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エンジンは苦手?
伝統的にフランス車は、その魅力においてエンジン性能に依存せず、サスペンションはじめ独自設計に凝るという傾向があるようで、ことにシトロエンはその急先鋒であるのはいうまでもありません。
フランスは資源国ではない背景と、エンジン出力による課税馬力という制度があるためか、必要最小限のパワーを駆使して痛快に走らせるのがフランス流のドライビングの醍醐味のようになっています。
さらにフランス人の気質としても、大パワーにものをいわせて強引に押しきることより、そこへ知恵や工夫を差し込んで、同等もしくは違った価値観に根ざした効果を上げることに喜びを感じるような国民性があるから、どうしても高出力の輝くようなエンジンが生まれにくい土壌があるのかもしれません。
トラクシオン・アヴァンから引き継がれた直4がDシリーズに搭載され、ついにはCXの生産終了まで使いまわしされたことは、このエンジン設計が秀逸で信頼性に富んでいたことがあったとしても、そもそもフランス車におけるエンジンの地位の低さを表しているようにも思います。
最近は以前の『シトロエン 革新への挑戦』(二玄社)に加えて『シトロエンの一世紀 革新性の追求』(武田隆著著)他も併せて読んでみましたが、それらによると、DSは当初の計画では、新開発の水平対向6気筒が搭載予定されており、開発もかなり進んでいたということを初めて知りました。
このエンジンが完成していれば、1963年登場のポルシェ911よりも先んじて、世界初の水平対向6気筒エンジンになっていたそうです。
これが実現に至らなかった理由としては、まだ改良点が残されていたことと、DSの技術的本丸である初の4輪ハイドロニューマティック・サスペンション搭載に多大な投資やエネルギーを傾けたこと、そしてデビューまでの時間的な制約があったこともあるようですが、くわえてフランス車全般におけるエンジンのプライオリティの低さもあっただろうと思われます。
当時の新型シトロエンの登場は、今では信じがたいほど世間の注目は熱く、噂やデマが飛び交い、政治的にも発表を急がざるを得なかったことなどが重なって、新エンジン搭載は見送られたようでした。
果たして、エンジンだけは旧型からの持ち越しで、1955年のDSのあの衝撃的なデビューとなったようですが、それでもこの常識破りの未来的なニューモデルは当時の人々の注目を一身に集め、発表初日だけで1万台以上の注文があったというのですから驚きます。
ただ、DSデビューは乗り切ったにしても、その後も新エンジンを継続的に開発しようとした気配はあまり見当たりません。
1960年代中頃、FF+ハイドロの優位性を示すべく、あらたな高性能車を開発計画が持ち上がった際にもふさわしいエンジンがなかったようで、一説によれば、そのエンジンを作らせるために体力の弱っていたマセラティを傘下に収めたという見方もあるようです。
そのマセラティは既存のV8から2気筒を削って、おどろくほど短期間でV6エンジンを作り上げたとあるので、やはりどこにも得意分野があるということでしょうか?
SMは高価な贅沢車だからマセラティエンジンでもいいとして、通常モデルのための新エンジンについては、ついにはCX時代に至っても古いエンジンを継続使用せざるを得なかったことは、先進的な自動車メーカーを標榜してきたことからすれば、いささか残念な気がします。
1970年代なかごろプジョーの傘下に入ったことは、シトロエンにとってそれまでの自由の翼を失うかわりに、エンジン開発に関してはその責務から開放されたのかもしれません。
もしXMやC5/C6が同じあのOHVエンジンだったら?というのはさすがに想像できませんが、BXならあのシャリシャリいうプジョー製4気筒の代わりに空冷フラット4だったらと思うと、それはそれで趣きのあることになっていたかもしれません。
現在、手に入れられる範囲でシトロエン自社設計のルーツを持つエンジンを積んだ主だったモデルは?というと、2CV、DS/ID、GS、CXぐらいで、偉大な自動車メーカーにもかかわらず、ざっくり50年以上めぼしいエンジンを生み出さなかったなかったというのも驚くべきで、その呆れるばかりの偏向というか嫌なことはしたくないというわがままぶりも、これまたシトロエンらしいような気がします。
あえてひとつだけ挙げるとすれば、1960年代のシトロエンは回転特性がスムーズなロータリーエンジンに着目し、当時の社長ピエール・ベルコは、アンドレ・シトロエンやブーランジェの革新の精神を、ロータリーエンジンという切り札で取り戻し、先進性を復興させようと賭けていたようにも見受けられます。
しかし、ロータリーエンジンが抱え持つ欠点を克服できぬままオイルショックを迎え、試験的に発売されたGSビロトールは回収され、この計画も沙汰止みになってしまったことはご承知のとおりです。
水平対向6気筒のDS、ロータリーエンジンのCXなど、完成していればどんな車になっていたのか…今となっては夢物語でしかありませんが、その後マツダによる長年の奮闘を見てきた我々からすれば、ロータリーをやめたことは賢明であった気がします。
燃費問題さえ克服できるのなら、現代のハイブリッド車とロータリーエンジンとの組み合わせなど、そう悪くない気もするのですが…。
お知らせ
2025年
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
暮れに何という偶然か、これまで見たこともないような大玉の立派なレモンをいただきました。
昨年は「シトロエンの意味がレモン」であることを知り、ネット翻訳のオランダ語で[レモン→citroen]とそのままズバリ出てくることに感激したのは記憶に新しいところ。
私達が喜び勇んで乗っていたのはレモンで、レモンクラブだったのかと思うと可笑しくなります。
今年も良い年でありますように!
Chirac映画館-5
ことしも残りわずかとなりました。
場所柄をわきまえ、映画ネタはやはり自重せねばと思っていたところ、思いがけず好意的なメッセージをいただくなどして、またご案内を続けることになりました。
以前の、滋味深い人間ドラマからだんだん遠ざかって、少し思い切ったチョイスですがよろしかったらどうぞ。
▼『幻滅』 バルザックの同名小説を原作とする2023年のフランス/ベルギー映画、監督:グザヴィエ・ジャノリ
19世紀前半、主人公の文学青年リュシアンは、田舎の印刷場で働くかたわら詩作に励むが、彼の愛人にして支援者である貴族の夫人とパリへ駆け落ちし、華やかで残酷、悪意と虚飾に満ちた、喧騒の渦中へ身を投じることに。
はじめは貴族たちの嘲笑を買うような都会のルールに疎い田舎者でしたが、人づてに新聞記者の職を手にしたことから社会の裏を教えられ、呑み込みのよいリュシアンは、めきめきと頭角を現して奸計をめぐらすまでになり、生き馬の目を抜くようなパリを舞台に、衆目を集める存在へとのし上がります。
もっぱら自分の才に頼んで、欲望の赴くまま、傲慢と放蕩のかぎりを尽くしますが、その内実は借金まみれで崖っぷち。
次々に野望を成し遂げるリュシアンですが…。
フランス映画には珍しく絢爛瑰麗な画面で、隅々まで作り込まれた大小道具や衣装などのビジュアルも楽しめましたが、やはり原作の力が根底を支えているのだろうと思います。セリフが早すぎて読むのがついていけないところがあり(でも吹替えは絶対にイヤなので)、すぐにもう一度観てしまいました。
▼『Summer of 85』 2020年、フランソワ・オゾン監督
『幻滅』で主役をつとめたバンジャマン・ヴォワザンの関連映画で何気なく観始めたところBL映画だったので、これはどうかなぁ…と躊躇しましたが、映画としては見応えのある内容であったことと、なによりシトロエンがこれでもかとばかりに登場する作品だったので、やはりお知らせしないわけにはいきません。
ノルマンディ地方の美しい海岸地方を舞台に、1985年のひと夏におこる若者の純粋とエゴが交錯する恋愛悲劇で、車はあくまで背景での小道具ではあるものの、あちらこちらにシトロエンが出まくります。
しかも、時代考証もよくされていて、80年代の、すなわちXM/Xantiaがまだ存在しなかった頃のシトロエンがぞろぞろ登場します。
海辺の道路に置かれていたCXが、別のシーンでは町中を走ってみたりと、使い回しもされているのでしょうが、ほかにDS、アミ6、GS、BX、2CVなど、わずかな瞬間ですがこれほど出てくる映画は珍しいと思います。
この時代の雰囲気を出すために全編フィルム撮影されたらしく、それもこの映画の美しさに一役買っているようです。
▼『ピアニスト』
個人的に、クルマと並ぶもうひとつの趣味がピアノなので、そのタイトルにつられて観たところ、これまた想像を絶する内容でびっくりでしたが、しかし面白い作品だったので、『Summer of 85』以上に迷いましたがご紹介することに。
舞台はウィーン、周囲から尊敬を集めるピアニストで音楽院の教師でもあるエリカは、子供の頃から音楽一筋、人生をピアノに捧げ、口うるさい母親との孤独な二人暮らし。シューベルトの大家として名を馳せ、いつも凛として冷淡、娯楽や恋愛など無縁といわんばかりの峻厳で近づきがたい女性ですが、その裏にはとてつもない秘密の一面が隠されています。主役を演じるのは、知る限り少し変わった役どころの多いイザベル・ユペールですが、この役はまさに本領発揮と思われました。
シトロエンの贅沢なクーペの名の本当の意味がこういうことかと思うと、さすがに複雑な気分にもなりますが、かつてのハイドロシトロエンのオーナーの屈折した心の奥には、クルマに向けてほんの少しこのような苦痛と快楽とが織りなす喝仰の念が潜んでいたのか…。
2003年、フランス/オーストリア、監督はミヒャエル・ハネケ
▼『パーフェクトマン 完全犯罪』
作家志望のマチューは運送や遺品整理の仕事をしながら自作を出版社に送っているが、相手にされず鬱屈した日々を過ごしています。ある日、身寄りもなく孤独死したという元軍人の部屋を処分をしていると、アルジェリア戦争で綴られた生々しい日記帳を発見。それを密かに持ち帰り、自作として作り変えて送ってみたところ、たちまち大ヒットして作家デビュー。世間の注目を浴びて、生活は一変します。
3年が経過、美しい恋人にも恵まれ、南仏の壮麗な別荘に滞在する彼女の両親からも才能ある作家として歓迎されますが、次作はまったく書けておらず、出版社には前借りまでしており原稿の催促に追われていることもひた隠しに。しだいに塗り重ねたウソもほころびかけたころ、故人の友人で日記の存在を知る男が現れ、絶体絶命の窮地に追い込まれますが…。
主役を演じるピエール・ニネの内的でメリハリのある演技と、しなやかなフランス語が印象的。
2015年フランス映画 監督はヤン・ゴズラン
2CVのエンジン
シトロエン関係の書籍を読んでいると、いまさらながら驚くべき内容が少なくありませんが、その中から2CVのエンジンに関することを。
この空冷フラットツインは1948年の登場以来、実に42年間にわたって作り続けられたというだけでなく、あまたあるエンジンの中でも「歴史に残る銘機」だとして特筆大書されています。
簡潔にして、創意にあふれた設計、軽量かつ頑丈で、これほど壊れないエンジンは滅多にないのだとか。
空冷なので冷却水やラジエターの心配もなければ、ホース類がないから破裂もせず、ファンベルトがないから切れることもなく、要するに壊れようがない、頼りになる稀有なエンジンとのこと。
しかも、ただ頑丈で壊れないというだけでなく、エンジンとしてのバランスに優れ、それは秀逸な設計に加えて、厳格な工程と精度をもって巧緻に組み上げられたことによる結果だというのです。
技術的な説明も詳しく解説されていましたが、メカに疎い私にはうまく理解し文章として纏める自信がないので、間違ったことを書かぬよう、そこはあえて断念することに。
とにかく、この2CVのエンジンは自動車用エンジンにおける「巧妙な設計と精密加工の手本」のひとつで、かつ、それは手間やコストのかけられる高級車でなしに、すべてを必要最小限に切り詰めた大衆車において実現されたことは二重の驚きです。
2CVのあのヒューパタパタというエンジンに、そんな真実があったとはうっかりしていましたが、「のどかな排気音に騙されてはならない精密エンジン」と釘を差されています。
シトロエンではこのエンジンを組む際の許容寸法公差が1/1000mmで、主要コンポーネントの接合面には一切のガスケットが使用されず、それは時計並みの精密加工のレベルなのだそうで、どんなに酷使されようともオイル漏れ、混合気漏れはなかったともあります。
設計者はタルボからシトロエンへ移籍したワルテル・ベッキアというエンジニアで、軽量かつ最大の強度と完璧なバランスを両立させることに成功しています。
結果、このエンジンはオイル管理さえ怠らなければ、何時間でもスムーズに回り続け、しかも呼吸ひとつ乱すことはないと記されています。いわれてみれば、ずいぶんむかし高速のほとんどをフルスロットル(になる)で300km以上走ったときも、エンジンにはまったく乱れる様子がなく、インターを降りればケロッと正常にアイドリングし、その後も一般道をごく普通に淡々と走っていたことが思い出されました。
余談として記述されていたのは、2CV開発中に誰かがBMWのモーターサイクルに乗っていて、そのエンジンが素晴らしいので参考にすることになり、密かにドイツからエンジンやパーツを取り寄せて研究したという逸話もあるとのこと。
ともかく、2CVのエンジンは望外の精緻な作りで、工学上の傑作エンジンだったとされているのは、いわれてみればたしかにそうだなぁ…と今ごろ納得させられました。
2CVは、乗っているといろいろと騒々しいし、あれこれ笑いのこみあげるようなクルマですが、その乗り心地はハイドロのようにソフトでしなやかであったり、挙げればキリがないほどネタ満載で注目点が多いため、エンジンにまで目を向けることを怠っていたことを残念に思いました。
なにしろ現代の交通環境の中では非力ということばかりに意識が向いて、振動のなさやストレスのない回転バランスの良さを見落としがちでしたが、ドライバーのアクセル操作にもいつも忠実に応えて、持てる限りの力を尽くしてがんばってくれるあたりは、いじらしいばかりです。
頑丈さについても、今よりももっとシトロエンと故障が同義語だった時代、2CVは最も故障が少なく、並み居るハイドロ車を尻目に、いつも安定した信頼感が寄せられていたダブルシェブロンでした。
さらに、2CVは生まれ持った立ち位置や性格から、必ずしも正しく丁寧に乗られるわけではなかったにもかかわらず、「エンジンが壊れた」という話は一度も聞いたことがないのはこの話を裏付けているように思います。
わずか602ccのフラットツインは、時を選ばず容赦なくアクセルは踏みつけられ、常に全力でこき使われていたことを思うと、たしか敬服に値するなと思います。
補足ながら、昔の記憶をさらに辿ると、高速では本線への合流がトロい加速で無事にできるか?とか、平地のベタ踏みでもやっとメーター上の120km/hとか、少しでも上り坂になるとみるみる速度が落ちてくるようなクルマなので、長距離走行、まして高速を長時間走ることなど普通なら御免被りたいところです。
ところが、2CVのすごさはシトロエンの例にもれず、これを敢行しても覚悟していたような疲れは意外に少なく、2CVなりの高い巡航能力をもっているから、朝から丸一日走りづめで夜帰ってきても、ガレージが近づくとまだ降りたくないような、もっと走ってもいいような、そんな気持ちに何度もさせられたことを思い出します。
それを可能にしているのは、なにしろ抜群に楽しいドライブフィールや巧妙なサスペンションと並んで、この名機と言われるエンジンに負うところも大きかったことがあらためてわかりました。
おしらせ
モデル名
前出のネタ本その他から、シトロエンのモデル名に関することを。
トラクシオン・アヴァンはその名の通り前輪駆動のことで、2CVはフランスの課税区分がそのまま車名になったことなどは有名ですが、それ以外の車名の意味についてはあまりよくわかっていないまま、ようやくSMはSport Maseratiだと知ったぐらいで、36年もシトロエンに乗っていながらこれはマズイと思い、一度おさらいしておくべきチャンスになりました。
間違いもあろうかと思いますので、その点はお許し/ご指摘のほどお願いします。
今も現役である「C」ではじまる名称は、実はトラクシオン・アヴァンよりも前の戦前のモデルに存在したようで、タイプAからはじまり、短期間のB、そのモデル後期に存在したのがCシリーズということのようです。
たまたま手許にある絵ハガキに「C6」というのがあったので「おや?」とは思っていたのですが、調べるてみると戦前にはC4/C6というモデルが存在し、C4は4気筒、C6は6気筒を意味したようで、アンドレ・シトロエンもC6を使っていたとか。
また、2CVが開発されるより前に、廉価な小型車として構想されるも陽の目を見なかったモデルに「AX」というのがあったようで、それが半世紀以上の時を経て、我々の知る小さなシトロエンとして、その名が蘇ったのか?とも思われます。
AX、BX、CXというモデルのうち、もっとも古いCXは空力を表す意味で、登場年はC→B→Aの順なので、この大昔に存在した小型車の名を絡めながらサイズ順に小型をAX、中間をBXとなるよう考えられたのか?とも思いますが、そこはかなり想像を含んでいます…。
よくよく考えればDS/IDシリーズからしてその意味を知らぬまま過ごしていましたが、創業時のAシリーズから始まってB→Cとなり、トラクシオン・アヴァンはひとつ小型に分類されるらしく、そこを飛ばしてDというところへ着地したのか?と思いました。
DにSを加えると、フランス語で女神を意味するデエスと同じ音にもなることなどもあって、DSとなったのではないか?
そのあたりは詳しい方がおいでだと思うので、ぜひご教示いただきたいところです。
AMIは2CVベースで、2CVの型式名がAから始まり、アミではそれがAMとなり、そこへ中間(DSと2CVの間)の意味のあるMilieuを加えて「AMI」となったとのこと。
アミ6が誕生するころ中間車種として開発されたものに「C60」というのがあったものの生産には至らず、さらに時を経て「F」というのがあったけれどこれまたお蔵入りとなり、そのFのあとに開発されたのがGで、それが「GS」となったようです。
では、Sは何を意味するのかについてはわかりませんが、DにSをつけてDSとしたように、GにもSをつけてGSとなったのか?
DSにDシュペール、GSにGシュペールという廉価モデルがある点でも共通しています。
1980年代の終盤、CXの次のモデルは「DXではないか?」などと囁かれたこともありましたが、実際に出てきたモデルは「XM」と称され、さらにはAXとBXの間に入るサイズの「ZX」が出たとき、右にXという文字のつくシリーズは「これで終わり」という意味の「Z」だということは聞いたことがあったような。
いまさら書くのもナンですが、XMってそもそもどういう意味なのか、考えてみたら意味も由来も知らぬまま長らくこのクルマと過ごし、いまだにわからないというのは笑ってしまいます。
「Xantia」はたしか造語らしいという記憶がありますが、これに続いて「Xsara」や「Xaso」などXではじまるモデル名が立て続けに出て、サクソはたしかサクソフォンに由来すると聞いた覚えが…。
むかし友人を介して知り合ったフランス人留学生にXantiaを発音してもらったことがあり、それをあえてカタカナで書くと「グゾーンティハ」みたいな感じに聞こえたのを覚えています。
一体にシトロエンで名前らしい名前があるのは少なく、すぐに思い出すのは「ディアーヌ」とか「メアリ」、近いところでは「ピカソ」「カクタス」など。
メアリといえばその後継的なモデルとして「ティヨール・タンガラ」というのがあり、これは正規の生産車でなくオーベルニュにあるティヨール社が作ったピックアップですが、本にも2CVの派生型として掲載されているのは驚きでした、
実はCCQ初期のころ、長崎のとある老舗のご主人で好事家の方がおられ、このティヨール・タンガラでしばしば参加されていたのを懐かしく思い出しました。
当時はさほどのものとも思わなかったけれど、生産台数わずか1500台あまりの希少車(フランス陸軍へ400台納入)とあり、それいらい実物を目にするチャンスはついに一度もなく、今ごろになって惜しいことをしたような気分になっているところ。
ちなみにC5/C6は、もはや説明の必要もない馴染みのモデルですが、とりわけC6は戦前の最上級モデルの名称だったものが21世紀に復活し、この時期のC6/C5をもってハイドロが終焉を迎えたという事実、さらには今後シトロエンはもう高級モデルを作らないとも言われていることなどを考えると、まさに象徴的な区切りとなったような気もします。
50年ワンオーナー
巨匠ことTさんが亡くなられて、早いもので一年が近づいています。
いろいろと落ち着かれたのか、ご子息より連絡があって、GSを「クラブで欲しい方があればお譲りしたい」という向きのお話をいただきした。
このGSはCCQ設立当時から巨匠の代名詞的な車というか、分身のような存在でしたので、あのGSがついに50年間住み続けたガレージを離れることになるのか…と思うと時の流れを感じます。
◆1973年型、GS1220クラブ
初期のGSというだけでなく、新車からのワンオーナーで50年を経た個体という意味でも、その価値はきわめて稀少と思われる一台。
一説によればGSは残存率がきわめて低いモデルとのこと。
デビューは1970年10月、日本には1972年から導入が開始されますが、当初のGSクラブは1015ccでした。フランスでは1972年9月から1220ccが追加され、日本向けもこのとき1220へ切り替わります。
新開発されたOHC空冷水平対向4気筒は、タービンのように良く回りレンスポンスにも優れていたものの、低速トルクが弱いという指摘を受けて1220ccが追加されたとのこと。
車検証を見ると1973年9月の初年度登録なので、おそらく1220になってすぐに購入されたのだろうと想像されます。
GSシリーズは現在個体として残っているのは少ない上、初期型クラブでワンオーナー、屋根つき保管、雨天未走行(出先で遭遇した雨を除く)等々…このような環境下で過ごしてきた個体となると、ほぼ奇跡的といっても過言ではないと思われます。
走行は87,800km、メーターは5桁しか無いものの、他に車は数台あって、純粋に趣味の車であったことからも、見えない「1」が隠れていることはなく、それはご家族も承知されています。
巨匠はその愛称のとおり、とびきりの熱いシトロエン愛にあふれた趣味人でしたが、クルマを猫可愛がりして床の間に飾るような使い方はされなかったので、経年相応の真っ当な劣化は多少はある状態で、例のCitromuseumにあるような新車同然といったものではありません。
また、オリジナル尊重の方であったけれど、シートだけは布のジャージ生地が耐久性に乏しいこともあってか、かなり早い時期に本皮に張り替えられておられ、この点はオリジナルではありません。
ただそれは、色や形状やステッチ、サイドのポケットにいたるまで、熟練職人の手によりオリジナルを忠実かつ丁寧に再現されており、程よく使い込まれた感じも加わって、まるで純正のような雰囲気です。
私の記憶違いでなければ、GSはシトロエン初のボビン式スピードメーターであり、それは左ハンドルだけのもの。
現存する程度の良いGSの多くはレストアを受けており、それはそれで素晴らしいのですが、オリジナル/ワンオーナーで好ましい状態を保っている個体となると、これはもう探して出てくるものではないでしょう。
GSは、DS/ID以下の小型モデルに初めてハイドロニューマティックが採用されたことでも有名ですが、あまたあるシトロエンの出版物によれば、その乗り心地は群を抜いており、記述の脈絡から推するに、それは全シトロエン中もっとも理想的なものであったようです。
これはあまりにも意外な説で、俄には信じ難い気もしましたが、あれこれと調べてみるとどうやら間違いではないようで、そのあたりも巨匠の慧眼があったのかと思うと、今になって唸らされるところです。
普通なら上には女神のDSがあるから、なんとなく入門用ハイドロのように捉えていた人は少なくなかった筈で、これはそんな無知な認識を根底からひっくり返す話ですし、私もここ最近になって知ったことでした。
ストロークが深く、いかなるシーンでも路面に吸い付くように姿勢が乱れず、当時のシトロエンの広告には「魔法の絨毯」という言葉が使われ、評論家たちも口を極めて絶賛したとあります。
そこで思い出すのは、CCQきっての実践派にして乗り心地研究家であるducaさんは、ずいぶん前から乗り心地というと必ず巨匠のGSに同乗された際に受けた衝撃のくだりが、繰り返し熱く語られるのは我々の耳にしっかりとこびりついているところ。
果たしてその体験は、ducaさんの感覚中枢の中で理想のハイドロの乗り心地と挙動を判じる尺度となり、現在でもGSを100点として、以前所有されたXantia、C5X3、そして現在のC5X7を採点されています。たゆまぬ工夫や研究を続けられるも、いまだにその高みには達し得ないようで、それひとつをとっても、この初期型GSのサスペンションがいかに傑出したものであったか、推して知るべしなんでしょう。
巨匠はGS以外にもハイドロではDSやCXも複数入れ替わりでお持ちでしたが、最後まで手許にあったのはこのGSで、まさに終生の伴侶となったシトロエンです。
現在はナンバーが切られており、車検を再取得する必要があるようです。ここしばらくは動かしておられないようで、12月になれば少し手を入れてみますとのことでした。
ちなみにSMの投稿でも触れられていたように、パーツはこの時代のクルマのほうが却って入手可能という話は近ごろ耳にしますし、難しいコンピューターなどがないぶん維持しやすいというのは、なるほど本当かもしれません。
価格については現在のおおよその相場からすると、えっ?というような破格なものですが、それは「この車の価値をわかって、長く乗ってくださる方へ」というご意向故で、云うまでもないことですが、転売目的の方はご遠慮くださいとのことです。
上記のような衝撃体験のこともあって、まずはducaさんにお話するのが順序だろうと思って伝えましたが、保管場所の問題で断念されましたので、こうして皆様へご案内するに至りました。
ご興味のある方は私へご連絡いただくか、「問い合わせ」よりお知らせいただければ、こちらでわかる範囲はお答えしますが、いずれ先方へお取り次ぎして、以降は直接やりとりしていただくことになります。
できればクラブメンバーを優先したいと思いますが、大事にされる方なら必ずしも限定はしないとのことですので、ご興味のある方はどうぞご検討ください。
SMの悲運
レモンマンのきっかけになった書籍『シトロエン 革新への挑戦』は、創業時からの各モデルごとの解説がされていて、あらためて読み返してみると、まだまだ知らないことは山積みで、シトロエンというメーカーの偉大な歴史と、常に時代に先んじてきた革新の精神と実践には、驚きと感嘆をあらたにするばかりです。
その中から、SMに関することを。
シトロエンがマセラティを傘下に収めた時期に構想された、シトロエンとしては唯一の高級2ドアクーペ、その流麗な姿とカリスマ性は、歴代モデルの中でも最高ランクに叙せられるものだと思います。
ちなみにこのSMほか、DSの猫目へのフェイスリフト、GS、CXなどはロベール・オプロンの手になるデザイン。
SMの意味は「Sport Maserati」なのだそうで、へえぇ、そうだったんだ。
マセラティ社が設計した2.7L-V6エンジンが搭載され、その後、排ガス規制の厳しい北米向けに3Lも追加。
シトロエンはSMを通じて、ハイドロニューマティック+FFによるオーバー200km/hでの安定した走行性能を打ち立ててみせたほか、CXやXMでお馴染みとなるパワーセンタリングも初搭載、SMではハンドルを一回転させたただけでロックするというウルトラクイックな設定。
ま、そんなことは皆さんあらかたご存知のことですね。
このクルマが販売開始されて3年ほど経った1973年、第一次オイル・ショックが世界を覆います。
これを機にシトロエンの大株主だったミシュランは持ち株をプジョーへ売却、新経営陣の判断により、SMはあっけなく生産打ち切りの宣告が下されるという悲運に見舞われます。
残った製造はリジエ社に委託され、300台近くがなんとか生産されたものの、一説によれば、この時点で約500台分のボディシェルが残っていたとか…。
シトロエンとしては、せめてその分だけでも完成させて欲しいとプジョーに懇願するも、プジョーの経営陣には聞き容れられることはなく、返ってきた返事は「すべてスクラップにせよ」という非情なものだったとか。
これにより1975年、SMは完全に息の根を止められます。
あんなにも美しい、文化財と呼んでもいいような車に対する、この残酷な処遇は身震いがするようでした。
企業とはそういうものだと云ってしまえばそれまでですが、この車に心血を注いだ人たちはこれをどう受け止めたのか…。
いつだったか、虎ノ門のホテルオークラ旧本館の建て替えにあたって海外から保存運動がおこり、「日本は古いものを大切にする意識の薄い、建て替え文化だ!」と欧米文化人から意識の低さをずいぶん非難されたものですが、「ふん、同じじゃないか」と思いました。
プジョーのあのマーク(現在のワッペン型になる前の)、両の手を上げ、ガオッと口を開け、舌を出して雄叫びをあげるライオンに、しなやかな鮎のようなSMがガブリと喰いちぎられたようでした。
技術的には成功でも、商業的には失敗という点で、SMはコンコルドに共通すると書かれています。
今日の目で見ればSMの性能は大したものではないかもしれないけれど、生産終了からすでに50年が経過することを思うと、その先進性には驚かされるばかりです。