CCQは、2023年には創立30週年を迎えます。
近年は、伝統あるクラブを含む多くのカークラブが時代の波に乗れす、世代間の断絶、その他もろもろの理由から次々に消滅しているのだそうで、もはやカークラブという文化が絶滅危惧種の領域に入りつつあるのかもしれません。
たまにワンメイクのクラブが急に立ち上がったかと思ったら、ディーラーが主導する顧客サービスとしての(顧客離反防止&新規獲得目的の)ものだったり、SNSなどを使った様々なイベントまで、その形体も目的も在り方も、多様化の様相を呈してしているようです。
新聞やテレビが衰退し、ネットがそれに取って代わるような時代ですから、それも時代の趨勢なのでしょうが。
そんな世相の中にあって、CCQのような旧式の小さなクラブが30年近くも生きながらえていることは驚くばかりです。
それだけ長続きするための何か秘訣でもあったのかといえばなにもなく、美肌の持ち主の言い草ではありませんが「なにもやっていません、ほんとうに」というのが偽らざるところで、これといったルールも設けず、先にも書いたように、会長も組織もないまま(ごく一時期を除いて)、ひたすら集まっては楽しんできたという、ただそれだけとしかいえません。
聞き及ぶところでは、他のカークラブでは趣味の集まりというのに、会社組織を模倣したような権力構造に陥る例が多く、ことさら上下関係を作り出してしまうケースが珍しくないんだとか。
私などから見れば、日常を離れて楽しく純粋であることが最大の価値であるはずの遊びを、そんなつまらない通俗社会のテイストにしてしまうなんて、愚の骨頂にしかみえません。それにより必ず不平等が起こり、威張る人と威張られる人にわかれ、不満が燻り、行き着く先はもめ事と分裂でしょう。
しかも、こちらのほうが多数派というのですから、びっくりです。
したがって、何もしなかったということは、結果から見てこれぞ正解だったのかとも思います。べつに深慮遠謀からそうしたではありませんが、たまたま初めの旗振り役だった私がそういうことをなにより嫌悪しているから、ごく自然にしなかっただけのことですが、それが幸いしたらしいと今になって少し思います。
のみならず、CCQは幸運なことに多くの素晴らしいメンバーに恵まれたことも大きく、皆さんが集まることによって、いつともなしに出来上がったCCQの空気感というのがあり、稀にそういう体質が合わない人は自然に去っていかれたのかもしれません。
例えば、ごく当たり前だと思いますが、クラブにおいて学歴や職業などは一切関係なく、これを聞いたり話題にするようなことはまずありませんし、みなさん仕事の話やそれに準ずる話題をされることもほとんどありません。しかも、それらはことさらにルール化されたものではなく、ごく自然に醸成された平等精神からそうなっているだけですが、これはフランス国旗の自由平等友愛の精神にも適っているような気がします。
また、そういう感性の持ち主だからこそシトロエンのような車を選んだ人達なんだといえるかもしれません。
さらに私が個人的に感じているのは、言葉の問題もあるような気がしています。
CCQでは、どんなに親しく長いお付き合いの間柄であっても、皆さんお互い普通に「です、ます」の言葉を崩しませんし、相手のことは「さん」というごく普通の敬称で呼び合います。決して職業を鑑みて「先生」とか、あるいは親しみをこめて「ちゃん」や「クン」で呼びかけることはまずありません。
使う言葉には、それ自体に意味と機能性を持っているもので、それが一定の礼節と距離感を保つ役割を果たしているようにも思われ、これは非常に大事なことだろうと思います。
こういうことはつい見落としがちですが、私の見るところではCCQの誇れる部分のひとつだと思っています。
そもそもいい歳の大人なのだから、ヘンな友達口調でガァガァしゃべるより、自然な「ですます語」のほうが日本語としてもきれいですよね。
創設からの経過を駆け足で(といっても長すぎました)綴ってみましたが、また思い出すことがあればコラムで加えていきたいと思います。