前回/前々回に続いて、エンジンにまつわる話を。
往時はフランス最大にして、国の威信をも背負う自動車メーカーにまで登りつめたシトロエン社ですが、フラッグシップには既存の4気筒OHVを排気量拡大を繰り返しながら、ついにはCX生産終了まで3世代を跨いで40年も使いまわしたという事実は、長寿というより唖然とさせられるものがあります。 DSの登場でエンジンも一新される計画もあったのに、ハイドロニューマティックがあまりに世間の注目を集め、エンジンにまで注意が廻らなかったのか、この点をすんなり乗りきったのはいいけれど、いらいシトロエンのエンジン開発に対する意欲はますます失われたのでしょうか。
長寿という点では2CV用フラットツインも同様ですが、稀に見る名機であったことと、2CV専用という趣で、これに代わる新エンジンの必要はなかったように思われるところが、少し事情が違うように思います。 デビュー当初はわずか375ccでスタート、その後425cc、さらにはアミ6への搭載に際して602ccまで拡大され、我々に最も馴染みのある2CV6は602ccエンジンとなり、モデル末期はこれが標準になります。(さらLNやVisaへの搭載にあたっては652ccまで拡大されている) そういえば、むかし2CVに乗るメンバーから聞きましたが、リアの「2CV6」のエンブレムを見た人から「これ、V6なんですか?」と真顔で聞かれたそうで、笑いが止まらなかったとか。
GSのエンジンは新設計の空冷水平対向フラット4ということになっていますが、2CV用エンジンを2つ貼り合わせたもので、はじめは1015cc、後に1220となり、最後は1300となって、そこらが排気量アップの限界だったようです。 以前、2CVのエンジンを「ストレスなくよく回る故障知らずの名機」と評されていたと書きましたが、このGS用フラット4も同様にタービンのように良く回るとのこと。 しかし、以降、小型車用/フラッグシップ用いずれにおいても、これという新しいエンジンが出てくることは基本なかったようで、その裏には下記のような目論見も隠れていたのかも?ということが推察されるところ。
1960年代後半、当時の社長であるピエール・ベルコは、アンドレが打ち立てたシトロエンの社是である革新技術をもって再び世に打って出るべく、その切り札というのがロータリーエンジンだったようです。 ドイツのNSU(世界初のロータリーエンジン搭載車を作る)と技術提携して共同研究がなされ、GS/CXはロータリーエンジンの搭載も念頭に置いた設計だったというのですから、当時はかなりの強い意志と期待感をもって挑んでいたように思われます。 その研究の一環として、アミ8風2ドアボデイに、ハイドロニューマティック+ロータリーエンジンを組み合わせた「M35」が作られ特定のユーザーのみに販売された後、有名なGSビロトールの登場に至ります。
[M35]なんという露わ、放埓、懶惰、美醜判然としない強烈な造形!今でいうならブサカワ?
GSビロトールは本格的な生産化に近づけたモデルのようでしたが、実際には克服すべき未完成部分は積み残したままで、なによりロータリーエンジンで不可避の燃費の悪さが克服できなかったこと、さらにはオイル・ショックも追い打ちをかけ、SM同様プジョー経営陣の判断によって開発は志半ばで打ち切られます。 GSビロトールはシトロエン自身も失敗を認めたようで、可能な限り回収してスクラップにされたため、現在残る個体はそれを免れた貴重な生き残りといえ、回収を拒否する顧客に対しては、以降パーツの供給はできないことに同意する約束が交わされたとか。 私も20年ほど前にフレンチブルーミーティングで実車を見たのが最初で最後です。
[GSビロトール] 1973年秋からわずか15ヶ月、847台が生産された薄幸のモデル。前後フェンダーに僅かに付けられたフレアーがビロトールの証。買い戻されたビロトールは長年ラ・フェルテ・ヴィダムにしまい込まれ、スクラップにされたのは実に1986年だったというのも、なにやら奇怪な小説のようでそそられます。
ちなみにビロトールという名のビは2つという意味で、2ローターを表していたとか。 同じ時代、ロータリーエンジン搭載車では共同研究の相手であったドイツのNSUにはRo80という、きわめて斬新かつ異色な車がありましたが、これも大量に出回ることなく姿を消したようです。
ロータリーエンジンが実用に足るエンジンとなっていたら、シトロエンのドライブフィールは、より未来的で洗練されたものになっていただろうと思われますが、先進技術というものはモノにできなければ手痛い敗北が待っており、失敗のリスクをどう捉えるかが難しいところですね。 アンドレは、先進技術のためには失敗を恐れることを最も嫌ったそうですが、時代も下るにしたがって自動車業界は厳しさに拍車がかかり、失敗は企業にとって決して許されないことになり、クルマ社会もしだいに冒険やロマンを失っていったのかもしれません。
これは世の趨勢なので仕方がないことですが、シトロエンはハイドロニューマティックに象徴される、サスペンションやボディなど、動力以外の部分にこだわり抜いたという点で独創的で、他に例のない偉大なブランドとして自動車史に深く刻まれるのは間違いありません。
シトロエンだけでなく、フランス車全体がエンジンに関してはふるわなかった最大の理由は、技術の問題ではなく、前回書いたようにフランスの課税馬力という制度が大きく関係していたといまさらのように思います。 それがなければ、コンコルドで超音速飛行を支えたスネクマエンジンのように、フランス的な創意にあふれた魅力的なエンジンがいくつも誕生していたでしょうし、そこから枝が伸びて高級車やスポーツカーが数多く生まれていたことだろうと思います。
【補筆1】 NSU Ro80といえば少し話が逸れますが、アウディのマークである4リングは、4社統合の象徴であることは有名で、アウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーが集まってアウトウニオン(自動車会社の連合)となり、NSUも吸収合併されて少なくとも1970年代までは、アウディは正式には「アウディNSUアウトウニオン社」と称し、当時のヤナセのカタログにもそのように記されていました。 あの歴史的な名車とされる初代ゴルフ(1974年)のメカニズムは、1972年発表され翌年のCar of the yearに選出されて高い注目を集めていたアウディ80から多くを移し替えたものだったことは昔も今もタブーのように語られません。ゴルフに1年先行したパサートはアウディ80のファストバック版というだけだし、その前のK70もNSU Ro80のレシプロエンジン版をそっくり奪い取ってVWのマークをつけたもの。 当時のVWはまだビートルの呪縛から脱却できず、そのぶん先進技術でも新車開発の発想の面でも遅れていたようで、初代ゴルフはとうていVW単独では開発できた筈がないと私は思っています。その後アウディはVWと完全に合流しますが、シトロエンとともにロータリーエンジンを研究していたNSUも、VWというクジラの胃袋に呑み込まれて、いつしかその名声も消えてしまいます。
[NSU Ro80]この時代のドイツ車としては一線を画するようなやわらかいラインを纏ったボディは、どこかフランス的に見ようと思えば見えませんか? 70年代のドイツ車といえば、ビートルと911以外は武骨な直線づくしが当たり前だった中、ハイドロニューマティックが似合いそうなエレガントな雰囲気があり、まるでエンジン始動とともに車体がせり上り、ふわんとテールを沈ませながら加速していくように見えてしまいます(もちろんハイドロじゃありません)。そしてこのホイール、SMのオプションとして使われたミシュラン製カーボンファイバーのホイールに酷似しており、時代も一致していることから、もしや共用していたのでは?とも思われますが、まあ…それは考えすぎでしょうね。
【補筆2】 私ごとで恐縮ですが、むかし身内にひとりのフランス人がいたのですが、私が幼いころ日本にやってきて、東京で生活を始めて日本で最初に買った車が、発表されたばかりのマツダ・サバンナRX3でした。彼はこれがたいそうご自慢で、どこへ出かけるにも自分の車を使いたがり、それはもう喜々として乗っていました。 見た目が野良犬みたいで好みではなかったけれど、加速するたびにキューンキューンという甘い泣き声みたいな音を発しながら、きわめて滑らかにエンジンが回っているのは子供心にもなんとなくわかりました。彼はパリでは2CVに乗っていたそうで、いま思えば、当時のフランス人は我々が考える以上にロータリーエンジンに対する思い入れが強かったのかもしれません。「ドイツは敵の国!」といいながらドイツ音楽を愛し、メルセデスを軽蔑しながら崇拝もしていて、好みと評価と矛盾ということを同時期に覚えたような…。 NSUもシトロエンも成し遂げられなかったロータリーエンジンを、ともかく製品化し、長らく製造・販売していたマツダはその点において自動車史に足跡を刻んだのかもしれません。ヨーロッパでは我々の想像以上にマツダが評価されているという話の根底には、ロータリーエンジンでの実績があるのかなぁ?と思います。