逸話の力

カーグラの姉妹誌でNAVI(廃刊)の編集長だった鈴木正文氏が、現在はカーグラのほうでコラムを執筆中ですが、2022年8月号にはおもしろいことが書かれていました。
フェラーリの365GTB/4(通称デイトナ、1960年代後半)が出た時、総帥であるエンツォ・フェラーリは次のように言ったとか。

「私が売るのはカー(車両)ではない。エンジンだ。カー(車両)は、エンジンを載せるなにかがなければならないから付属しているにすぎない」「客がこのクルマに支払う金額はすべてエンジン代にしかならないから、エンジン以外はすべてタダということになる」という、いま聞くととてつもない内容ですが、これを折あるごとに言っていたんだとか。

それを100%真に受けた人がいるかどうかはともかく、これによってフェラーリのエンジンがいかに高価で特別なものであるかという印象を与えるには充分だったことでしょう。20世紀の後半ぐらいまではこの手のエピソードがまかり通っていた時代で、今から思えばメチャクチャですが、そこには不思議に夢や物語が渦巻いており、唸ったり驚いたり、懐かしいような気がします。書きながら思い出したのは、かつてのロールスロイスがどこか人里離れた場所で故障したところ、どこからともなく謎のヘリコプターがやってきて修理をすませると再びどこへともなく去っていった…などと、この頃はその真偽を追求しようという無粋者もおらず、今から半世紀前は、悪く言えば誇大妄想的、よく言えば詩的でロマンティックな逸話が好まれ、よって叩かれることなく済んだ時代だった気がします。

シトロエンもDS全盛の頃ですが、くだらない3輪走行などばかりせずに、もっとインパクトのある、人の心に訴える言葉を残しておけばよかったのにと思います。

エンツォ風にいうと、
「シトロエンが売るのは車ではない。シトロエンという路上をオイルの海に変えてしまう有機体である。それを得るにはそれを表現する何かがなければいけないから、そのために車体やエンジンがある」「客がシトロエンに支払う金額はすべてそのたゆたいのための費用だ」とでも言っていたら、メーカーにとって一定のインパクトはあったかもしれません。

なにしろDSのあの空前絶後の突拍子もない姿は、そんな大言壮語も通してしまうデザインの力があったでしょうし。

デザインといえば、デイトナは数あるフロントエンジンフェラーリの中でも傑作中の傑作。デザイナーは、レオナルド・フィオラバンティというかつてのピニンファリーナのチーフで、その後もBBや308、テスタロッサ、F40、F355など、フェラーリとピニンファリーナの黄金期を支えた天才といえるでしょう。

そのフィオラバンティの作品の中でも頂点のひとつに輝くデイトナが、「エンジンを運ぶための、タダのおまけ」と言ってのけるのですから、エンツォの権力とその放言ぶりは、あっぱれとしか思えません。

フェラーリのエンジンはレースで培われたノウハウがじかに注ぎ込まれたもの、さらには「レースを続けるために市販車を作っている」などとされていましたが、その真偽はどうであれ、そういう伝説に彩られ、それを信じる人、信じたい人が大勢いたとすれば、これを現代流に言い換えるならやはりイメージ戦略の勝利というものでしょう。

さて、アンドレ・シトロエンが少なくとももう少し後世の人で、せめてDSのデビュー(1955年)を見届けていたなら、だいぶ違っていたようにも思いますが、実際にはそれより20年も前の1935年に亡くなっており、ハイドロのハの字も知らぬままであったことは、いかにも残念です。

上記のフィオラバンティのデザインとはまるきり文脈は違いますが、デザイン的価値という点では、すべてとはいわないまでも歴代シトロエンにはそれに勝るとも劣らないものが少なからずあり、しかもシトロエンのすごいところは、何でも許される少数の贅沢品ではなく、制約まみれの一介の実用車に対して歴史に残るような芸術的なデザインを纏わせた点でしょう。

イタリアの最高級レストランの料理も結構ですが、街中のどんな大衆レストランに入っても、ハッとするような美味しいものを食べさせるのは、これはこれで一朝一夕にできることではなく、文化の厚みを感じないわけには行きません。

フェラーリ社が恵まれているのは、世界中のセレブ達が進んで顧客となりたがるそのブランド力で、大抵のモデルは出せば途方もない値段でもたちまち予約は埋まるという不気味な世界のようですが、その背後にはエンツォというアルファ・ロメオのレーシングドライバー出身のカリスマの存在と数々の伝説、言い方を変えれば、あの真っ黒いサングラスをした不気味な老人の亡霊が今もモデナの天空に漂っているからでは?と思われます。

それに比べたらアンドレ・シトロエンは、写真を見る限りせいぜいが中小企業の小賢しい社長か、セコい金貸しのオッサンぐらいにしか見えません。…それは少々言葉が過ぎるとしても、エンツォ・フェラーリのような車界の法王かマフィアの大ボスのような迫力はまったくない。

生歿年の確認の為にウィキペディアをみたら、シトロエンは「私生活ではギャンブル好きで知られ、大胆な事業拡張もその性格が影響していたという。」とあり、ハイドロのあの陶酔感と悪習性と危険承知が綯い交ぜになった、快楽と危険が紙一重の捨て鉢気分は、この創始者のギャンブル好きがDNAとして車の中に漂っていて、乗り手はそれにじわじわと侵されてしまうせいかもしれません。

また最後に「作曲家モーリス・ラヴェルとは親しい間柄だったことが知られている。」とあったのには目を剥きました。
私はシトロエンの車内でどれだけラヴェルを聴いたかしれませんが、そんなことは露ほども知らなかったので、まさに驚倒せんばかりでした。

音楽に興味のない人でも、あの有名な「ボレロ」はご存知のはずで、その作曲者がラヴェルです。
「ダフニスとクロエ」や「ラ・ヴァルス」などをボリュームを上げて聴きながらハイドロシトロエンで疾走していると、まさにこの世とあの世の結界を彷徨うようで、シトロエンに乗る理由は音楽に身を委ねることと同じで、悦楽に身を浸し、陶然となるあの感覚とどうしても手が切れないからでは?といったようなことを考えてしまいます。

ラヴェルの人嫌いは有名で、結婚もせず、友人も極端に少なかったといいますが、まさかその数少ない友人のひとりがアンドレ・シトロエンだったなんて!