は熱く、噂やデマが飛び交い、政治的にも発表を急がざるを得なかったことなどが重なって、新エンジン搭載は見送られたようでした。

果たして、エンジンだけは旧型からの持ち越しで、1955年のDSのあの衝撃的なデビューとなったようですが、それでもこの常識破りの未来的なニューモデルは当時の人々の注目を一身に集め、発表初日だけで1万台以上の注文があったというのですから驚きます。

ただ、DSデビューは乗り切ったにしても、その後も新エンジンを継続的に開発しようとした気配はあまり見当たりません。
1960年代中頃、FF+ハイドロの優位性を示すべく、あらたな高性能車を開発計画が持ち上がった際にもふさわしいエンジンがなかったようで、一説によれば、そのエンジンを作らせるために体力の弱っていたマセラティを傘下に収めたという見方もあるようです。
そのマセラティは既存のV8から2気筒を削って、おどろくほど短期間でV6エンジンを作り上げたとあるので、やはりどこにも得意分野があるということでしょうか?

SMは高価な贅沢車だからマセラティエンジンでもいいとして、通常モデルのための新エンジンについては、ついにはCX時代に至っても古いエンジンを継続使用せざるを得なかったことは、先進的な自動車メーカーを標榜してきたことからすれば、いささか残念な気がします。

1970年代なかごろプジョーの傘下に入ったことは、シトロエンにとってそれまでの自由の翼を失うかわりに、エンジン開発に関してはその責務から開放されたのかもしれません。
もしXMやC5/C6が同じあのOHVエンジンだったら?というのはさすがに想像できませんが、BXならあのシャリシャリいうプジョー製4気筒の代わりに空冷フラット4だったらと思うと、それはそれで趣きのあることになっていたかもしれません。

現在、手に入れられる範囲でシトロエン自社設計のルーツを持つエンジンを積んだ主だったモデルは?というと、2CV、DS/ID、GS、CXぐらいで、偉大な自動車メーカーにもかかわらず、ざっくり50年以上めぼしいエンジンを生み出さなかったなかったというのも驚くべきで、その呆れるばかりの偏向というか嫌なことはしたくないというわがままぶりも、これまたシトロエンらしいような気がします。

あえてひとつだけ挙げるとすれば、1960年代のシトロエンは回転特性がスムーズなロータリーエンジンに着目し、当時の社長ピエール・ベルコは、アンドレ・シトロエンやブーランジェの革新の精神を、ロータリーエンジンという切り札で取り戻し、先進性を復興させようと賭けていたようにも見受けられます。
しかし、ロータリーエンジンが抱え持つ欠点を克服できぬままオイルショックを迎え、試験的に発売されたGSビロトールは回収され、この計画も沙汰止みになってしまったことはご承知のとおりです。

水平対向6気筒のDS、ロータリーエンジンのCXなど、完成していればどんな車になっていたのか…今となっては夢物語でしかありませんが、その後マツダによる長年の奮闘を見てきた我々からすれば、ロータリーをやめたことは賢明であった気がします。

燃費問題さえ克服できるのなら、現代のハイブリッド車とロータリーエンジンとの組み合わせなど、そう悪くない気もするのですが…。