3 CCQ誕生

CCJに入会すると、事務局から会報やステッカーとともに会員名簿が送られてきますが、それをパラパラめくって我が目を疑ったのは、何度見返しても九州の会員は自分以外にはわずか一人!しか見当たらないことで、これには衝撃と深い落胆を覚えました。

当時は名前・住所・電話番号が当たり前のように記載されていた時代でしたから、半ば腹立ちまぎれに、隣県にお住まいの九州唯一のメンバーの方に電話してみました。電話口から聞こえてきたのは落ち着いた感じの、深い信念と情熱にあふれた、シトロエンには相当のめりこんでおられる御方であることは、話すなりわかりました。
その方は、後に「巨匠」と呼ばれるようになる、私とは親子ほども年の違う大ベテランの方ですが、その方を相手に九州にCCJ会員が僅か二人とはなんたることでしょう!けしからんではないですか!とまくし立て、ぜひ九州にもシトロエンクラブを作るべきですよと気炎を吐いたわけです。俗にいう「若気の至り」というべき無謀なパワーもかなり加勢していたと思います。

巨匠は、私にその気があるなら協力は惜しまないと快く応じてくださったと同時に、私の勘違いでなければどこか嬉しそうでもありました。そのお言葉通りのご尽力により、当時の福岡のシトロエン取り扱いディーラーを通じて、見込みのありそうなシトロエンオーナーを紹介していただくなど、時代も常識も、今とはずいぶん違っていたんだと思います。

入念に準備して、第一回目のミーティングにこぎつけたのが1993年4月13日。大分自動車道・山田SAに集合し、巨匠もお知り合いのシトロエンを数台率いて来られたため、初回にしては望外の11台のシトロエンが集まり、大分県九重を目指して出発しました。これが九州の地で初めて数台のシトロエンを連ねて走った記念すべき第一歩で、それまでCXをひとり黙々と乗っていた私には感慨もひとしおでした。
そこから毎月のミーティングが始まり、徐々にではありますが会員はしだいに増えて、何年後だったかは忘れましたが、最盛期には150人を超えるまでに膨れ上がりました。

自分でも呆れるのは、創設からしばらくはよほど調子に乗っていたのでしょう、手作りでDOLLYという会報誌まで発行するようになりましたが、とはいえ印刷屋に出して製本してもらうほどの部数も必要なければ、もとよりそんな予算もないから、自宅のコピー機を夜中に内緒で使ってホッチキスで止めただけの甚だ簡素なものでしたが、それでもノート一冊ほどの厚みもあり、これはいま見ても結構笑えるものです。
この会報誌の発行にあたっては、創設メンバーのひとりの奥さんで、同人誌作りのようなことなら嫌いじゃないという強力な助っ人を得られたこともラッキーで、アイデアも豊富なこの方にはかなり助けていただきました。

その方の小気味良いスパイスの効いた誌面づくりのおかげもあり、お定まりのクラブ会報誌とは一味違う、真面目な記事からシトロエンをネタにしたお笑いコーナーまで含んだ、まさに異色の冊子でした。

これを試しにCCJの執行部に送ってみたところ、長いこと正統派然としたCCJ会報しか見たことのない彼らの目にはよほど新鮮だったようで、「おもしろい!」「次はいつ?」などと思った以上に高評価だったことは、妙におかしくもあり「どうだ、参ったか?」というような気分でもありました。

とはいえ冊子を書いて発行するというのはあまりにも大変であるところへ、くだんの協力者がご主人の転勤で福岡を離れられたこともあって、創刊から2年を待たず、5号をもってストップしてしまいます。