5 CCQその後

CCQに話を戻します。
新入会員の中には私を会長かなにかと勘違されている方がおられましたが、それはまったく違うし、そのつど猛然と否定してきました。
たしかにシトロエンクラブ九州が生まれるきっかけを作ったことは認めますが、そもそも会長などというものが生来きらいだし、自分に似合わないこともよく知っており、実際そうであったことは一瞬たりともありません。
そんなものはまっぴらごめんで、むしろ無いほうがいいとさえ思っていたぐらいで、それは今でも変わりませんから、そんなものは設けないでクラブとして存在し続けていました。

そうはいっても一時期CCQもかなりの大所帯になったこともあり、そろそろクラブをどなたかに託して、きちんと束ねていただくほうがいいのかも…と考えるようになり、シトロエン愛とお人柄の素晴らしい I さんにお願いして会長になっていただきました(他の方がなるぶんは構わないので)。
同時に私はCCQ の一切から手を引いて、いちメンバーとしてミーティングに参加する気楽さを得たわけです。

I さんは数年間にわたり会長としてCCQをやわらかに率いてくださったのですが、ご自身の事情もあって惜しくも退会されることになり、そこから再び会長不在となります。
その後もミーティングは運営の方々の協力で続けられましたが、このころから時代も変化をきたし、世の中は厳しさを増し、多様化の波が押し寄せてきたように思います。クルマ離れなどという言葉もチラホラ耳にするようになり、販売も不振が続くなどクルマがかつての圧倒的な地位を失い始めたのかもしれません。
それが直接の要因かどうかはわかりませんが、創設いらい続いてきた月例ミーティングもしだいに途絶えがちになり、やがて開店休業のような状態に陥りました。CCQそのものがオイル漏れをおこして、路肩に立ち往生したとでもいうべきでしょうか。
ここらがクラブとしても時代のひとつの区切りだったようにも思います。

いま思えばそれなりの記録を残すべきだっただろうと反省していますが、初期の会報に書き記したもの以外にそれらしいものはなく、ミーティングも何回やったか正確な数字はわかりません。
しかし、少なくともはじめの十数年は毎月どこかへ必ずといっていいほど出かけていたことを考えると、どう低く見積もっても百数十回はやったんだろうと考えられますし、後年もお茶会をクラブイベントとしてカウントしていいなら、あるいは200回の大台を超えているかもしれません。

ミーティングの行き先も日帰りできる範囲の主要なところはほぼ網羅したのではないかと思われ、主だったところは行き尽くした感があります。
それだけの数にもかかわらず、これといった事故のたぐいもなく、もっぱら愉快に過ごせたことは特筆に値することだろうと、ここは自信をもって思います。

※その後、大分のAさんによれば、氏が入会されて以降のミーティングの案内はすべてファイリングされているのだそうで、終わればポイと捨てていた筆者に比べて、驚きとともに感心しましたが、これを見せていただけたらかなり細かいことがわかるかもしれません。