3月関東地区ご報告

遅くなりましてすみません。

3月は通常のお茶会は休止として、茨城県笠間市の愛宕山というところでX(ツイッター)で告知のあった2代目C3にお乗りのやまねこカーライフさん主催のオフ会に参加してきました。
やまねこさんは2年ほど前にC3iiを購入され、故障がたくさんあったにもかかわらず投げ出すこともなく修理を完遂され、この度、最終形C5ツアラー(白)を増車されたので、そのお披露目でもありました。
現車は走行10万キロ超えとのことでしたが、前オーナーの手入れが良いらしくとても綺麗な内外装で、いい買い物されたなーと思いました。やまねこさんは仕事でもプライベートでも距離を走られる機会が多いそうで、お話を伺っているとC5ツアラーはまさに適役である感じでした。

CCQからの参加はKoさん、Naさん、Koさん、Kaさん、T夫妻と私の6台でした。Naさんは前日まで三重のご親族のところにお出かけになられてその翌日に栃木県経由でおいでになったそうで、まさにハイドロの威力発揮ですね。

↑事前集合した常磐自動車千代田PAにて。


そのほかの参加者はAX、C3初代と3代目各1台、DS3初代、C5の3型セダン各1台、その他プジョー数台でした。新しいハイドロのお迎えがハイドロ車でできたのはちょっと良かったですね。
会場は山頂の公園だったのですが、山腹の駐車場で一旦集合し、昼過ぎに山頂へ移動しました。

↑主催がお持ちになったドローンによる集合写真です。ハイドロずらり、、、

↑やまねこさんのツアラーです。最終型はダブルシェブロンだけでなくC5のフォントも違うんですね。知りませんでした。


愛宕山は関東平野の端に位置していて山頂からは霞ヶ浦が臨め、晴れていれば太平洋も見える様でした。当日はあいにく雪がちらつくもやのかかった曇天だったこともあり、霞ヶ浦がやっと、という感じでした。 
山頂のカフェでお昼を頂いた後、駐車場でおしゃべりして解散だったのですが、コーヒー好きな参加者は近くのやまねこさんのご案内で駅近くにある自家焙煎コーヒー屋さんに伺いました。CCQメンバーではコーヒーが苦手なTご夫妻を除き全員参加でした。

↑山頂のカフェとその眺め。晴れてたらさぞや、という感じでした。

コーヒー屋さんは焙煎がメインとのことでメニューはコーヒーとカフェオレだけというストロングスタイルでしたが、さすがに美味しくて都内だったら行列になりそうな感じでした。
幸い参加者が座る席はぎりぎりながらあったので、そちらで皆さん思い思いにお話に興じました。

↑民家を改装されたカフェだったのですが、ちゃんとデザインされたインテリアで、ゆったりできる空間になっていました。ちゃんとした喫茶店営業すればいいのに、と思うほどです。

私がお話しさせていただいたのはDS3にお乗りのひでゆきさんなのですが、一か月ほど前にGSブレークを入手されたそうで、現在不安なく乗れるように順次整備を予定しているとのことでした。オールドシトロエンの整備ができる工場も紹介され、今後そちらに健康診断を兼ねて入庫させるらしいです。


夕方に解散し、帰路に就いたのですが、常磐自動車道の上りはかなり渋滞していて時間調整を兼ねてサービスエリアで引き続き歓談されて帰られた方もいらっしゃったようです。
ご参加の皆様お疲れ様でした。

↑おまけですが、会場へ向かう利根川の橋で見かけた土手の菜の花。これだけも春を感じられますね。

↑↑ルノーエスパス3が止まってました。タイヤの空気だいぶ抜けてしまっている様で、不動車なのでしょうか、、勿体ない。。

GSを引き継ぎました

1月31日にGSを引き取りに行ってきました。臨時ナンバーを借りて佐賀~熊本まで、約100kmを自走します。積載車での輸送も考えましたが、納車整備をしていただいた巨匠のご子息(整備士)のご意見を聞いて、自走可能と判断。登録を終えたXmの高速テストを兼ねて、友人と二人で引き取りに行きました。

古参の会員の皆様にはお馴染みの巨匠のGSです。2か月間、ご子息に整備をしていただきこの日を迎えました。お昼過ぎにご自宅に到着、レクチャーを受けエンジンを始動。ムクムクと車高が上がり、エンジンもすこぶる快調に回っています。これなら乗って帰れるだろうと一安心です。近所のお寿司屋さんで一緒に昼食を取って出発に備えます。

住み慣れた街をゆっくり走るGSの後ろ姿。すごく、街並みに馴染んでいました。

熊本まで一般道を約100km、無理をせず休憩を挟みながら、順調に走ってきました。

ところが、自宅に近づくにつれて足回りから異音が。ハンドルを切るたびにガクガク、ゴリゴリ、尋常じゃない音と振動です。これはヤバいと思いつつ、やっとの思いで、自宅の駐車場にたどり着きました。

右側のドライブシャフトかサスペンションに異常がありそうです。
これから、GSとの格闘の日々が始まります。

ロータリー

前回/前々回に続いて、エンジンにまつわる話を。

往時はフランス最大にして、国の威信をも背負う自動車メーカーにまで登りつめたシトロエン社ですが、フラッグシップには既存の4気筒OHVを排気量拡大を繰り返しながら、ついにはCX生産終了まで3世代を跨いで40年も使いまわしたという事実は、長寿というより唖然とさせられるものがあります。
DSの登場でエンジンも一新される計画もあったのに、ハイドロニューマティックがあまりに世間の注目を集め、エンジンにまで注意が廻らなかったのか、この点をすんなり乗りきったのはいいけれど、いらいシトロエンのエンジン開発に対する意欲はますます失われたのでしょうか。

長寿という点では2CV用フラットツインも同様ですが、稀に見る名機であったことと、2CV専用という趣で、これに代わる新エンジンの必要はなかったように思われるところが、少し事情が違うように思います。
デビュー当初はわずか375ccでスタート、その後425cc、さらにはアミ6への搭載に際して602ccまで拡大され、我々に最も馴染みのある2CV6は602ccエンジンとなり、モデル末期はこれが標準になります。(さらLNやVisaへの搭載にあたっては652ccまで拡大されている)

そういえば、むかし2CVに乗るメンバーから聞きましたが、リアの「2CV6」のエンブレムを見た人から「これ、V6なんですか?」と真顔で聞かれたそうで、笑いが止まらなかったとか。

GSのエンジンは新設計の空冷水平対向フラット4ということになっていますが、2CV用エンジンを2つ貼り合わせたもので、はじめは1015cc、後に1220となり、最後は1300となって、そこらが排気量アップの限界だったようです。
以前、2CVのエンジンを「ストレスなくよく回る故障知らずの名機」と評されていたと書きましたが、このGS用フラット4も同様にタービンのように良く回るとのこと。

しかし、以降、小型車用/フラッグシップ用いずれにおいても、これという新しいエンジンが出てくることは基本なかったようで、その裏には下記のような目論見も隠れていたのかも?ということが推察されるところ。

1960年代後半、当時の社長であるピエール・ベルコは、アンドレが打ち立てたシトロエンの社是である革新技術をもって再び世に打って出るべく、その切り札というのがロータリーエンジンだったようです。
ドイツのNSU(世界初のロータリーエンジン搭載車を作る)と技術提携して共同研究がなされ、GS/CXはロータリーエンジンの搭載も念頭に置いた設計だったというのですから、当時はかなりの強い意志と期待感をもって挑んでいたように思われます。
その研究の一環として、アミ8風2ドアボデイに、ハイドロニューマティック+ロータリーエンジンを組み合わせた「M35」が作られ特定のユーザーのみに販売された後、有名なGSビロトールの登場に至ります。

[M35]なんという露わ、放埓、懶惰、美醜判然としない強烈な造形!今でいうならブサカワ?

GSビロトールは本格的な生産化に近づけたモデルのようでしたが、実際には克服すべき未完成部分は積み残したままで、なによりロータリーエンジンで不可避の燃費の悪さが克服できなかったこと、さらにはオイル・ショックも追い打ちをかけ、SM同様プジョー経営陣の判断によって開発は志半ばで打ち切られます。
GSビロトールはシトロエン自身も失敗を認めたようで、可能な限り回収してスクラップにされたため、現在残る個体はそれを免れた貴重な生き残りといえ、回収を拒否する顧客に対しては、以降パーツの供給はできないことに同意する約束が交わされたとか。
私も20年ほど前にフレンチブルーミーティングで実車を見たのが最初で最後です。

[GSビロトール] 1973年秋からわずか15ヶ月、847台が生産された薄幸のモデル。前後フェンダーに僅かに付けられたフレアーがビロトールの証。買い戻されたビロトールは長年ラ・フェルテ・ヴィダムにしまい込まれ、スクラップにされたのは実に1986年だったというのも、なにやら奇怪な小説のようでそそられます。

ちなみにビロトールという名のビは2つという意味で、2ローターを表していたとか。
同じ時代、ロータリーエンジン搭載車では共同研究の相手であったドイツのNSUにはRo80という、きわめて斬新かつ異色な車がありましたが、これも大量に出回ることなく姿を消したようです。

ロータリーエンジンが実用に足るエンジンとなっていたら、シトロエンのドライブフィールは、より未来的で洗練されたものになっていただろうと思われますが、先進技術というものはモノにできなければ手痛い敗北が待っており、失敗のリスクをどう捉えるかが難しいところですね。
アンドレは、先進技術のためには失敗を恐れることを最も嫌ったそうですが、時代も下るにしたがって自動車業界は厳しさに拍車がかかり、失敗は企業にとって決して許されないことになり、クルマ社会もしだいに冒険やロマンを失っていったのかもしれません。

これは世の趨勢なので仕方がないことですが、シトロエンはハイドロニューマティックに象徴される、サスペンションやボディなど、動力以外の部分にこだわり抜いたという点で独創的で、他に例のない偉大なブランドとして自動車史に深く刻まれるのは間違いありません。

シトロエンだけでなく、フランス車全体がエンジンに関してはふるわなかった最大の理由は、技術の問題ではなく、前回書いたようにフランスの課税馬力という制度が大きく関係していたといまさらのように思います。
それがなければ、コンコルドで超音速飛行を支えたスネクマエンジンのように、フランス的な創意にあふれた魅力的なエンジンがいくつも誕生していたでしょうし、そこから枝が伸びて高級車やスポーツカーが数多く生まれていたことだろうと思います。

【補筆1】
NSU Ro80といえば少し話が逸れますが、アウディのマークである4リングは、4社統合の象徴であることは有名で、アウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーが集まってアウトウニオン(自動車会社の連合)となり、NSUも吸収合併されて少なくとも1970年代までは、アウディは正式には「アウディNSUアウトウニオン社」と称し、当時のヤナセのカタログにもそのように記されていました。
あの歴史的な名車とされる初代ゴルフ(1974年)のメカニズムは、1972年発表され翌年のCar of the yearに選出されて高い注目を集めていたアウディ80から多くを移し替えたものだったことは昔も今もタブーのように語られません。ゴルフに1年先行したパサートはアウディ80のファストバック版というだけだし、その前のK70もNSU Ro80のレシプロエンジン版をそっくり奪い取ってVWのマークをつけたもの。
当時のVWはまだビートルの呪縛から脱却できず、そのぶん先進技術でも新車開発の発想の面でも遅れていたようで、初代ゴルフはとうていVW単独では開発できた筈がないと私は思っています。その後アウディはVWと完全に合流しますが、シトロエンとともにロータリーエンジンを研究していたNSUも、VWというクジラの胃袋に呑み込まれて、いつしかその名声も消えてしまいます。

[NSU Ro80]この時代のドイツ車としては一線を画するようなやわらかいラインを纏ったボディは、どこかフランス的に見ようと思えば見えませんか? 70年代のドイツ車といえば、ビートルと911以外は武骨な直線づくしが当たり前だった中、ハイドロニューマティックが似合いそうなエレガントな雰囲気があり、まるでエンジン始動とともに車体がせり上り、ふわんとテールを沈ませながら加速していくように見えてしまいます(もちろんハイドロじゃありません)。そしてこのホイール、SMのオプションとして使われたミシュラン製カーボンファイバーのホイールに酷似しており、時代も一致していることから、もしや共用していたのでは?とも思われますが、まあ…それは考えすぎでしょうね。

【補筆2】
私ごとで恐縮ですが、むかし身内にひとりのフランス人がいたのですが、私が幼いころ日本にやってきて、東京で生活を始めて日本で最初に買った車が、発表されたばかりのマツダ・サバンナRX3でした。彼はこれがたいそうご自慢で、どこへ出かけるにも自分の車を使いたがり、それはもう喜々として乗っていました。
見た目が野良犬みたいで好みではなかったけれど、加速するたびにキューンキューンという甘い泣き声みたいな音を発しながら、きわめて滑らかにエンジンが回っているのは子供心にもなんとなくわかりました。彼はパリでは2CVに乗っていたそうで、いま思えば、当時のフランス人は我々が考える以上にロータリーエンジンに対する思い入れが強かったのかもしれません。「ドイツは敵の国!」といいながらドイツ音楽を愛し、メルセデスを軽蔑しながら崇拝もしていて、好みと評価と矛盾ということを同時期に覚えたような…。
NSUもシトロエンも成し遂げられなかったロータリーエンジンを、ともかく製品化し、長らく製造・販売していたマツダはその点において自動車史に足跡を刻んだのかもしれません。ヨーロッパでは我々の想像以上にマツダが評価されているという話の根底には、ロータリーエンジンでの実績があるのかなぁ?と思います。

1998年 Citroen Xm

1月に中古新規で車検を受けて、無事合格、晴れてナンバーが付きました。
1998年 Citroen Xm EXCLUSIVE ブルーモーリシャス です。
内外装は申し分なく、白濁しやすいモールもシルバーに輝いています。屋内駐車で大切にされていた個体であろうことが想像されます。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 26645_1-2-1024x768.jpg

昨年12月に登録する予定でしたが、車検の前日に下血を発見。やむなく車検はキャンセルしました。原因箇所はブレーキバルブで、右前輪の後ろにLHMが漏れていました。部品の到着を待って修理することになりました。

ここは、LHMがよく漏れる場所でゴムのキャップに穴が開いていました。ブレーキバルブの取り外しは、右ハンドルで良かったと思えるところ。左ハンドルは地獄です。
社外品が付いていたことで、2回目の交換と窺えます。今回は、運よく純正部品が入手出来ました。一緒にOリングとシールパイプも交換します。

これで、車両の購入から約1年かかりましたが、ようやく登録できるまでになりました。


以下、これまでに修理・改善した個所を記しておきます。
・リアサスペンション スフィア交換
・ATシフトレバー修理
・ドットマトリックス修理
・シフトポジション インジケーター修理
・LHMサクションホース交換
・セルカッチン対策
・フロントサスペンションブラケット突き抜け対策
・燃料ポンプ修理
・パーキングブレーキワイヤー抜け修理
・ヘッドライトLEDバルブ交換
・エキゾーストパイプ排気漏れ修理
・ブロアファン交換

1/14に熊本陸運支局で車検を受けて、無事に一発で合格、中古車新規登録できました。

今回の、Xm購入から路上復帰は、同好の士の協力、部品や情報の提供によって成し遂げられました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

2月関東お茶会ご報告

通常より1週間早めて関東お茶会を開催しましたのでご報告します。

今月は1月に引き続きいっちょう東松山店での開催となり、参加者はKoさん、Naさん、Kaさん、T夫妻と私であり、これまで皆勤賞だったNoさんがあいにくの体調不良で欠席されました。

参加車両は新旧C5が4台に加えてNaさんが雪対策もあって、普段の2cvやC5ではなく三菱のアイで参加されました。この車は私が気になっている車でもあり、興味深く拝見させて頂きました。

主な話題は千葉県にあるポルシェやコーンズが所有しているプライベートサーキットのことや終の車(終のシトロエン)でした。関東地方では技術的に有力とされてきていたシトロエン板橋とシトロエン千葉が昨年末をもって新車販売を行わないサービスポイントに格下げとなりました。販売店が減ると新しいシトロエンが買いにくくなりますし、電子制御のハイドロ車は部品の問題や技術力のある工場の減少により維持が難しくなりつつなってきました。こうした中、思い切ってクラッシックシトロエンに行くか、はたまた国産車か、、皆さん少しずつ考えはじめている様でした。

いっちょうは昨今の物価高騰の中でも相変わらずのコスパの良さですね。私たちが退店した21時過ぎでもまだお客さんが待ってました。

Xmはどうなった?

今年の3月に、新門司港まで迎えに行ったXmですが、特に急いで登録する必要も無く、ダラダラとしていました。内外装に不満は無く、いつでも車検が受けられる状態ですが、気になるところが無いわけでもありません。

不具合その1 リアサスペンション・スフィアがパンクしているようです。純正球が付いていますが、もう手に入らないのでIFHS球に交換ですね。

不具合その2 シフトノブが崩壊しています。毎回触るとこなので、このままでは気持ち悪いです。

不具合その3 ドットマトリックスが読めません。お約束ですが、修理できます。

不具合その4 シフト・インジケーターが点灯していません。これは初めて、不便なのでメーターを開けてみます。

年内に車検を取るつもりで予約をとりましたが、最後にハプニングがあり越年決定です。(つづく)

高松行き(3) c5ブレークでの長距離走行

今回、C5ブレークの後席で長時間過ごし、帰路の神戸から浜松まで運転をさせていただきましたが、この車の性能の高さに驚きました。4人乗車して荷物をしっかり積むことで乗り心地がどっしりして無駄な揺れがほとんどなく、フラットなままで高速道路を走っていました。

後席に座っていても揺れをあまり感じないのシートを含めた居住空間の出来の良さも相まって、殆ど疲れないままで時間を過ごせていてずっとここで良いな、、と思っていました。同型のブレークを11年所有しましたが、生憎後席で長時間移動したことはなかったので知る機会がなかったです。

また、ドライバー交代して2.0を久しぶりに長距離運転しましたが、パワーも必要十分で4人乗車でも追い越し車線にも不安なく出られるのでストレスなかったです。乗客として乗る分にはAL4もシフトアップとダウンが少ない分のんびりした感じになりますし。コンフォート玉が装着されていることでロールは大きめなのでそこを押さえて運転すれば、ドライバー、乗客とも長距離は疲れ知らずで移動ができる素晴らしい車でした。

新車での販売当時、故障が多いという噂や、シトロエン販売網の再編(新西武からシトロエンジャポンへ)などの影響で販売台数が伸び悩んだのが惜しまれる限りです。

高松行き(2) C5部品取り車の話

午後から工場を訪問してHさんご挨拶してからC5を確認。既に部品をお願いしているので分解が進んでいました。現車は5年くらい屋外に放置されていたようで、外装にはコケが生えたりしていましたがへこみもなく、内装は走行6万キロ台だったのでとてもきれいでそのまま処分するにはとてももったいない。

最初、SNSにアップされた写真ではTさんと同じグリファルミネーター(ガンメタ)かと思っていましたが、実車はノアールオプティシアン(黒のメタリック)でC5では初めて見た色であり、左ハンドルであることも相まってC5iiの初期導入車の様でした。もし同色であればTさんや私の車の外装として使えるな、、と思っていたのですが残念ながら叶わずでした。

Hさんによると解体屋さんから工場までは自走で運んできたそうで、ATもエンジンも問題なさそう、との判断でした。ただフロントのストラット付け根の高圧ホースからのLDS漏れがそれなりにあったので、Hさんによると前オーナーはディーラーとかでパーツ供給の問題や修理代がかかることを脅されて乗るのを諦めてしまったのかも、とのこと。また、今回の部品どり車の話はHさんがSNSに公開されたのに要望を出したのがCCQ関東の3人だけ(KoさんはCCQホームページ経由)というのが何とも寂しい限りでオーナーが極めて少ないんだな、というのを痛感しました。

約1時間現地滞在し、追加で取れるものを取って、一部のものはTさんのブレークに積み込んで帰路につきました。大物を含め、殆どの部品は今度Hさんが東京に来られるとのことだったので運んでいただくお願いをしました。

昨日(12月21日)積載車で上京されたのでハイエースで引き取って、それぞれの家や工場に運びました。