3 ある物語

私がはじめて2CVを手に入れて、喜び勇んで乗り回している頃、とある大型スーパーの駐車場に停めて、買い物を済ませて戻ってきたところへ、一人の女性がもじもじしながら駆け寄ってきました。
「これシトロエンですよね」「はい」「あの…私これがものすごく好きなんです」というわけで、オーナーが戻ってくるのを待っていたようでした。

長崎出身の若い女性で、そのころは福岡の美容学校に通っていて、まもなく卒業して長崎に戻るとのことでしたが、みるからに性格が良さそうで、すぐに顔を赤らめるような引っ込み思案なところがあるけれど、長身でどこかマリア・カラスのようなきっぱりした美貌の持ち主でした。働き始めたら、いつか必ず(2CVを)手に入れると心に決めているのだそうで、とりあえずクラブ入会のための持ち合わせの資料を渡し、後日入会の運びとなりました。
昔も今も、CCQの入会資格はシトロエンオーナーであることが条件ではありませんので。

それからしばらくは、長崎のメンバーの助手席に乗るなどしてときどき参加していましたが、彼女の2CV熱は相当なもので、ミーティングに来てもその熱い眼差しは、いつも2CVのみに注がれてたのが傍目にもわかるほどでした。
それからどれほど経った頃だったでしょうか、長崎は世界遺産になるほど教会がたくさんあるから願いが天に届いたのかどうかわかりませんが、ほどほどの状態のフランス製チャールストンが「かなり格安であるけど買う人はいませんか?」という話が舞い込み、真っ先に彼女に伝えてみたところ、電話口で「キャア」というほど喜んで、ふたつ返事で買うことになりました。予定より早くオーナーになれたその喜びようたるや、まわりがつい笑ってしまうほど尋常ならざるものでした。

やがて運転にも慣れて美容室の休みが取れる日にはミーティングにも参加していましたが、聞けばチャールストンの暗い色加減がイマイチ好きではないらしく、ゆくゆくは色をもうすこし可愛くしたいとのことで、その費用を貯めるつもりとのこと。
すると誰が言い出したのか、素人作業でいいならできるのでは?ということになり、メンバーの自宅の庭先を使って、面白半分に塗り替え作戦をやることになりました。はじめは2CVなら数人がかりでやればできるだろうぐらいの気軽に構えた感じでしたが、外せるものは外したり、マスキングをしたり、古い塗装を剥がすだけでも骨の折れる作業で、数人がかりで朝から丸一日かけて夕方ギリギリにどうにか出来上がりました。
ボディとフェンダー、ドアなどをバナナのような淡い黄色による濃淡の2色に仕上げましたが、それが想像以上に愛らしい出来栄えで、オーナーの女性は目に涙がにじむほど大満足して帰って行きました。
そのうち写真を探してみようと思いますが。

ところがこれには悲しいオチがあって、それから半年後か1年後かは忘れましたが、長崎市内を走行中、無謀運転の車にフロントを突っ込まれて廃車になったのです。かけつけた長崎メンバーの話では日ごろ温厚な彼女は、かつて一度も見せたたこともないほどの怒り様だったとか。それで2CVへのエネルギーまでしぼんでしまったのか、それいらい彼女はすっかり姿を見せなくなりました。
きっと最愛のペットが突然死んでしまったようなものだったのでしょう。
いわゆるシトロエン好きとは一味ちがいましたが、あそこまで心底2CVを愛する人は後にも先にも彼女しか知りません。