それから

車検証入れの中。80年代のなつかしいシトロエンの世界がムンムンです。

漱石のようなタイトルですが、2CVは、なんとか車検と登録を済ませて、ともかく我が家にやって来ました。

しかし、エンジンの調子も良いとは言い難く、信号停止でストール気味だし、ブレーキの効きもイマイチ、マフラーは長い放置期間が祟ったのかサビサビだったり。
一定の整備はやっていただいたようですが、ナンバーがないため試運転ができなかったこともあり、路上復帰にはもう少々かかりそうです。

いっぽう、心配していた運転については、10分も乗ると昔の感覚がスルスルと蘇ってきて、クラッチ操作も独特なシフトパターンも思いの外すんなりできたのはホッとしました。若いころにやったことは、やはり身体が覚えているんですね。

で、20年以上ぶりに2CVを自分のガレージに入れてみてまず驚いたことは、C5エアクロスとのあまりのボディサイズの違いで、これは想像以上でした。

全幅は185cmに対して、2CVはわずか148cmと37cmも狭いし、車輌重量は車検証によれば570kgとほぼ3分の1。
そんな小さなナリであるにもかかわらず、存在感は強烈で、フラミニオ・ベルトーニの造形は、どこから見ても破綻がなく完成されており、車ではあるがオブジェでもあると感じます。
でもオブジェと言っても、お高くとまったものではなく、見るなり人を笑わせる愛嬌にあふれたオブジェなのです。

納車された日の夕刻、近所をちょっと回ってみたら、いきなり近くの女子校の生徒の一団に出くわし、好奇の目と同時にキャキャキャッというかん高い奇声を浴びてしまいました。
今どきは、フェラーリやマクラーレンでもあまり人目は引かず、大抵は周囲も無関心だけれど、2CVは人の視線を向けさせることにかけてはあきらかに昔以上で、とくに赤黒のチャールストンは塗装も大げさで時代がかっており、これは相当な覚悟を要するなぁと思いました。

配線などが気になって、思い切り作業ができません。

まずはマフラーの交換が先決のようで、それについては比較的近くにお住まいのTさんが鋭意協力してくださるそうで、なんとも心強い限りです。
さしあたり自分でできることといったら、せいぜい掃除をするぐらいなので、黒い汚れがどんよりと堆積していたエンジンルームを、三夜にわたり1〜2時間ずつかけてせっせと磨いてみました。
これでも、かなりきれいになったのですが、掃除前の写真を撮っておくべきだったと後悔しているところ。

トランクには軍手やオイルフィルターなどいろいろ入ったケースがありましたが、それがなんとTINTINの2CV型であるのにびっくり。

それと、部品のオーソリティであるSさんが調べてくださったところでは、フランス/イギリスには2CV専門のパーツショップがあり、その品揃えたるや異様なほど充実しており、すべてのパーツを集めたら新車が一台出来あがるほどで、実際あちらではそうやって組み上げることで、新車を作って販売している例もあるとか。

C5/C6などで、パーツ調達にご苦労をされているのをいつも目の当たりにしているだけに、この点は本当に驚くしかありませんし、おまけに2CVのパーツはどれもお安いので非常に助かります。
将来に向けて本当に安心して乗れるシトロエンは2CVかもしれず、皆さんもおひとついかがですか?

おまけ。ガレージのビバンダムをまわれ右させて、2CVとの記念撮影。

お茶会報告

3月お茶会は長い入院生活から蘇ったC6が2台揃いました。
Aさんは夜中の2時過ぎだというのに、大分に向けて帰って行かれました。大分までは高速を使って2時間半だそうですが、C6での真夜中の別世界ドライブを楽しむことも目的で参加されたようで、別れ際、おだやかに「…朝日とともに帰ります」というあたりは、ハイドロ詩人に見えました!

まだ寒いにもかかわらず、車を前にすると身体をガタガタ震わせながら、ついつい話が止まりません。

考えたらほとんど並んだことのなかった、C6とC5ACで、これは!とばかりに記念撮影…

していると、前に止まっていたC6がスルスルとこちらに移動してきました。

なんだかんだと言いながら、やはりハイドロは駐車場の華ですね!
みなさんお疲れ様でした。

2CVを…

上の写真は1993年5月、CCQ二回目のミーティングを唐津の鏡山でおこなった時のもので、このとき巨匠は2CVでの初参加でした。右端が巨匠、後列左から二人目が私(みんな若い!)。
…この時から32年が経ったわけです。

早いもので、巨匠ことTさんが亡くなられて1年以上が過ぎました。
昨年のいつ頃だったか、ご子息より、残されたシトロエン(GSクラブと2CV)をクラブの方に譲りたいというお申し出があり、GSはすでにご案内の通りで、2CVのほうは私が譲っていただくことになりました。

同じく1993年7月、第4回のミーティングでは、雨だというのに自らクランク掛けを披露される巨匠。まわりは傘をさしかけるが、濡れた背中ににじむ情熱に注目。キャップはダブルシェブロンの模様入り。

いまさらという感じもあるけれど、巨匠のワンオーナーカーでもあり、これも最後のチャンスだろうと思ったことと、逆に、近頃のようにクルマがあまりにも複雑なハイテクまみれになってしまうと、むしろ2CVのようなプリミティブな車に戻ってホッとしてみたいような気分も湧いてきたこともありました。

秋ごろには引き取るつもりだったのが、腰のせいでそれどころではなくなり、これが思ったより長引いたたこともあって、とうとう先月下旬、車載車に乗せられて2CVのほうが福岡に来てくれたのです。

本来なら私が佐賀へ取りに行くべきところ、ナンバーが切られているため、整備後の試運転もななまらないようで、それに仮ナンバーを付けて大移動することに不安もありました。
数年眠っていた2CVをいきなり路上へ引き出し、[山越えルートで50km]もしくは[高速を使えば70km以上]を無事に走破して我が家へ連れ帰るだけの自信もないし、今の私はといえば、運転も長らくAT車に慣れ切ってクラッチ操作もおぼつかないだろうし、まだ腰の不安もあり、くわえてメカオンチゆえ途中で何事か起きれば万事休すです。

それを察してくださったのかどうかわかりませんが、「車載車を借りるツテがあるから、なんなら運びましょうか?」という耳を疑うようなご提案をいただき、この際、深謝しつつお言葉に甘えてしまいました。

〜で、図に乗るようだけれど、ナンバーがついていないのだから、どうせ積載車で動いてもらえるならばと、車検をお願いする工場まで足を伸ばしていただいたのです。

私をその気にさせたのは、ハイドロ同様に2CVとの生活には20年を経ていまだ忘れがたい、楽しい記憶が鮮明だったからです。
むろん素性の確かな巨匠の愛車というのも大きな理由でしたが、さらにはフランス製最終期の1987年の一台だったこともありました。

まさか、あの2CVを引き継ぐことになるとは思いませんでしたが、まったく妙な取り合わせとなる新旧シトロエン。地面に降りたところで、工場内を数メートル動かしてみましたが、いきなりプスンとエンストしました。

製造国といえば、現在のシトロエン/DSでは、モデルによって中国製であることが予めアナウンスされているぐらいだから、我がC5エアクロスも中国製の可能性が…と思っていたところ、2月のお茶会のときオーガニゼーションナンバーとやらを教えていただいたところ、果たしてフランス・レンヌ工場製ということがわかり、少しニンマリでした。

むろん、いまどきはどこ製でもべつにかまわないし、iPhoneだって中国製、タイヤやバッテリーもアジア製を受け容れており、それでどうとも思わないところまで認識はできているけれど、それでも心情としてはフランス製であるほうがちょっとは嬉しいわけです。

2CVはこれから車検・登録してナンバーを付ける予定で、またご報告します。

(左)フランス製の証『SaintGobain』製の窓ガラス。
(右)ボンネットは黒に塗り替えられており、ご子息は「オリジナルではなくなっている…」と仰せでしたが、私はさほどオリジナル至上主義ではないし、これはこれで黒い子猫みたいで悪くないと思いました。

お茶会その他

7月もつつがなくお茶会を終えることができました。
今回は、偶然にも食事からデザートにいたるまで、4人が4人、まったく同じ注文内容だったので会計作業は楽でしたが、すでに顔なじみと思しきベテラン店員の女性から「わ、仲いいですねぇ! めっちゃ仲いいじゃないですか〜!!」と何度も言われてしまいました。

言葉通りに受け取って良いものか、毎月土曜に長居して閉店間際に帰っていくオッサン達への当てこすりなのか、その真意は判然としませんが、まあ悪印象を持たれて火花が散るよりマシかと思いました。

退店後はTさんのリクエストにより、DS5に試乗させていただくことに。
昔は数台集まれば、安易に試乗会のようなことをバンバンやっていましたが、時代も変わり、現在は他人のクルマのハンドルを握ることは、よほどの合意がない限り慎むというのが相互のマナーとして自然に機能しはじめた観があります。
万が一にも粗相が起これば責任問題は出るし、人間関係にも支障が出かねないことを考えれば賢明だと思われ、今回もオーナーの運転で同乗に与ったのみでした。

この日、写真にあるように4台中ハイドロは一台で、関東陣のあっぱれな気骨に比べると、軟弱な風がそよそよと吹いているようです。尤も、白いカクタスのKさんはC6オーナーでもありますが…。


余談ですが、過日TVを見ていたら、あっと驚く映像が出たので思わずスマホのシャッターを押しました。

1973年9月、パリを訪れた田中角栄がDSから降車するショット。
このあと、時の大統領であるポンピデゥーとの会談で、モナリザの日本への貸出が決まったとか。

大きめのテールランプの形状からして最後期型、おそらくは23IEパラスではないかと思われますが、当時はまだDSが生産されている時代だったことを思うと、今昔の感に堪えません。
それにしても場所はパリ、政府差し向けの最もフォーマルな使い方をされるDSに乗る賓客が、よりにもよって田中角栄というのは、まるで変な食べ合わせをしたようでした。

DS5

14年間という長きにわたって初期型C5-3Lを愛用してこられたSさんですが、A/Tの故障で一度はO/Hされたものの不調が再発、ついに修理を断念され、なんとDS5へと乗り換えられました。

ちなみに、引退となったC5は2004年型、走行約16万キロとのことで、入退院も多かったけれど寛大なオーナーに愛されて、大往生であったと云えそうです。
(一時期はご夫妻で同型C5の2台体制という時期までありました)

名義変更に同行したので、Sさんのご了解を得て、写真を交えながら私からお伝えすることになりました。

DS5は2015年型、走行わずか6500km(!)という驚きの個体で、DS生誕60年を記念して発売された限定車とのこと。
専用のデカールやシリアルナンバー、エンブレム/ホイールのセンターキャップは金色となり、ボデイはブルーアンクル(フランス語で青いインクの意)という、往年のDSに使われた色が再現されているそうです。

そのコンディションはとても中古車とは思えないもので、室内のボタン類には新車時のビニールの保護シールが付いたままであったりと、よくぞこんなクルマがあったものです。

DSブランドが立ち上がって以降のモデルゆえ、初期型のFグリルにあったダブルシェブロンは廃され、DSブランドとしてフェイスリフトされていますが、すっきりと迷いのない顔立ちになっていてます。
陸事に到着後、他県ナンバーを外して名義変更のスタートですが、クルマとしてはナンバーのない状態というのも悪くないと個人的に思います。

手続きは滞りなく進み、ついに新しい福岡ナンバーを与えられて封印が終わると完了です。
やはりこれをもって車は真の意味で所有者のものとなり、さらに土地にも根付いた感じが一気に強まってくるものですね。

思わず「どこのスポーツカーだろう?」かと言いたくなるような、スタイリッシュな運転席まわり。
各スイッチのデザインや配置、形状などが、隅々までこれでもかとデザインされており、このころからシトロエンが新たな挑戦にも打って出ていたらしいという印象。
レザーシートの編み方、ステッチの色、外観では特徴的なサーベルラインはもちろんアートな雰囲気なホイールの意匠まで、内外のありとあらゆるところがこだわり抜かれているのは呆れるばかり。

どうですか?このサイドビュー。
薄い屋根、短いリアのオーバーハングなど、シトロエンの造形言語が踏襲されていながら、新しい試みもふんだんに取り入れられて、それらが見事に調和しています。
飛行機のような三角窓、リアドア後端でキックアップするあたりはXMを髣髴とさせるものがあり、個人的にはXMのあの先はもうないと思っていたデザインですが、こういう姿へさらに変換されたんだという発見と解釈にも繋がりました。

DSを起点として、贅沢な2ドアクーペのSM、それを基に4ドア化したXM、そしてしばらく置いて突然現れたDS5、その名が暗示していたのか、これらはDSからひとつの造形の系譜として繋がっていることにようやく気いた…といえば、多少こじつけのように聞こえるかもしれませんが、そんなこじつけめいた話が作れるところもシトロエンの世界で遊ぶ楽しみの一つのような気がします。

※C5との付き合いは、一台目から通算すると19年!だそうです。

4月度CCQ関東お茶会/

先週の土曜日に関東お茶会がNaさん、Kさん、Noさんと私の4名により東松山のいっちょうで行われました。

話題は乗り心地の話が多くを占め、KさんのC5iiの悩みについて参加者で色々話している時間が長かったように思います。ハイドロの場合は経年もあって乗り心地に個体差が大きいので、これ、といったものが分かりにくくなっていることがあります。また、仮にディーラーで修理してもらおうにも経験者の減少もありその症状を把握して原因追及してもらえないのが歯がゆいところです。(馬力とかなら測定もできますが、乗り心地は測定できませんし)

その他、Naさんが普段乗りに使用するための車として三菱のiを購入されたそうなのですが、その車探しについてのお話などがあって21:30ごろにお店を後にしました。

お店に入る前と後でNaさんの2CVや、2台のC5iiの乗り比べをしました。2cvについてはNaさん秘伝の調整がされた様で1年ほど前に乗らせていただいた頃よりフラット感が増したように思いました。やはり2cvはいいですね。いつかは所有したいところです。

2台のC5の乗り比べではあれ?と思うほどに2台で違っていてなんとも不思議な感じでした。エンジンをかけた状態でバンパーを押すとKさんの車のほうが明らかに柔らかいのに試乗すると私の車のほうが柔らかく感じました。これから原因追及されるのでしょうが、なかなか頭が痛いところです。

お茶会の週末は埼玉北部でちょうど桜の散り始めに当たったので、当日の朝、急遽私からお花見を提案しました。当日告知でもあったのでご参加いただけたのはNoさんのみだったのですが、良い天気の下で見渡す限りの桜並木でのんびりとした花見は普段のお茶会とはまた違った雰囲気で良かったです。

YouTubeチャンネルでC5を取材してもらいました

お久しぶりです。既にご覧になったいらっしゃる様ですが、ユーチューブの「Yamate Studio」というチャンネルで私のC5を取材していただきました。昨年9月よりスタートしてまだ間もないためか、取材車両を募集されていたので応募してみた次第です。これまでシトロエン関係ではC5ツアラー1.6とDS7クロスバックが出ており、シトロエン(DS)としては3台目、ハイドロとしては2台目の掲載となりました。

こちらのサイトを運営されている「りきまるさん」はまだ20代半ばとお若いですが、リハーサルなしのぶっつけ本番でちゃんとインプレできるのは大したものだなーと思っていました。また、自らの車の動画を残せる機会というのは意外とないものなので、こうした機会を作ってもらえたことに感謝してます。もしよろしかったらご覧ください。

四国巡礼

2月の後半、たまたま友人と都合がついたので、四国を中心とした周遊にでかけました。
C5エアクロスでは長距離旅行を未だ果たせていなかったこともあって、急に思い立ちました。

コースは、おおまかなポイントでいうと次の通り
▶福岡→日田→由布院→別府→大分→佐賀関→(フェリー)→三崎→八幡浜→四万十→久礼→横浪半島→桂浜→高知→大歩危小歩危→新居浜→別子銅山→今治→しまなみ海道→尾道→広島→錦帯橋→下関→北九州→福岡

燃費が良いとされるディーゼルですが、実際どれくらい無給油で走れるかも注目でしたが、上記のコースでいうと終盤の広島までとくに不安もなく走ることができました。広島市内のスタンドまでの走行距離は830km、入った軽油は45.5Lでしたから、18.24km/Lという予想以上の結果となりました。
〜というのも、この830kmの内訳はありきたりな一般道と、広大な四万十エリア等を中心とした、うんざりするほど続く山間道が大半を占め、しかも燃費を意識した運転ではなかったからです。低燃費に貢献したであろう区間は高知から断片的に使った高速と、しまなみ海道の合わせてわずか100kmほどで、かなりの渋滞なども含んでいます。

もし高速道路を淡々と走れば、20km/L以上は確実な気配で、これなら無給油で東京まで行けるかも?と思いましたが、燃料タンクは52Lということを(今ごろ!)知りました。
実は今回の走り方では、15km/Lぐらいでタンクは60Lぐらいと踏んでいました。
Xmのころ、表向き90Lとされていたタンクは、実は100L入るとも言われていたことを思い出すと、隔世の感があります。

ちなみに、できるだけ高速を避けるのは、一般道でこそ普段目にすることのない珍しい景色や土地柄に触れられるところが面白いからで、これこそクルマの旅の醍醐味だと思っています。べつに意地を張って高速を避けているわけではないので、高速に乗ったほうがいいと判断した場合は迷わず乗ります。

映画翻訳家の戸田奈津子さんも、お若い頃からクルマの旅が好きですいぶん周られたらしく「高速乗っちゃダメよ」と仰っていましたから、膝を打つ思いでした。

途中、せっかくならご挨拶したい方もありましたが、なにしろ行きあたりばったりの旅ゆえ、失礼して素通りとなりました。
たまたまかもしれませんが、四国では一台もシトロエンを見かけることはありませんでした。
3泊4日、全走行距離1132km。

ついでに写真をご紹介。

↑ 初日は由布院の雄大な景色を堪能しながら別府〜大分へ。大分の佐賀関からフェリーで愛媛の三崎港へは約1時間の船旅。昼前、八幡浜の道の駅で1000円とは思えぬ海鮮丼を食べ、いざ四万十エリアを目指す。名にし負う四万十川の勇姿はもとより、四方を幾重にも取り囲む無数の山々の連なりにも驚かされる。これが延々数時間に及ぶのは、さすがに身にこたえてくるが、道の駅で小休止を挟みつつ、走りに走る。

↑ ようやく太平洋側に出たものの、長大な山間路走破に時間を費やし、新鮮な魚介類が食べられるという久礼大正町市場は到着したのが閉場5分前で惜しくも時間切れ。あきらめて高知へに向かいつつ、切り立った海岸の尾根沿いに延びる横浪半島のルートを走る。眼下に猛々しい断崖絶壁がいくつも現れては消え、その向こうは広大な太平洋が果てしもなく広がる光景が圧巻。司馬遼太郎が土佐人はいつも太平洋を見ているから考えの単位が違うというようなことが書かれていたのを納得する。夜は有名なひろめ市場で夕食としたが、様々な店がひしめきあって活気にあふれていたが、やや観光地化している印象も。

↑ 高知から北上し、徳島県山間部に位置する大渓谷、大歩危小歩危へ。スケールの大きさ、ゾッとするような深い緑をたたえる吉野川と、峻険な岩肌迫る周辺の景色に息を呑む。別子銅山、今治を経てしまなみ海道へ。しまなみは実は二度目だが、前回は雨と霧でなにも見えずただの有料道路だったから、今回はじめてその景色を目にする。今治〜尾道を60kmにわたり、島から島を飛び石のように橋と道で繋いで本州と四国を道路化するという壮大なルートで、その大構想が実現し運用されていることに圧倒される。瀬戸内の海と島々が織りなす美しい景色のめくるめく回廊は一見の価値あり。

追記;NEXCOが発行する無料地図は、結局これが最も使いやすく、ガイド本などよりよほど重宝します。
あんまり何度も畳む/広げるを繰り返すので、ついには折り目があちこち破れはじめ、帰りの山陽道SAで新しいのをもらったところ、ウラ面はなんと「DIXCEL-M」の広告で、エエエ!という感じでびっくりしました。
「止めるはディクセル スゴ止 ぴた止 綺麗」というコピーも笑えます。
そのDIXCEL-Mは、山坂を多く含む1000km以上を駆けまわってもダストの汚れはほぼ見当たらないのは見上げたものです。

3月お茶会

会場に着くと、混み合う駐車場の中に参加予定になかったXmがいて、久しぶりのKGさんが顔見せだけに立ち寄ってくださったようです。
私が19年3ヶ月乗って2016年にお譲りした車で、ちょっと座らせてもらったところ、「どうぞ乗ってきてください!」と快く勧めていただくのでためらっていると、気づけばリアシートにはSさんとKさんが乗り込んでいるし、ちょっとだけ近所まわりさせてもらいました。

最高のシート、悠然たる動き、パワーセンタリングなど、懐かしむより緊張が先に立つ、8年ぶりの短いドライブでした。
しかし戻ってきた時、パーキングブレーキのかけ方の手順などは自然と覚えていました。

もう一枚追加 ↓

関東お茶会

福岡では複数の参加者が発熱するなどしたため、中止となりました。
関東ではあいにくの雨模様だったようですが、無事に開催されたようで、写真を送っていただきましたのでご紹介します。

ducaさんお貸し出しによるスフェア圧力想定器とのこと