CCJ会報ほか

わざわざお目にかけるようなものでもありませんが、自分が歩んだシトロエンライフのひとつの足跡として記録にもなるので、この場を借りてご紹介してみることにしました。
会報編集は本当に面倒で嫌になりましたが、その中で唯一楽しめたのがこの表紙デザインでした。それ以前の会報はほぼ定着したスタイルがあり、そこに写真と文字を入れ替えるだけのものでしたが、私が任されたときにはじめに考えたことは、「やるからには全面を毎回違ったものにする」ということでした。
それがよかったどうかはわかりませんが。
まだフィルムカメラの写真を使っており、スマホがあればどんなに楽だっただろうと思いますが、それでもあれこれとアイデアを巡らすのは面白くて、かろうじて遊べた部分でした。

▲76号、私が任されて第一作でまだカチカチな印象。
▲78号までは自分の車で、CXは本文でも書いた最初に所有した2400IE Prestige。
▲85号の「CX」、97号の「BX」の文字は、巻頭がその特集号。
▲86号は合成写真ではなく、ル・パスナスのSさんがCCQミーティングに参加すべく、自身のSMを船で送って博多港に到着した時のもの。XMのデザインがいかにSMのデザインを下敷きにしているか、一目瞭然のショット。ホイールも初期のXMはSMのそれに酷似しています。
▲89号、CCJ会報だというのにDSを一度も使っていなかったのはまずいと思って。
▲95号、家中のありったけのシトロエン小物をかき集めました。
▲96号、サッカーの日韓ワールドカップがあったときで、ディーラーからもらったシトロエンのサッカーボールで、いまも持っています。
▲99号、熱中していた60年前後のモノクロフランス映画風を狙って。
▲最後の100号は、この年の5月、CCJの全国ミーティングが福岡で開催され、海の中道に集まった当日の様子。これが最後になるとはいい区切りでした。

▲最後の2枚は、会報とは別に35周年記念としてアンドレ・シトロエンに関する著作を、メンバーの方が翻訳されたものが発行されたもの。ミニアルバムはメンバーが自分の車を自慢するという至って単純構成の一冊でしたが、表紙にはなにがなんでも九州のメンバーを入れてやれと思い、編集者特権でこれを敢行しました。だれであるかは個人情報に当たるから言いませんが、お子さんも今や立派な社会人になられた由で、時の流れを感じます。
そういえば名簿の表紙デザインもやっていましたが、それはもう捨ててしまいまいました。