投稿者「chirac」のアーカイブ
モデル名
前出のネタ本その他から、シトロエンのモデル名に関することを。
トラクシオン・アヴァンはその名の通り前輪駆動のことで、2CVはフランスの課税区分がそのまま車名になったことなどは有名ですが、それ以外の車名の意味についてはあまりよくわかっていないまま、ようやくSMはSport Maseratiだと知ったぐらいで、36年もシトロエンに乗っていながらこれはマズイと思い、一度おさらいしておくべきチャンスになりました。
間違いもあろうかと思いますので、その点はお許し/ご指摘のほどお願いします。
今も現役である「C」ではじまる名称は、実はトラクシオン・アヴァンよりも前の戦前のモデルに存在したようで、タイプAからはじまり、短期間のB、そのモデル後期に存在したのがCシリーズということのようです。
たまたま手許にある絵ハガキに「C6」というのがあったので「おや?」とは思っていたのですが、調べるてみると戦前にはC4/C6というモデルが存在し、C4は4気筒、C6は6気筒を意味したようで、アンドレ・シトロエンもC6を使っていたとか。
また、2CVが開発されるより前に、廉価な小型車として構想されるも陽の目を見なかったモデルに「AX」というのがあったようで、それが半世紀以上の時を経て、我々の知る小さなシトロエンとして、その名が蘇ったのか?とも思われます。
AX、BX、CXというモデルのうち、もっとも古いCXは空力を表す意味で、登場年はC→B→Aの順なので、この大昔に存在した小型車の名を絡めながらサイズ順に小型をAX、中間をBXとなるよう考えられたのか?とも思いますが、そこはかなり想像を含んでいます…。
よくよく考えればDS/IDシリーズからしてその意味を知らぬまま過ごしていましたが、創業時のAシリーズから始まってB→Cとなり、トラクシオン・アヴァンはひとつ小型に分類されるらしく、そこを飛ばしてDというところへ着地したのか?と思いました。
DにSを加えると、フランス語で女神を意味するデエスと同じ音にもなることなどもあって、DSとなったのではないか?
そのあたりは詳しい方がおいでだと思うので、ぜひご教示いただきたいところです。
AMIは2CVベースで、2CVの型式名がAから始まり、アミではそれがAMとなり、そこへ中間(DSと2CVの間)の意味のあるMilieuを加えて「AMI」となったとのこと。
アミ6が誕生するころ中間車種として開発されたものに「C60」というのがあったものの生産には至らず、さらに時を経て「F」というのがあったけれどこれまたお蔵入りとなり、そのFのあとに開発されたのがGで、それが「GS」となったようです。
では、Sは何を意味するのかについてはわかりませんが、DにSをつけてDSとしたように、GにもSをつけてGSとなったのか?
DSにDシュペール、GSにGシュペールという廉価モデルがある点でも共通しています。
1980年代の終盤、CXの次のモデルは「DXではないか?」などと囁かれたこともありましたが、実際に出てきたモデルは「XM」と称され、さらにはAXとBXの間に入るサイズの「ZX」が出たとき、右にXという文字のつくシリーズは「これで終わり」という意味の「Z」だということは聞いたことがあったような。
いまさら書くのもナンですが、XMってそもそもどういう意味なのか、考えてみたら意味も由来も知らぬまま長らくこのクルマと過ごし、いまだにわからないというのは笑ってしまいます。
「Xantia」はたしか造語らしいという記憶がありますが、これに続いて「Xsara」や「Xaso」などXではじまるモデル名が立て続けに出て、サクソはたしかサクソフォンに由来すると聞いた覚えが…。
むかし友人を介して知り合ったフランス人留学生にXantiaを発音してもらったことがあり、それをあえてカタカナで書くと「グゾーンティハ」みたいな感じに聞こえたのを覚えています。
一体にシトロエンで名前らしい名前があるのは少なく、すぐに思い出すのは「ディアーヌ」とか「メアリ」、近いところでは「ピカソ」「カクタス」など。
メアリといえばその後継的なモデルとして「ティヨール・タンガラ」というのがあり、これは正規の生産車でなくオーベルニュにあるティヨール社が作ったピックアップですが、本にも2CVの派生型として掲載されているのは驚きでした、
実はCCQ初期のころ、長崎のとある老舗のご主人で好事家の方がおられ、このティヨール・タンガラでしばしば参加されていたのを懐かしく思い出しました。
当時はさほどのものとも思わなかったけれど、生産台数わずか1500台あまりの希少車(フランス陸軍へ400台納入)とあり、それいらい実物を目にするチャンスはついに一度もなく、今ごろになって惜しいことをしたような気分になっているところ。
ちなみにC5/C6は、もはや説明の必要もない馴染みのモデルですが、とりわけC6は戦前の最上級モデルの名称だったものが21世紀に復活し、この時期のC6/C5をもってハイドロが終焉を迎えたという事実、さらには今後シトロエンはもう高級モデルを作らないとも言われていることなどを考えると、まさに象徴的な区切りとなったような気もします。
50年ワンオーナー
巨匠ことTさんが亡くなられて、早いもので一年が近づいています。
いろいろと落ち着かれたのか、ご子息より連絡があって、GSを「クラブで欲しい方があればお譲りしたい」という向きのお話をいただきした。
このGSはCCQ設立当時から巨匠の代名詞的な車というか、分身のような存在でしたので、あのGSがついに50年間住み続けたガレージを離れることになるのか…と思うと時の流れを感じます。
◆1973年型、GS1220クラブ
初期のGSというだけでなく、新車からのワンオーナーで50年を経た個体という意味でも、その価値はきわめて稀少と思われる一台。
一説によればGSは残存率がきわめて低いモデルとのこと。
デビューは1970年10月、日本には1972年から導入が開始されますが、当初のGSクラブは1015ccでした。フランスでは1972年9月から1220ccが追加され、日本向けもこのとき1220へ切り替わります。
新開発されたOHC空冷水平対向4気筒は、タービンのように良く回りレンスポンスにも優れていたものの、低速トルクが弱いという指摘を受けて1220ccが追加されたとのこと。
車検証を見ると1973年9月の初年度登録なので、おそらく1220になってすぐに購入されたのだろうと想像されます。
GSシリーズは現在個体として残っているのは少ない上、初期型クラブでワンオーナー、屋根つき保管、雨天未走行(出先で遭遇した雨を除く)等々…このような環境下で過ごしてきた個体となると、ほぼ奇跡的といっても過言ではないと思われます。
走行は87,800km、メーターは5桁しか無いものの、他に車は数台あって、純粋に趣味の車であったことからも、見えない「1」が隠れていることはなく、それはご家族も承知されています。
巨匠はその愛称のとおり、とびきりの熱いシトロエン愛にあふれた趣味人でしたが、クルマを猫可愛がりして床の間に飾るような使い方はされなかったので、経年相応の真っ当な劣化は多少はある状態で、例のCitromuseumにあるような新車同然といったものではありません。
また、オリジナル尊重の方であったけれど、シートだけは布のジャージ生地が耐久性に乏しいこともあってか、かなり早い時期に本皮に張り替えられておられ、この点はオリジナルではありません。
ただそれは、色や形状やステッチ、サイドのポケットにいたるまで、熟練職人の手によりオリジナルを忠実かつ丁寧に再現されており、程よく使い込まれた感じも加わって、まるで純正のような雰囲気です。
私の記憶違いでなければ、GSはシトロエン初のボビン式スピードメーターであり、それは左ハンドルだけのもの。
現存する程度の良いGSの多くはレストアを受けており、それはそれで素晴らしいのですが、オリジナル/ワンオーナーで好ましい状態を保っている個体となると、これはもう探して出てくるものではないでしょう。
GSは、DS/ID以下の小型モデルに初めてハイドロニューマティックが採用されたことでも有名ですが、あまたあるシトロエンの出版物によれば、その乗り心地は群を抜いており、記述の脈絡から推するに、それは全シトロエン中もっとも理想的なものであったようです。
これはあまりにも意外な説で、俄には信じ難い気もしましたが、あれこれと調べてみるとどうやら間違いではないようで、そのあたりも巨匠の慧眼があったのかと思うと、今になって唸らされるところです。
普通なら上には女神のDSがあるから、なんとなく入門用ハイドロのように捉えていた人は少なくなかった筈で、これはそんな無知な認識を根底からひっくり返す話ですし、私もここ最近になって知ったことでした。
ストロークが深く、いかなるシーンでも路面に吸い付くように姿勢が乱れず、当時のシトロエンの広告には「魔法の絨毯」という言葉が使われ、評論家たちも口を極めて絶賛したとあります。
そこで思い出すのは、CCQきっての実践派にして乗り心地研究家であるducaさんは、ずいぶん前から乗り心地というと必ず巨匠のGSに同乗された際に受けた衝撃のくだりが、繰り返し熱く語られるのは我々の耳にしっかりとこびりついているところ。
果たしてその体験は、ducaさんの感覚中枢の中で理想のハイドロの乗り心地と挙動を判じる尺度となり、現在でもGSを100点として、以前所有されたXantia、C5X3、そして現在のC5X7を採点されています。たゆまぬ工夫や研究を続けられるも、いまだにその高みには達し得ないようで、それひとつをとっても、この初期型GSのサスペンションがいかに傑出したものであったか、推して知るべしなんでしょう。
巨匠はGS以外にもハイドロではDSやCXも複数入れ替わりでお持ちでしたが、最後まで手許にあったのはこのGSで、まさに終生の伴侶となったシトロエンです。
現在はナンバーが切られており、車検を再取得する必要があるようです。ここしばらくは動かしておられないようで、12月になれば少し手を入れてみますとのことでした。
ちなみにSMの投稿でも触れられていたように、パーツはこの時代のクルマのほうが却って入手可能という話は近ごろ耳にしますし、難しいコンピューターなどがないぶん維持しやすいというのは、なるほど本当かもしれません。
価格については現在のおおよその相場からすると、えっ?というような破格なものですが、それは「この車の価値をわかって、長く乗ってくださる方へ」というご意向故で、云うまでもないことですが、転売目的の方はご遠慮くださいとのことです。
上記のような衝撃体験のこともあって、まずはducaさんにお話するのが順序だろうと思って伝えましたが、保管場所の問題で断念されましたので、こうして皆様へご案内するに至りました。
ご興味のある方は私へご連絡いただくか、「問い合わせ」よりお知らせいただければ、こちらでわかる範囲はお答えしますが、いずれ先方へお取り次ぎして、以降は直接やりとりしていただくことになります。
できればクラブメンバーを優先したいと思いますが、大事にされる方なら必ずしも限定はしないとのことですので、ご興味のある方はどうぞご検討ください。
SMの悲運
レモンマンのきっかけになった書籍『シトロエン 革新への挑戦』は、創業時からの各モデルごとの解説がされていて、あらためて読み返してみると、まだまだ知らないことは山積みで、シトロエンというメーカーの偉大な歴史と、常に時代に先んじてきた革新の精神と実践には、驚きと感嘆をあらたにするばかりです。
その中から、SMに関することを。
シトロエンがマセラティを傘下に収めた時期に構想された、シトロエンとしては唯一の高級2ドアクーペ、その流麗な姿とカリスマ性は、歴代モデルの中でも最高ランクに叙せられるものだと思います。
ちなみにこのSMほか、DSの猫目へのフェイスリフト、GS、CXなどはロベール・オプロンの手になるデザイン。
SMの意味は「Sport Maserati」なのだそうで、へえぇ、そうだったんだ。
マセラティ社が設計した2.7L-V6エンジンが搭載され、その後、排ガス規制の厳しい北米向けに3Lも追加。
シトロエンはSMを通じて、ハイドロニューマティック+FFによるオーバー200km/hでの安定した走行性能を打ち立ててみせたほか、CXやXMでお馴染みとなるパワーセンタリングも初搭載、SMではハンドルを一回転させたただけでロックするというウルトラクイックな設定。
ま、そんなことは皆さんあらかたご存知のことですね。
このクルマが販売開始されて3年ほど経った1973年、第一次オイル・ショックが世界を覆います。
これを機にシトロエンの大株主だったミシュランは持ち株をプジョーへ売却、新経営陣の判断により、SMはあっけなく生産打ち切りの宣告が下されるという悲運に見舞われます。
残った製造はリジエ社に委託され、300台近くがなんとか生産されたものの、一説によれば、この時点で約500台分のボディシェルが残っていたとか…。
シトロエンとしては、せめてその分だけでも完成させて欲しいとプジョーに懇願するも、プジョーの経営陣には聞き容れられることはなく、返ってきた返事は「すべてスクラップにせよ」という非情なものだったとか。
これにより1975年、SMは完全に息の根を止められます。
あんなにも美しい、文化財と呼んでもいいような車に対する、この残酷な処遇は身震いがするようでした。
企業とはそういうものだと云ってしまえばそれまでですが、この車に心血を注いだ人たちはこれをどう受け止めたのか…。
いつだったか、虎ノ門のホテルオークラ旧本館の建て替えにあたって海外から保存運動がおこり、「日本は古いものを大切にする意識の薄い、建て替え文化だ!」と欧米文化人から意識の低さをずいぶん非難されたものですが、「ふん、同じじゃないか」と思いました。
プジョーのあのマーク(現在のワッペン型になる前の)、両の手を上げ、ガオッと口を開け、舌を出して雄叫びをあげるライオンに、しなやかな鮎のようなSMがガブリと喰いちぎられたようでした。
技術的には成功でも、商業的には失敗という点で、SMはコンコルドに共通すると書かれています。
今日の目で見ればSMの性能は大したものではないかもしれないけれど、生産終了からすでに50年が経過することを思うと、その先進性には驚かされるばかりです。
3つのフランス映画
おだてられ、すっかり調子に乗って、また映画ネタですがフランス映画3本のご紹介。
▼ 1.『落下の解剖学』2023年、ジュスティーヌ・トリエ監督。
フランスの南東部の雪山(イタリア国境近くのラ・クルヴァス)の山荘で暮らす一家。
夫婦は共に文筆業、11歳の一人息子には事故による視覚障害があり、夫はその責任の一端があって心に傷を抱えています。
妻を取材で訪ねていた客が帰宅後ほどなくして、夫は山荘の3階窓から玄関先へ転落して落命します。
介助犬とともに散歩から戻ってきた息子が、この悲惨な現場に出くわすという衝撃的なシーンからこの映画は動きだします。
警察の調べで、当時山荘には妻一人しかいなかったこと、さらにはこの時期、夫婦間には互いの執筆や生活面をめぐって諍いが絶えなかったことなどが浮き彫りとなり、妻は法廷へと引っぱり出されることに。
はたして夫は事故か、自殺か、他殺かをめぐって繰り広げられる緊張の法定ミステリーです。
▼ 2.『静かなふたり』2017年、エリーズ・ジラール監督。
友人とパリに越してきた主人公は孤独な女性、カフェの壁に貼られた求人広告から、ある古書店で働くことに。
店主は鋭い眼光の人を寄せ付けない変人で、女性から見れば祖父のような年齢。
はじめは戸惑いがあるものの、しだいに通い合うものが生まれ、やがて惹かれ合うように…。
この映画は、これというストーリーやあっと驚くどんでん返しがあるのではなく、言葉のやりとりや場面ごとの心情の描写が見どころ…だと個人的には思います。
とくに脚本は、言葉に無駄がなく、語り過ぎず、切り詰められたぶんニュアンスにあふれて見事だと思いました。
フランス人特有の、日常の隅々まであまねく行き渡るセンスや気風は、それそのものが文化であることを思い知らされます。
文化というと、ことさら身構えて、非日常の不自然に陥る日本とは、ずいぶんと隔たっていることも痛感。
「あー、シトロエンなんて、こういう人たちが無造作に使うものなんだなぁ…」と思うと、はるか東洋の島国でそれを愛玩する滑稽を悲しむ……といったら自虐が過ぎるでしょうか。
▼ 3.『バツイチは恋のはじまり』2012年、パスカル・ショメイユ監督
パリタクシーで好演したダニー・ブーンが、あれ以上に全身で活躍するラブコメディで、2とは真逆の痛快作品。
はじめはせわしない感じもありますが、すぐに慣れて面白く見ることができました。
ストーリーは映画にはありがちな話であえて説明する必要もありませんが、娯楽物でもハリウッド映画とはひと味違い、フランスの手にかかるとベタつかない感覚が好ましく、アメリカ車とフランス車の違いのように感じました。
シンプルに笑って楽しめる映画。
『パリタクシー』より10年前にもかかわらず、ダニー・ブーンのまったく変わらない様子に驚き、『静かなふたり』の名優ジャン・ソレルはこのとき83歳というのですから、お見事というほかありませんでした。
〜以上、いずれもAmazonPrimeで視られます。
お知らせ
レモンマン
いまさらですが、シトロエンの名前の由来はご存じですか?
『シトロエン 革新への挑戦』(ジョン・レイノルズ著 二玄社)を読んでいると、コラムでそれに少し触れられていたことから思い返し、CCJの小冊子などを引っ張りだして、少しまとめてみました。
アンドレ・シトロエンの父はオランダ人、母はポーランド人で、父方の祖先はアムステルダム界隈で植民地から送られてくるレモンやトロピカルフルーツを扱う商人だったことから、その商売にちなんで「Limoenman(レモンマン)」と名乗っていたそうです。
その後、オランダ政府が国民に姓名を定めて登録するということになり、そのときLimoenから、おなじくレモンを意味するCitroenと称するようになったそうです。
アンドレの祖父の代が、Citroenを名乗った初代のようです。
試しにGoogle翻訳に日本語で「レモン」と入れ、オランダ語に変換すると「citroen」と出てくるのはワォ!となりました。
レモンの商いで一族は財を成し、やがて宝石商など幅広い業種を手がけて裕福なファミリーとなって繁栄を広げていったようです。
その一員であった父も結婚し、二人してアメリカかフランス、いずれかへ行こうと迷った際、妻の実家であるポーランドに近いという理由からフランスになったのだとか。
こうして1878年、パリで生まれたのがアンドレだそうです。
両親のフランス移住後、フランスの流儀に従って「e」の上にトレマという・・がつくようになったことで我々の知るシトロエンとなり、これによってシトロエンのアクセントは、頭ではなく「エンの部分」につくようです。
ずいぶん昔、友人から「シトロエンって、レモンのことかなぁ?」と言われて、「はぁ? ぜんぜん違うよ!」と一笑に付した覚えがありますが、なんと、それが正しかったわけです。
子供のころ、リボンシトロンというジュースがありましたが、調べると今もあるようで、なんだか無性に飲んでみたくなりました。
以上、NHKのファミリーヒストリーのようなお話でした。
夢の世界
ひとつ前にaiharaさんによるクルマの博物館に関する投稿がありましたが、私の方でも似たようなネタがありましたので、ご報告します。
シトロエンの車輌コレクションとして随一のものというと、誰もがパリ郊外にあるコンセルヴァトワールを挙げるはず。
広大なスペースに、歴代シトロエンが見渡す限りびっしり居並ぶ景色はあまりに有名ですが、近年は一旦閉鎖されたとかなんとかで、今後の行方が気になるところ。
一部のファンはともかく、世間的にはシトロエンは所詮大衆実用車だからおそらくここが唯一だと思っていたら、さすがはフランス、他所にもシトロエン・ミュージアムがあることをネットで知るに及んで、ひとり盛り上がって興奮状態と相成りました。
もしかすると、知らぬは私ばかりだったのかもしれませんが…。
それは地中海にほど近い、フランス南東部のカステラーヌ(castellane)という、ウィキペディアによれば人口わずか1600人ほどの山間地域で、海沿いのカンヌから数十キロ山あいに分け入ったところのようです。
田舎のことではあるし「大したものではないだろう…」と高をくくっていたら、それがどうして望外の規模と質の高さだったことにあらためてびっくりし、思わず居住まいを正しました。
Citromuseumというようで、DS、GS、2CVなどは相当な台数が揃っているし、貴重モデルも数多く、GSビロトールやM35、LN、ほかにはシトロエングッズを集めた一隅や売店まであって、ふと我にかえれば目がカラカラになるまで見入ってしまいました。
さらに驚くのは、このコレクションには走行距離が極端に少ない個体がやたらと多く、1万km以下のものはザラ、ほぼ新車状態のGSAやCXなど幾台もあり、ただ片っ端から車体を集めて並べただけじゃないという点でも、瞠目すべきものでした。
アンリ・フラデという人が創設者だかオーナーだかのようですが、まだ壮年のごく普通のフランス人のように見えますが、これだけのコレクションを構築するとはいったい何者なのか…。
イギリスの2CV乗りの一行が訪れる様子があり、写真はその動画から拝借しましたが、欧州シトロエンファンの間では垂涎の訪問先なのかもしれません。
古いものではトラクシオン・アヴァンや初期の2CV、新しいほうはXantiaまで確認できたのですが、ハイドロモデルの起承転結を網羅するという意味でも、いずれC5とC6が追加されるのは当然だろうと期待します。
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余談ながら、私は、車の「色」というものは、デザインや性能に伍するきわめて大切な要素だと考えていますが、この点で、昔のシトロエンのカラーリングの素晴らしさにも、あらためて深い感銘を覚えました。
現代のそれは、あまりにも市場に媚び、売れ筋に依拠するあまり、色に対する本来の思慮が欠けており、一様にメタリック系のありきたりな無個性なものへ堕した観がありますが、昔の塗色にはしっとりとした滋味があり、やわらかで、色そのものにさえ独創性があり、きわめて注意深く考え抜かれ調合された絶妙の色合いには、作り手の美意識や背後にある文化を感じます。
むろんメタリックやパール系の色にも良いものはありますが、個人的には、やはりソリッドカラー特有の美しさが好きで、気品がありどこか愛らしさみたいなものが同居しているあの感じに心惹かれます。
名だたる名車やスポーツカーや、はたまた王族や皇族の御料車などに於いても、これは!という「トドメの色」となると、多くはソリッドカラーになっているよう思うのですが、それは私の偏見に過ぎるでしょうか…。
カステラーヌで検索しても、ほとんどなにも出てくることがなく、観光などには縁のない地域なのかもしれません。
アラビアンナイトの「開けゴマ」ではないけれど、これだけのお宝がそんな目立たぬ場所にひっそり蔵されていようとは、いやが上にもお伽噺のようなロマンを感じてしまいました。
YouTubeで「citroen castellane」と入れて検索すると、幾つかの動画が出てきますので、お時間のある方はどうぞ。
おしらせ
『パリタクシー』
パリを舞台にした、タクシー運転手と老女の触れ合いを描いた映画がよかったのでご紹介。(Amazon Prime)
人生を追い詰められた運転手がお客として乗せることになった老女は、自宅生活をやめて施設に入ることになり、その移動のためタクシーへ乗り込みます。
その車中での何気ない会話から、やがて驚くべき人生のあれこれが語られ、はじめは怒りっぽく無愛想だった運転手もしだいにこの老女に心を開きはじめます。
単なる移動だったものが、求めに応じて寄り道などするうちにそれは数時間に及び、ついには夜も更けて、打ち解けたぶん最後は辛い別れとなりますが…。
*
車はシトロエンではないだろう…という予測は当たっていて、ルノーのエスパス(たぶん)でしたが、パリで走る姿はなかなかのもので、背景として映り込む街並みの息を呑む美しさ、そしてなにより見る者の心に触れる人生の問いかけが見事。
決してベタベタせず、都会的な制御がかかっていて、さすがはフランスだと唸りました。
2023年フランス製作 監督はクリスチャン・カリオン
※写真はネットよりお借りしました。