2 シトロエン購入

そんな経緯もあり、後年はじめて買ったシトロエンがCXだったのは当然の成り行きだったかもしれません。ただしそれは2400IEのPrestigeで、自分でハンドルを握るくせにホイールベースだけで3mを超えるこんなモデルを買うなど滑稽の謗りを免れませんが、当時はまだ程度の良いCXがそこそこあり、84年型の中古でしたが程度がよかったことと、Pallasにくらべていくらか稀少モデルということもあってこれになりました。
旧式なOHVの2.4Lだからパワーはないけれど高速性能は抜群で、東名を4名乗車でベタ踏みしたらボビンメーターがもう少しで一周するぐらいの速度でも不安なく巡航することも可能でした。
はじめてのシトロエンである上に、慣れるまで車体をヨロヨロさせてしまうパワーセンタリング、長いフロントオーバーハング、さらに長大なホイールベースが相まって内輪差もたいへんなもので、楽に動かせるまでには多少の習熟を要し、納車間もないころ、さっそく左折時にリアフェンダーをザーッと電柱で擦ったこともいい教訓になりました。

シトロエン(とくにCX)に乗り始めることは、それまで身につけた運転技術の多くがやり直しをさせられるようで、運転とは素早く正確でダイナミックなものかと思っていたものが、シトロエンは音楽でいうピアニシモとアンサンブルの妙であり、人と車が呼吸を合わせられるようになるまでには少々の時間と習熟を要するけれど、それを理解し会得すれば悦楽の境地が待っていて、これは決して助手席からではわからないものでした。

かくして私のシトロエンとの関係が始まりましたが、CCJに正式入会したのはさらに遅れに遅れて、福岡に戻って数年経ってからだったと思います。
CX は素晴らしい車ではあるけれど周知の通りの蒲柳の質で、夏にクーラー(形だけは前後のデュアルクーラーという尤もらしいもの)を入れるだけでも罪悪感を感じるなど、常に不安やもしもの場合の覚悟も必要なことはすでに認識していましたし、おまけにクルマは好きでも生来のメカオンチであることから、自分での対処などおぼつかず、そんな私がシトロエン仲間もない環境で独りこれに乗り続けることに自信がなかったこともあったと思います。

もちろん入会したからといって、クラブが直接修理やメンテのお世話をしてくれるわけではありませんが、あえていうなら「精神的な保険」のようなものだったかもしれません。
すでに別の機会にも書いたことがありますが、私がはじめて携帯電話を持つようになったのもシトロエンのせいで、いつどこで立ち往生するかもわからない車に乗る以上、すぐに懇意の工場やディーラーに連絡するための備えとして、羊羹のように重い携帯がカバンの底にベタッと横たわるようになりました。

とくに決定的だったのは、2台目のCX(シリーズ2の25GTi)で市内を走行中、何の前触れもなしに突然エンジンがプツンと停止し、交通量が極めて多く、止まることさえ危険な川沿いの道路で立ち往生した時でした。
同乗していた親をひとまずタクシーを拾って帰宅させ、こちらは公衆電話を求めてゼェゼェいいながら走り回りながら、情けなくて、恥ずかしくて、腹立たしくて、パニックになりそうな苦い経験をしてからでした。
これはCXではよくあるピックアップセンサーの不調か何かでしたが、それに心底懲りてまだ通話料も安くない携帯電話の契約をしたのでした。