6 健康の秘訣

機関の傷みの激しい車と、さほどでもない車、その要因はいろいろあるだろうと思われますが、そのひとつ。

私がXmに乗っていた頃の話ですが、個人的なサイドビジネスとして入手の難しいXM専門のパーツを安価に供給するセミプロのような方がおられ、ずいぶんお世話になりましたが、当時はまだ電話が基本、メールが脇役という時代でしたから、なにかというとよく電話で話をする機会も多かったように思います。

こういう時代のほうが人と人との関係もふっくらして密接で、お互いに馴染みと信頼感みたいなものが今よりあったことは確かです。その折に、ついでのように興味深い話をいろいろ聞きましたが、中でもしっかり記憶に残っていることがありました。

あるとき「同じ車、同じモデルでも、ずいぶんくたびれてよく壊れる車と、そうでない車があるのは、どうしてだかわかりますか?」と言われたことがありました。
自分がなんと答えたかは覚えていないし、どうせろくなことではないでしょう。
曰く、日常的にアクセルを容赦なく踏み込んではガンガン飛ばして走る運転スタイルのせいなのだそうで、そういう人の車は数年もするとはっきりと消耗が目立ち、よって故障も多いというものでした。
その方も、ご自身でシトロエンに乗られる方で、親しいお仲間で集ってはしばしばクルマ雑談をされていたようです。

その中には、日本人の車の接し方や、日本のトロトロした交通環境を嘆いて、車はあくまで遠慮せず使い倒すもので、磨いて飾っておくものじゃない、甘やかさず日頃から実用具として車に接し、常にバンバン加速し、ブレーキもガツンと踏む、とくに高速では公言できないような速度で疾走するのが常という勇ましい方がおられたとか。
「先日も帰りはずっと200km/hぐらいで帰ってきた」といった具合で、そういう走り方こそヨーロッパ流なんだという自負があって、たいそうお得意の様子だそうで、逆に日本のシトロエンはあまりに過保護で、臆病に接するから却って真価が発揮できず、つまらない故障があるんだというような、いかにもガハハと豪快に笑う父親みたいな自説を展開するのが常だったとか。

しかし、その方の冷静な見立てによれば、コトはそんなに単純なことではないのだそうで、現実には急のつく運転はなにかにつけ機械に少なからぬストレスをかけるし、わけても最悪なのは高速での超高速走行(つまりベタ踏み)で、これは機械的には悲鳴を上げているのと同じだそうで、そんなことが常態化すると車はたちどころに「傷んでしまう」と言われるのです。

その方は仕事柄よく渡欧もされており、兼業でパーツ販売もやられているだけあって、現地で暇ができればできるだけ多くの車やショップを見てこられて、自分なりに車を見る尺度というものが養われたんだそうです。

それによれば、日本でもヨーロッパでも、常態的にハードな乗り方をする人の車はだいたい受ける印象も共通していて、エンジンルームの様子や音、パーツの発注状況からいっても、かなり荒れている、または疲れているのがまぎれもない事実だというのです。

普段からバンバン飛ばしている車は、たしかにエンジンの吹けなどはいいかもしれないし、オーナーはそんな豪快な使い方が自慢らしいのですが、実は機械としては早期疲労を起こしていることは間違いなく、だから(私が)「どんな運転されているか知りませんけど、長く乗りたいなら、あれだけはやめたほうがいいですよ」という貴重なアドバイスをいただいたわけです。

聞きながら、むかし中古並行で輸入されたメルセデスやポルシェは、新車で日本にやってきた車に比べると、雰囲気がどういいようもなくやつれていて、いわば車としてのピークを過ぎており、基本的に敬遠されていたことを思い出しました。

日本は、車の理想的な環境という点でいうと高温多湿の厳しい夏、渋滞、ゴー&ストップのトロトロした走りなどが車に悪影響を与えていると思われていますが、それも間違いではないけれど、それよりは上記のような苛烈な走り方をさせられる車のほうがケタ違いにストレスがかかるという、尤もな教訓でした。

そう思うと、ヨーロッパで馬車馬のように働かされているシトロエンより、東洋の果ての日本でペットのように甘やかされ、大事にさているダブルシェブロンたちは、ある意味しあわせなのかもしれない…とも思ってしまいます。

その裏付けといえそうなのが、1970年代〜1990年代のドイツ車(この時期のモデルは決してクラシックとしての価値は出ないとされていたにもかかわらず)を再評価するブームがドイツ国内で沸き起こったとき、最も程度の良い中古車があるのは「日本」だということになったらしく、おまけに日本は中古価格が他国より安いことも追い風となり、大勢のブローカーがぞくぞくと来日しては方々買い漁って、相当数がドイツに戻っていったという話を聞いたことがあります。

これひとつを見ても、アウトバーンを最高速近くで疾走する日々を送った車より、日本でチンタラ走った車のほうが結果として圧倒的に程度がいいということがわかります。

べつにクルマを猫っ可愛がりすることを正当化しようというつもりはありませんが、あまりに道具と割り切ってガンガン使えば、機械というのはそれだけ正直に傷むというのもまぎれもない事実のようです。

私達は中古車を買うとき、どうしても走行距離を最優先して考えすぎるきらいがあり、たしかにそれも大きな要素ではありますが、実際には距離のわりに荒れている車もあれば、逆に積算計の数字が信じられないほど状態のいい車もあり、本来はそれは車自身が語っている注目すべき情報だろう…という気がします。

無慈悲に使われた3万キロの車より、車のことをわかったオーナーが丁寧に手を入れながら乗った6万キロのほうがいいに決まっていると個人的には思いますが、それでも走行距離の呪縛というのはなかなか脱しがたいものがありますね。おそらく脳の思考回路に深く刻みつけられた思い込みから思考停止状態にいるのかもしれません。

これも聞いた話ですが、本当の車の目利きは、走行距離は改ざん(少なければ売れやすいし、価格も高くつけられるので、いまだに根絶できないとか…)もできるのでその数字は参考程度に留めおいて、自分のチェックポイントにしたがって判断するのだそうで、私なんかはそんな眼力はありませんが、可能ならそれが一番だろうとは思います。