1 シトロエンとの出会い

他人の「自分史」なんて、これほど野暮でつまらないものはありませんが、CCQ小史をしたためるにあたり、やはりどうしても避けて通れない流れがあることを感じ、恥を忍んで少し書かせていただくことになりますが、まずはじめにその点をお許し願いたいと思います。

1980年代の後半あたりからCCJ(日本シトロエンクラブ)の幹部の方と自動車雑誌企画のご縁で知り合い、いらいなにかと親しくさせていただく関係ができました。しかし当時の私にとって、シトロエンは興味のつきない車のひとつではあったけれど、今ほど集中してのめり込んでいたわけでもなかったし、だいいちシトロエンも持っていなかったので、車種にこだわらない自由な視点からの交流でした。そのころは都内在住で、仲間内のカークラブの活動もあってそちらがメインで、たまにシトロエンにも接する機会が生まれたという感じでした。

ひとくちにシトロエン好きといっても様々で、大別すると、シトロエンだけを一途に好みそれ以外は関心すらないというタイプと、シトロエンが一番好きではあるけれど同時に広くクルマ全般にも興味が尽きないというタイプでしょうか。
とくに私が親しくしていた方は後者で、互いにカーグラファンということもあって妙に意気投合して交流するようになりました。
自然な成り行きでCCJ執行部の主だった方々とも顔なじみになりましたが、その多くはクルマ好きというよりシトロエン一筋タイプが多く、シトロエン以外の話はしにくいような雰囲気がありました。
しかし、この方はクルマに関しての視野が広く開けておられ、他車に対しても常にアンテナが立っており、ファンであることと盲信することは違うというあたりは、他とはちょっと違っていましたし、その面でちょうど私は都合のよい存在だったのかもしれません。

時が経つにつれ、やがてわかってきたことは、この方は幹部のひとりというだけでなく、クラブを後ろから事実上仕切っているらしいところがあり、まわりも常に彼の考えを気にかけている様子でした。
お世辞にも社交的とはいえず、俗にいうとっつきにくいタイプで、笑顔もほとんどない相当に難しい方でしたが、私とは不思議にウマが合い、同時にとてもお世話になりました。
本ではカーグラが、実地においてはこの方が私にとってのシトロエンの師匠だったと今でも思っています。

中学生の頃から熱心なカーグラ読者であった私にとって、シトロエンはしばしば誌面に登場しては、高級車でもスポーツカーでもないのに主役を張る存在でしたし、センスとしても好きな車でしたから、その素地はあったわけですが、実車に接するというのは体験という裏付けが加わることであり、認識にも格段の違いが生じます。
シトロエンといえば通常は乗り心地の話になりますが、それももちろんあるけれども、とりわけ実車に接するごとに感銘を受けたのは、シトロエンが確固として有する世界、背景にあるフランスの文化を車という形態に凝縮したような、あの雰囲気のほうに圧倒されていたような気もします。
シトロエンを作り生み出している人達は、ただ単純な理系のエンジニアとか自動車の専門家というだけでなく、ワインを飲み、美食に興じ、音楽を聴き、議論を交わし、人生を楽しむ人達であって、そうでなくては決して生まれてくることのない車であること、そこが私にとっては最も心惹かれる点で、ハイドロの乗り心地などはむろん非常に重要だけれども、実をいうと全要素の中のひとつに過ぎませんでした。

既存の価値基準をまるで無視するような独自性や意表をつく着想、あえて常道の裏をかくような天才的な手法や処理の数々、そうかと思えば美醜を巧みに操り、遊び心や諧謔までもが随所に盛り込まれているなど、やることなすこと突拍子もなく自由自在、ときに勝手放題で、メチャクチャでもあるけれど、最後はふしぎと完結して収まりが付いているところなど、どちらかというと芸術に近い匂いがあり、およそ日本の理系大卒のサラリーマン技術者からは、まちがっても出てくるはずのないものばかりで、そこが最高に魅力的でした。

ただ、いくら車の成り立ちは魅力的でも、実際には雑で甘い作りや機械的信頼性の乏しさ、それを背後から支えるべきディーラーの不甲斐なさなど、シトロエンの置かれた危うい環境には疑問と不安が拭えず、その印象は残念なことに後年に至っても間違ってはいませんでした。

西武自動車にもよく連れられて行きましたが、ショールームは大抵いつも人けがなく無人で、やっと人を捕まえても、無気力/無関心を隠そうともしない様子はまったく異様な光景で、一台売れれば厄介事がひとつ増えるとでも思っているのかと勘ぐりたくなるようなものでした。
いつしかシトロエンオーナー足りうる条件とは、そんな販売側のスタンスにもひるまず、労苦も理不尽もすべて飲み込む覚悟のできた、なにか特別な境地に達した人だけのものではないか?というような印象でしたから、外部から見れば自虐的なヘンタイのように見做されるのもやむなきことでしょう。おまけに当人はそれでシアワセなんですから始末に負えないし、量販が見込めない異端児の席に追いやられるのは当然のことだったように思います。

書いていてさらに変なことまで思い出しました。
西武自販は大体どこも似たような感じで、たしか横浜の三ツ沢のあたりにも営業所がありましたが、そのすぐ近くの見るからに空き店舗だったようなところに「シトロエン博物館」なるものがありました。
言葉だけ聞くとどんなものかと思われそうですが、広くもないスペースにただ歴代のモデルを何台か並べましたというだけの狙いも意味も一向に掴み難いもので、博物館どころか、いかがわしい夜店のようで、当時のシトロエンの悲哀にみちた風情そのものといった感じでした。おそらく中古車としても再販は見込めないけれど、捨てるには少し惜しいぐらいな下取り車なんかを、ただ思いつきで並べてみただけではなかったのかと思いますが…。
ことほどさようにシトロエンを取り巻く環境とはそんなところでした。

再販の見込めない…といえば、助手席だったせいではっきり場所が思い出せないのですが、23区もしくはその近郊のどこかに西武が廃棄するシトロエンを持ち込むスクラップ置き場があって、一度だけ行ったことがありますが、そこは文字通りシトロエンの墓場でした。
本文に書くのも躊躇われるので、ご興味のある方は下部にリンクを貼っておきます。

逆の忘れられない光景もあります。
それよりも遥か以前の運転免許もまだないころ、偶然目にしたシトロエンが強烈な印象を残したこともありました。
叔父や叔母が東京にいたので、なにかというとよく連れられて行っていましたが、日本橋の三越本店の本館と新館の間の狭い路上に、輸入間もないころの淡いメタリックのCXが止まっていて、カーグラで写真は見ていたけれど、実車を間近に見るのはこのときが初めてでした。
たぶん1970年代後半のことで、その頃の日本車ときたらどれもこれもダサい演歌のような車ばかりでしたが、そんな時代に目にしたCXの姿ときたら誇張でなく息が止まるほど衝撃的で、ただならぬオーラが漂い、一瞬にして心を撃ち抜かれました。4ドアセダンにもかかわらず前から後ろへ流れるような曲線ボディを身にまとい、個性的ではあっても他の輸入車のような押しつけも媚びも威圧感もなく、「これがパリの流儀か!」とただもう圧倒されたのです。CXというモデル名が空力に由来するらしいことはカーグラで覚えていましたが、フロントウインドウはこれでもかと傾斜し、さらに前方へ大きく湾曲しながらせり出しているのも大胆きわまりなく、そこへ斜めに軽く横たわる一本ワイパー、ルーフの中央に生える長いアンテナなど、そのいちいちが常識はずれで、この光景はのちのちまで深く心に刻みつけられました。