それから-8

9月なかば、zewsさんが福岡お茶会に参加されるにあたって、2CVのリクエストをいただきました。しかし9月はまだ暑さも厳しいから難しいことをお伝えしつつ、万にひとつを考えてガソリンだけは入れておこうと、敬老の日の夜、約3ヶ月ぶりに少し走らせました。

エンジンは最初のアタックで掛かったものの、寝起きということで始めはソロソロと慎重に走りましたが、これといって不都合はないらしく、思いのほかケロッと機嫌よく走ってくれました。
なんといってもducaさんのすばらしいキャブ調整その他のお陰が大いに効いているけれど、2CVが生まれながらに頑丈であることも疑えないところで、乗って愉快なだけでない、根本にある逞しさもこの車の大きな特徴であり存在理由であったことを思わないではいられません。

今でこそかわいらしい趣味の車として生きながらえているけれど、半世紀にわたってフランスを中心に軽便な移動手段として無数の2CVとその派生型が使われた実績があり、まさに労働車であったことが偲ばれます。

…そんな2CVの逞しさとは真逆の私はというと、暑いのは人一倍苦手であるし忍耐力もないから、腰を上げるまでかなりの決心を要しましたが、それでも動き出してしまえば走り回りたいほうで、この際あちこちまわってみようと思ってもいたけれど…やはり甘くはありませんでした。
日が落ちているとはいえ、湿気を含んだ重い風(というより熱風に近い)を浴びて全身くまなく汗ばんでくるともうダメで、帰って水浴びでもして着替えたいという気持ちに勝てなくなります。

かくして、ひさびさの夜の散歩は給油を含む1時間足らず、わずか20kmほどで終わって再び動いていませんが、さすがに10月に入るとだいぶ過ごしやすくはなりました。

じつは巨匠号にはスペアーキーがなく「どこかにあるはずだが行方不明」とのこと、見つかり次第ご連絡いただくことになっていましたが、一向にそんな気配もないし、ひとつきりでは心もとないからネットでブランクキーを購入していました。
しかしカットを頼もうにも、街の鍵屋に問い合わせると片っ端から断られました。理由は「カット作業だけは受けていない」「万一失敗した場合の責任が持てない」というもの。

夏前のことで、どうせしばらく乗らないからと中断していましたが、最近になってようやくベテランの職人さんがやっている個人経営の店に辿り着き、先週ついに削ってもらいましたが、2CVはエンジン、ドア、給油口がそれぞれ別のキーで、大小3本がワンセットとなるから、工賃も3本分。

鍵屋のご主人は「これは(エンジンキー)珍しいですねー!」などと、手を動かしながら大いに雑談してくる人で、ミニクーパーが同じですよとか、イタリア車は鍵もいい加減であれは困るとか、ドイツ車はさすがだとかの話をされますが、最近の車は我々もわからないことばかり、中古車店などから出動要請があってもすぐに作業ができない、盗難も非常に増えている、など。

そこで思いがけないことを聞いたのですが、アイドリングストップ機能が普及するにつれて、それ由来の事故がかなり増えたのだそうで、あー、だから廃止の方向に向かっているのか!とひとり得心しました。
私はてっきり、わずかの燃料節約とバッテリーやスターターの消耗が割にあわない故のことだろうと思っていたし、お茶会などでも大方そのような見立てだったから、これは思いがけない話でした。

いわく、特に交差点内の事故がずいぶん増えたらしく、エンジン停止からペダルを踏み換えて再始動→発進するまでの、ひと呼吸ふた呼吸が遅れることで発生する事故とのことで、大いに納得!
なるほど事故というのは、ほんの一瞬の呼吸の掛け違えみたいなことが引き金になるもの。

「これは警察も自動車メーカーも絶対に言いませんけど、みんな知ってますよ!」と業界では常識みたいな話っぷりだったから、おそらく保険会社のクレームなどもあり廃止へつながったのかも、、、ま、真偽の程はわからないし、あるいはさも本当らしい都市伝説かもしれませんが、妙に納得してしまいました。
〜そうこうするうち、鍵のカットが終わりました。

↑おまけ。新しい鍵のキーホルダーを探していたら、以前ものが抽斗から出てきました。Xm〜C6で長く使っていたものですが、白のボディは擦り切れてほぼ2トーンカラー状態。2CVだからこれを使おうかと思ったものの、気がついたらなくなっていそうで今さら不安になり、ひとまず古い鍵はスペアーとして紐で結わえて一緒に抽斗に戻しました。

ちなみに「アイドリングストップ 廃止」で検索すると、AIによるいくつかの回答が出てきますが、事故のことは一切触れられておらず、「停車時のエンジン再始動時の音や振動、発進時のタイムラグ、停車中のエアコンの効きが悪くなることなど、ユーザーから不満の声が多く寄せられています。また、右左折や一時停止など、スムーズな発進をしたい場面でアイドリングストップが煩わしく感じられることもあります。」とあるから、いかにも言外に真実が秘されているようにも思えますがどうでしょう?

トホホ

C5エアクロスに乗りはじめて5年目を迎え、時の流れの早いのに驚きます。
今回は、最近のクルマで当たり前のCarPlay/AndroidAutoに関するトホホなお話。

車両を購入したのは2020年、楽天モバイルが急拡大をはじめた頃だったのか「今ならタダでスマホが使えるらしい」という話を聞き、ならばクルマ専用にしよう!と契約したのがコトの始まりでした。

スマホはシャープのAQUOS、まず私はこの種の理解や扱いが「超苦手」で、自慢ではありませんが自分でもイヤになるほど低レベル。さらに自宅はiMacとiPad、スマホはiPhoneとApple一色だったのが、Androidはまるで勝手が違い、ちょっとした画面の出し方ひとつからわからないし、iPhoneで覚えたことのほとんどが役に立ちません。
とはいえ、入手した以上はどうにかしてクルマに繋ぎ、音楽を鳴らし地図アプリをモニターに映すところまで漕ぎ着けないと!という一念で、そのため神経はすり減らし、脂汗が出る思いでした。

なんとか繋がるところまで到達したものの接続状況は信じがたいほど気まぐれで不安定、ちょっとした振動や何かの拍子にスマホに手が少し触れただけでも、パッと通信が切れてしまうなど腫れ物に触るよう感じです。
エンジン始動後かなり走っても、待てど暮らせど繋がらないこともしばしばで、そのたびに接続コードを挿し直す、スマホを再起動する、赤信号でクルマのエンジンを再始動してみる、はては接続コードが悪いのかもとこれを何度も買い直したりしたけれど変化はなく、いつの間にかこれが日常になりました。

Androidも使っているうちに慣れてくるだろう…と思ったのは(少なくとも私の場合)大間違いで少しも馴染めず、ついには操作するだけで気が滅入り頭痛がするようになり、ゆっくり触ってみることもしませんでした。

楽天モバイルは電波状況が芳しくないといううわさもあり、なにしろ基本はタダなんだから多少のことは仕方がないとしても一向に改善の気配もなく、どうかすると繋がる→切れる→繋がる→切れるを数秒ごとに繰り返すこともあり、AQUOSがそこまでデタラメな製品とも思えないから「これはもしやクルマ側の問題なのでは…」という考えが頭をかすめるようにもなりました。
信頼性はむかしとは雲泥の差とはいえ、そこはやっぱりダブルシェブロンであることを思うと自信はなくなり、、、やはり車両側の問題ではないか!?

ディーラーに持ち込むことも考えたけれど、こんな電気的な再現性のないことにすぐ集中してとりかかってくれるとも思えないし、なにかと後回しにされ、長期入院となればその間ずっと野ざらし、本国発注の部品交換になったり、それがもとで他に電子的な不都合や悪影響が及ぶ可能性だってあるかも、、、
そうこうするうち保証期間の3年は過ぎ、延長保証はしていなかったから、以降は高額な自己負担になるかも…などと考え出すといよいよ足は遠のき、ついにこの件でディーラーに相談はしませんでした。

また、楽天モバイルの無料期間もとっくの昔に終了しており、お安いながら料金が発生していることなど、あれこれと考えるだけでも憂鬱になって、早い話が現実から目を背けるようにしてまた使い続けることに。


さらに時は流れ、今年の5月、KunnyさんがC3エアクロスを購入されました。
お茶会で乗せていただいたとき、センターコンソール奥のUSB差込口で小さく光るものが目に止まり、何だろう?と思って尋ねると、スマホとクルマを結ぶ発信機のようなもので、Bluetoothで繋がってコードレスになるから大変便利とのこと、そういうことにからきし疎い私は、へえー!というわけでさっそく購入してみることに。

いわれるままAliExpressを見ると、似たような製品がズラリと出てきて、値段は概ね3000円前後といったところ。

注文から一週間も経たないころ、シワくちゃの汚い封筒に入れられて「それ」が届きました。
さっそくクルマに差し込みますが、それにもペアリングとやらのちょっとした設定があり、まごついているのをKunnyさんが助けに来てくださったのですが、繋がったのはiPhoneだけでAndroidはどうしても反応しませんでした。

それで仕方なくiPhoneを数日使ってみたら(実はこのとき初めて!)、あっけないほど快調なことに唖然となりました。車に乗ってエンジンを掛けると、はやくもカバンの中のiPhoneとやり取りしてパッと繋がっているし、長年悩まされた途中で切れるといった悪夢のような症状もゼロ、結局クルマ側の問題ではなかったようで…そのこと自体は良かったけれど、Androidもしくは端末が原因だったことはもはや疑いようもない。
これまでの時間があまりに馬鹿みたいで、せめて一度でもiPhoneに繋いでみれば…と思うと、それさえしなかった自分の怠慢と無策と愚かさに腹が立ったというか、呆れたというか、、、

そうだとわかればAndroidなんぞ一日でも早く厄介払いしないではいられなくなり、調べると解約の手続きはネットから自分でするのがルールとのこと。こうなった反省もあって、今度ばかりは手続きに全力投球することに。ところが、これがどう足掻いてもダメでログインさえできず最後の格闘、しかし私の手に負えることではないことを察し、その勢いで店舗へ乗り込みました。

なんと、そこでもこの端末は頑として反抗姿勢を崩さず、店員さんも一時間近くも真顔でがんばってくれたけれどついにお手上げ、やむなく店舗からセンターのようなところとやり取りをして、最後は大元から強制終了するかたちで解約と相成りました。
この端末がどうしようもない「外れ」だったようですが、とはいえ4年半も延々と放置し続けたのは自分の責任です。

解約からひと月ほど、電源の切れたスマホが机の脇に放られてうっすら埃を被っているのが、すべてが終わったホラー映画のラストシーンみたいですが、ふと「楽天」という字義を調べると「自分の境遇を天の与えたものとして受け入れ、くよくよしないで人生を楽観すること」とのこと!!!


iPhoneに変えて落ち着いてみると、地図が選択できることも(今ごろ!)わかりました。以前はカーナビを単体で購入し取付を頼んで、それだけでも嬉しかったのが、今では携帯をつなぐだけ。面倒な地図の更新も必要ないし、さらに数種から選べるなんて思いもよらなかったこと。でも、昔のどこか不自由でガマンを伴っていたころのほうが、ずっと楽しくてワクワクできたことも事実。すごいばかりで、カサカサしたつまらない時代。

※なぜかうまくキャプションが入らないからこちらから。
(上)iPhoneにあるAppleのMap。道筋が太くてわかりやすいが、昼間は色調の関係で見づらく、画質がやや荒い。
(中)Yahoo!Map。まあ無難な感じで、こちらも画面がやや荒い。自車の向きがなぜか下向きになっているけれど、動き出せば直る。
(下)Googleマップ、画質は最も繊細で色調も良いけれど、雰囲気はやや無機質で、道幅の表示などは変化に乏しい。
ナビ機能を比較するまでには至っていません。

静伝記

2CVの作業の必要からホームセンターに行くことになり、久しぶりにducaさんのC5に同乗させていただきました。

いまさらですが、ducaさんはメカに通暁されているだけでなく、とりわけ乗り心地に対するこだわりと研究・実践において、クラブ内では最も研鑽を積まれているおひとり。

さて、車の乗り心地や質感はものの数メートル、タイヤが少し転がっただけで感知できることがあり、すぐに「おっ!」と思いました。距離が進むにつれ、以前との違いをいよいよ確信、ご自身も控えめながら敢えて否定もされませんでした。

ふっくらして、角が丸く、大小の凹凸やうねりを乗り越えるたびにフワリと波に乗り、恰幅もある。すみやかに元の姿勢に戻る始末もあって、酩酊的に揺れるわけでもない。

タイヤは比較的硬めの銘柄、さらに交換時期も遠くないと思われる状態で、私は日頃から乗り心地において、過度にタイヤに依存するのは違うように思っているので、その点も大いに得心のゆくところでした。

細かいことは秘事かもしれないし、そもそも私には説明しろと言われてもできませんが、まるで家元の茶室に招かれ、その結構なお点前に与ったようでした。

一説には、ハイドロらしさを堪能するには、リアがマルチリンクではないほうが好ましいと見る向きもあるようで、なるほど一理あると思いつつ、こういう体験をするとまた混迷を深めるばかり。いずれにしても、ハイドロの美味に舌鼓を打ちました。

これだけハイテクが進歩を極める中、ハイドロの真価がどこにあるのか?とあらためて問うてみると、私なりの答えは、その乗り味の中に漂う「威厳と品位」ではないか…と思ってみたり。
これは、電子の力が最も苦手な領域だとすると、今後もなかなか手に入らないでしょうね。

それから-3

このところ少しずつ走ってみるようになり、最近の様子など。

エンジン調整、マフラー交換、ヒーターダクト類の締め付けなどを経て、とりあえず問題なく走ることができるまでに。
エンジンストールについては、先月のことでしたがT氏のご子息が所用で福岡にお出での際、「ちょっと見てみましょう」ということで我が家に立ち寄られました。

始動性はよく、ほとんど一発で掛かるのに、走行すると信号停止などでストンと止まってしまうのでアイドリングの調整かと思ったら、そちらには一切手を触れず、キャブ調整だけササッと手際よくされました。

慣れた感じでキャブ調整をされました。巨匠からよほど鍛えられた様子が伝わります。

これが適確だったようで、以来まったく止まる気配はなくなり、やはり長年扱い慣れた人はさすがです。

その後、マフラー交換という「大作業」を終えてようやく走り出したところですが、爽快な部分と困った部分、一長一短といったところでしょうか。

爽快なのは、ともかく理屈抜きに走って楽しいことで、運転そのものの喜びを満喫できます。
長いことMTから遠ざかり、安楽快適なAT車が当たり前になったことと引き換えに、運転そのもののダイレクトな楽しさの相当な部分を感覚として少しずつ忘れてしまっていたことに、あらためて気付かされました。

誰かの言葉によれば「車の運転はこの世で最も楽しい行為のひとつ」だそうで、それは充分に自覚しているつもりでしたが、実際は2CVにパチパチとほっぺたを叩かれて目が覚めた気がします。
のみならず、AT車は要するに楽でヒマなので、つい重箱の隅をつつくようにアラ探しみたいなことばかりやっている自分にも気づきました。

1本スポークのステアリングは、たしか真下に向いているはずですが、DS風に左斜めにされているあたりは巨匠のこだわりではないか?と思ったり。

シートはGSと同じく本皮に張り替えられています。ほどよい滑りがあって乗り降りがスムーズです。横幅は狭いものの縦方向は余裕があり、一方ステアリングはかなり寝ています。

乗り心地の良さはやはり特筆すべきものがあります。
通常2CVに乗るということは、表面的には盛大なエンジン音やギアのノイズ、車体のいたるところから発せられる雑音の渦中に身を置き、駆動力のON/OFFにも大きく影響を受けるので、どうしてもそのあたりが目立ちますが、たまにうねりなどがあるとふわ〜んと路面をいなしていくのは、ハイドロと同様でなかなかのものです。

ゆるい下り坂などで、ニュートラルやクラッチを切って空走させると、シトロエン特有の浮遊感が顔を出してくるのは、う〜たまらん!という気になります。
この特定の条件だけでいうなら、我が家の車の中で、最も乗り心地のやわらかなクルマです。

ducaさんのご協力で苦心惨憺の末に交換できたマフラーが静かに光っているような…。

もちろん良いことばかりではなく、現代の気密性の高い洗練された車内空間に慣れていると、なにかと音はうるさいし、快適装備は皆無、エンジンから発せられる排ガスその他の匂いが鼻につくなど、ラクではない点があることも事実。

また、受け渡し直前に動かなくなったという燃料計は、乗っていれば何かの拍子に直るのでは?という淡い期待も虚しく、頑として動く気配はなく、これも今後の課題として残ったまま。

久々のイエローバルブ

また当たり前ですが、センターロックなどとは無縁だから、ひとつひとつすべてが手動、車を離れるとなるといちいち手間を要します。
それは仕方がないし、2CVがリモコンでパシャッとロックできるようでは、却って興ざめですが…。

片やC5-acではエンジンを切ると同時にATはPになり、パーキングブレーキまでかかってしまうという親切ぶりだから、その差には激しいものがあります。
それでも、MTがこんなに痛快なものだったかと思うと、ラクなことと楽しいことは、まったくの別モノだということが歴然です。

最新のシトロエンのロゴマークの元になっている古いマークがブレーキとクラッチのペダルに。間にあるのはステアリングシャフト。

AT車のパドルシフトなどは、一向に楽しさがわからないからDレンジ以外まったく使わないのですが、やはり全身を使ってドライブに参加するMTは理屈抜きに面白く、どこかゲーム感覚でもあり少しも苦にならないのは不思議です。

すでにAT車にお乗りの方が大半を占める中、ひとりこんな気焔を吐くのもどうかとは思いつつ、まあ正直なところなのでお許しください。

なんとか動き出した2CV、…まずはこんなところです。

40年近くボディ左側を壁に寄せて保管されていたためか、塗装は左右で状態が異なっており、このようにマスキングをして夜な夜なせっせと磨きましたが、やはりポリッシャーがないと手作業では限界を感じます。左のほうがはるかにきれいです。

4月はお茶会に乗って行こうと思っていましたが、あいにくの雨模様で断念しました。

むかしあるクラブ員の方が、見知らぬ人から「これV6ですか?」と尋ねられて大笑いしたというエンブレム。

天職

昨夜NHKで放送されたドキュメント『時をかけるテレビ 池上彰 プロフェッショナル 一徹に直す、兄弟の工場』が面白かったのでご紹介。

広島県の福山市に、神の手を持つといわれる自動車整備士のベテラン兄弟の修理工場があります。
2015年に放送されたもので、取材当時、兄弟は60〜70代ですが、現在も現役の由。

車種を問わず必ず直せる工場で、長州人特有の真面目で、仕事に深い矜持があり、手慣れた仕事に安住せず、常に新しいことへの勉強も怠りません。
業界専門誌を毎月13冊も楽しみに読んでいるとか!

外観は至って地味だけど、リフトは何台もあるし、地下も掘ってあるし、なによりあらゆる機材が所狭しと整っているのは驚くばかりで、おそらく出来ないことはないのでしょう。

儲けの多くを設備や道具にまわしているのだそうで、この兄弟にとってまさに天職。
あんな工場があればなぁ…と羨ましい限りです。

車種も内外新旧一切不問、軽自動車からフェラーリ、ダンプカーまで、なんでもござれ。
シトロエンもチラッと数秒間画面に映りました。

NHKプラスで見られますので、よかったらどうぞ。

ヘンタイ呼ばわり

「それから」にいただいたコメントの中に「強力な武闘派の方」という文言がありました。

私がシトロエンに入門した1980年代のシトロエンといえば、まさにハイドロニューマティック全盛の時代。
当時はクルマに対する人々の興味や憧れも今とはケタ違いに高く、月はじめの書店にはさまざまな自動車雑誌の新号が高々と積み上げられるのが普通の光景でした。

そんな時流に乗って、多くの自動車ジャーナリストは肩で風を切り、中には、こういっては失礼だけれど、あまり丁寧な情報収集もせぬまま安易な記事を書いてはお茶を濁していた人も相当いたようで、それでもどうにかなった大雑把な時代だったのでしょう。
そんな当時でさえシトロエンはやはり異端で、その真価に着目し、熱く語っていたのは唯一カーグラだけだったように思います。

で、シトロエンは諸事において独創的であったぶん、ちょっとした記事を書くにも勝手が違ったことでしょう。
とくにハイドロニューマティックにかかわる記述は彼らなりに気を遣ったことだと思いますが、その理解はなかなか一朝一夕にはいかなかったようで、2CVが前後関連懸架であることから、ハイドロも同様に思っていた人もわりにいたようです。

オイルが全身に張り巡らされ、ハンドルもブレーキも油圧で賄うから、前後のサスペンションも連携して作動しているかのようなイメージがあったのでしょう。
これ以外にもシトロエンには、他車とは知識の流用や使い回しのきかない要素が多く、それだけ自動車誌の間違った記述も頻発したようでした。

そこに憤然と反応し、そのつど論理的な説明をつけて間違いを正し、ときに噛みつくことも辞さない一派が台頭しはじめます。
とりわけ昔のシトロエン愛好家の中には、知的レベルの高い論理派、学者、医師、建築家など少なくなく、さらにはフランス語の堪能な方などもいるから海外の書籍から直接知識を得たり、実車を手ずからバラしては、その設計思想にじかに触れ、唸ったりおののいたりしながら、その解明に無常の喜びを見出す、私設研究所みたいなものが勃興します。

彼らは、そこで得た知識や経験を蓄積し、整理し、資料や文章にまとめ上げることさ喜々としてこなしますが、チャラチャラした自動車ジャーナリストたちにしてみれば、こんな得体のしれないインテリ連中が道場破りに押しかけられるのではたまったものではなかったでしょうし、その内容においてはしっかりした裏付けがとられているから反論の余地もない。

そのつどプライドを傷つけられる出版社や自動車ジャーナリストたちは、「シトロエン乗りはヘンタイで関わりたくない、理屈屋でいちいちうるさい連中!」というようなレッテル貼りに及んだようです。
いやしくもクルマのプロを標榜していながら自分たちの不勉強を棚に上げ、間違いを正す側をヘンタイ扱いして疎んじるとは言語道断ではありますが、彼らの気持ちもまったくわからないでもなかったりします。

これがトヨタやベンツのことなら大そうマズイと思ったでしょうが、べつにあってもなくても一向構わないシトロエンなんぞのささいな間違いなど、屁理屈で因縁をつけられるような感覚だったかもしれません。
この両者は、ほとんど価値観の相容れない同士だから、「あーうるさい!こっちは忙しいんだ!」というのがおそらく本音で、その執拗な指摘の前では、内容で太刀打ちできないから「あいつらはヘンタイ!」ということで苦笑するしかなかったのでしょう。

ではあるけれど、シトロエン側の人達も、べつにメディア攻撃が目的でやっているわけではなく、ディーラーの知識や技術も脆弱で頼りにならない中、ユーザー有志が立ち上がり、自分達で研究解明するという動きにつながったものと思われます。
結果的にシトロエンの斬新かつ独創的な設計理念を、知れば知るほど感銘を新たにし、ますます入れ込んで、研究の手が休まらなくなったのだろうと思います。

そんな彼らが、日本のエセ専門家のずさんで間違った記述を目にしたとき、まあ黙ってはいられなかったのも頷けます。
当時はネットもなく、自動車雑誌は唯一の情報源であり、執筆はプロの専門家なのだから、読者は紙面に書かれていることを信じて受け入れていたわけですから、そこに間違いを書かれたのでは当然困るわけで、その影響を考えれば、たしかに罪深いことではありますね。

ただ、武闘派の動きも過激化するにつれ、シトロエン愛好家の中でもいささか孤立的な存在になっていったのも事実で、一部にはそうでない普通の文民的ユーザー?のことを一段低く見るような傾向を帯びてきたのは、さすがにちょっと行き過ぎだったようです。
とはいえ物事に功罪両面あるのは世の常で、この武闘派のお歴々のおかげで、多くの正しい知識が広められ、整備や修理における実践の扉が開かれたことも事実でしょうから、先人の奮闘には一礼すべき価値はありそうです。

そして現在、かくいう私もCCQ内で武闘派と言って差し支えない御方のお力添えを得ながら、2CVのマフラー交換などが進んでいるわけですから、その恩恵に浴して感謝しているわけです…。

上記のお話には、添える写真もないので、わざわざ書くほどもないオマケを。
買い物でイオンに行ったら、レジ近くの床にはこんなものがペタペタ貼り付けてありました。
「こちらですよ」という意味なのはわかるけど、なーんか気になりました。

それから

車検証入れの中。80年代のなつかしいシトロエンの世界がムンムンです。

漱石のようなタイトルですが、2CVは、なんとか車検と登録を済ませて、ともかく我が家にやって来ました。

しかし、エンジンの調子も良いとは言い難く、信号停止でストール気味だし、ブレーキの効きもイマイチ、マフラーは長い放置期間が祟ったのかサビサビだったり。
一定の整備はやっていただいたようですが、ナンバーがないため試運転ができなかったこともあり、路上復帰にはもう少々かかりそうです。

いっぽう、心配していた運転については、10分も乗ると昔の感覚がスルスルと蘇ってきて、クラッチ操作も独特なシフトパターンも思いの外すんなりできたのはホッとしました。若いころにやったことは、やはり身体が覚えているんですね。

で、20年以上ぶりに2CVを自分のガレージに入れてみてまず驚いたことは、C5エアクロスとのあまりのボディサイズの違いで、これは想像以上でした。

全幅は185cmに対して、2CVはわずか148cmと37cmも狭いし、車輌重量は車検証によれば570kgとほぼ3分の1。
そんな小さなナリであるにもかかわらず、存在感は強烈で、フラミニオ・ベルトーニの造形は、どこから見ても破綻がなく完成されており、車ではあるがオブジェでもあると感じます。
でもオブジェと言っても、お高くとまったものではなく、見るなり人を笑わせる愛嬌にあふれたオブジェなのです。

納車された日の夕刻、近所をちょっと回ってみたら、いきなり近くの女子校の生徒の一団に出くわし、好奇の目と同時にキャキャキャッというかん高い奇声を浴びてしまいました。
今どきは、フェラーリやマクラーレンでもあまり人目は引かず、大抵は周囲も無関心だけれど、2CVは人の視線を向けさせることにかけてはあきらかに昔以上で、とくに赤黒のチャールストンは塗装も大げさで時代がかっており、これは相当な覚悟を要するなぁと思いました。

配線などが気になって、思い切り作業ができません。

まずはマフラーの交換が先決のようで、それについては比較的近くにお住まいのTさんが鋭意協力してくださるそうで、なんとも心強い限りです。
さしあたり自分でできることといったら、せいぜい掃除をするぐらいなので、黒い汚れがどんよりと堆積していたエンジンルームを、三夜にわたり1〜2時間ずつかけてせっせと磨いてみました。
これでも、かなりきれいになったのですが、掃除前の写真を撮っておくべきだったと後悔しているところ。

トランクには軍手やオイルフィルターなどいろいろ入ったケースがありましたが、それがなんとTINTINの2CV型であるのにびっくり。

それと、部品のオーソリティであるSさんが調べてくださったところでは、フランス/イギリスには2CV専門のパーツショップがあり、その品揃えたるや異様なほど充実しており、すべてのパーツを集めたら新車が一台出来あがるほどで、実際あちらではそうやって組み上げることで、新車を作って販売している例もあるとか。

C5/C6などで、パーツ調達にご苦労をされているのをいつも目の当たりにしているだけに、この点は本当に驚くしかありませんし、おまけに2CVのパーツはどれもお安いので非常に助かります。
将来に向けて本当に安心して乗れるシトロエンは2CVかもしれず、皆さんもおひとついかがですか?

おまけ。ガレージのビバンダムをまわれ右させて、2CVとの記念撮影。

2CVを…

上の写真は1993年5月、CCQ二回目のミーティングを唐津の鏡山でおこなった時のもので、このとき巨匠は2CVでの初参加でした。右端が巨匠、後列左から二人目が私(みんな若い!)。
…この時から32年が経ったわけです。

早いもので、巨匠ことTさんが亡くなられて1年以上が過ぎました。
昨年のいつ頃だったか、ご子息より、残されたシトロエン(GSクラブと2CV)をクラブの方に譲りたいというお申し出があり、GSはすでにご案内の通りで、2CVのほうは私が譲っていただくことになりました。

同じく1993年7月、第4回のミーティングでは、雨だというのに自らクランク掛けを披露される巨匠。まわりは傘をさしかけるが、濡れた背中ににじむ情熱に注目。キャップはダブルシェブロンの模様入り。

いまさらという感じもあるけれど、巨匠のワンオーナーカーでもあり、これも最後のチャンスだろうと思ったことと、逆に、近頃のようにクルマがあまりにも複雑なハイテクまみれになってしまうと、むしろ2CVのようなプリミティブな車に戻ってホッとしてみたいような気分も湧いてきたこともありました。

秋ごろには引き取るつもりだったのが、腰のせいでそれどころではなくなり、これが思ったより長引いたたこともあって、とうとう先月下旬、車載車に乗せられて2CVのほうが福岡に来てくれたのです。

本来なら私が佐賀へ取りに行くべきところ、ナンバーが切られているため、整備後の試運転もななまらないようで、それに仮ナンバーを付けて大移動することに不安もありました。
数年眠っていた2CVをいきなり路上へ引き出し、[山越えルートで50km]もしくは[高速を使えば70km以上]を無事に走破して我が家へ連れ帰るだけの自信もないし、今の私はといえば、運転も長らくAT車に慣れ切ってクラッチ操作もおぼつかないだろうし、まだ腰の不安もあり、くわえてメカオンチゆえ途中で何事か起きれば万事休すです。

それを察してくださったのかどうかわかりませんが、「車載車を借りるツテがあるから、なんなら運びましょうか?」という耳を疑うようなご提案をいただき、この際、深謝しつつお言葉に甘えてしまいました。

〜で、図に乗るようだけれど、ナンバーがついていないのだから、どうせ積載車で動いてもらえるならばと、車検をお願いする工場まで足を伸ばしていただいたのです。

私をその気にさせたのは、ハイドロ同様に2CVとの生活には20年を経ていまだ忘れがたい、楽しい記憶が鮮明だったからです。
むろん素性の確かな巨匠の愛車というのも大きな理由でしたが、さらにはフランス製最終期の1987年の一台だったこともありました。

まさか、あの2CVを引き継ぐことになるとは思いませんでしたが、まったく妙な取り合わせとなる新旧シトロエン。地面に降りたところで、工場内を数メートル動かしてみましたが、いきなりプスンとエンストしました。

製造国といえば、現在のシトロエン/DSでは、モデルによって中国製であることが予めアナウンスされているぐらいだから、我がC5エアクロスも中国製の可能性が…と思っていたところ、2月のお茶会のときオーガニゼーションナンバーとやらを教えていただいたところ、果たしてフランス・レンヌ工場製ということがわかり、少しニンマリでした。

むろん、いまどきはどこ製でもべつにかまわないし、iPhoneだって中国製、タイヤやバッテリーもアジア製を受け容れており、それでどうとも思わないところまで認識はできているけれど、それでも心情としてはフランス製であるほうがちょっとは嬉しいわけです。

2CVはこれから車検・登録してナンバーを付ける予定で、またご報告します。

(左)フランス製の証『SaintGobain』製の窓ガラス。
(右)ボンネットは黒に塗り替えられており、ご子息は「オリジナルではなくなっている…」と仰せでしたが、私はさほどオリジナル至上主義ではないし、これはこれで黒い子猫みたいで悪くないと思いました。

エンジンは苦手?

伝統的にフランス車は、その魅力においてエンジン性能に依存せず、サスペンションはじめ独自設計に凝るという傾向があるようで、ことにシトロエンはその急先鋒であるのはいうまでもありません。

フランスは資源国ではない背景と、エンジン出力による課税馬力という制度があるためか、必要最小限のパワーを駆使して痛快に走らせるのがフランス流のドライビングの醍醐味のようになっています。
さらにフランス人の気質としても、大パワーにものをいわせて強引に押しきることより、そこへ知恵や工夫を差し込んで、同等もしくは違った価値観に根ざした効果を上げることに喜びを感じるような国民性があるから、どうしても高出力の輝くようなエンジンが生まれにくい土壌があるのかもしれません。

トラクシオン・アヴァンから引き継がれた直4がDシリーズに搭載され、ついにはCXの生産終了まで使いまわしされたことは、このエンジン設計が秀逸で信頼性に富んでいたことがあったとしても、そもそもフランス車におけるエンジンの地位の低さを表しているようにも思います。
最近は以前の『シトロエン 革新への挑戦』(二玄社)に加えて『シトロエンの一世紀 革新性の追求』(武田隆著著)他も併せて読んでみましたが、それらによると、DSは当初の計画では、新開発の水平対向6気筒が搭載予定されており、開発もかなり進んでいたということを初めて知りました。
このエンジンが完成していれば、1963年登場のポルシェ911よりも先んじて、世界初の水平対向6気筒エンジンになっていたそうです。

これが実現に至らなかった理由としては、まだ改良点が残されていたことと、DSの技術的本丸である初の4輪ハイドロニューマティック・サスペンション搭載に多大な投資やエネルギーを傾けたこと、そしてデビューまでの時間的な制約があったこともあるようですが、くわえてフランス車全般におけるエンジンのプライオリティの低さもあっただろうと思われます。
当時の新型シトロエンの登場は、今では信じがたいほど世間の注目は熱く、噂やデマが飛び交い、政治的にも発表を急がざるを得なかったことなどが重なって、新エンジン搭載は見送られたようでした。

果たして、エンジンだけは旧型からの持ち越しで、1955年のDSのあの衝撃的なデビューとなったようですが、それでもこの常識破りの未来的なニューモデルは当時の人々の注目を一身に集め、発表初日だけで1万台以上の注文があったというのですから驚きます。

ただ、DSデビューは乗り切ったにしても、その後も新エンジンを継続的に開発しようとした気配はあまり見当たりません。
1960年代中頃、FF+ハイドロの優位性を示すべく、あらたな高性能車を開発計画が持ち上がった際にもふさわしいエンジンがなかったようで、一説によれば、そのエンジンを作らせるために体力の弱っていたマセラティを傘下に収めたという見方もあるようです。
そのマセラティは既存のV8から2気筒を削って、おどろくほど短期間でV6エンジンを作り上げたとあるので、やはりどこにも得意分野があるということでしょうか?

SMは高価な贅沢車だからマセラティエンジンでもいいとして、通常モデルのための新エンジンについては、ついにはCX時代に至っても古いエンジンを継続使用せざるを得なかったことは、先進的な自動車メーカーを標榜してきたことからすれば、いささか残念な気がします。

1970年代なかごろプジョーの傘下に入ったことは、シトロエンにとってそれまでの自由の翼を失うかわりに、エンジン開発に関してはその責務から開放されたのかもしれません。
もしXMやC5/C6が同じあのOHVエンジンだったら?というのはさすがに想像できませんが、BXならあのシャリシャリいうプジョー製4気筒の代わりに空冷フラット4だったらと思うと、それはそれで趣きのあることになっていたかもしれません。

現在、手に入れられる範囲でシトロエン自社設計のルーツを持つエンジンを積んだ主だったモデルは?というと、2CV、DS/ID、GS、CXぐらいで、偉大な自動車メーカーにもかかわらず、ざっくり50年以上めぼしいエンジンを生み出さなかったなかったというのも驚くべきで、その呆れるばかりの偏向というか嫌なことはしたくないというわがままぶりも、これまたシトロエンらしいような気がします。

あえてひとつだけ挙げるとすれば、1960年代のシトロエンは回転特性がスムーズなロータリーエンジンに着目し、当時の社長ピエール・ベルコは、アンドレ・シトロエンやブーランジェの革新の精神を、ロータリーエンジンという切り札で取り戻し、先進性を復興させようと賭けていたようにも見受けられます。
しかし、ロータリーエンジンが抱え持つ欠点を克服できぬままオイルショックを迎え、試験的に発売されたGSビロトールは回収され、この計画も沙汰止みになってしまったことはご承知のとおりです。

水平対向6気筒のDS、ロータリーエンジンのCXなど、完成していればどんな車になっていたのか…今となっては夢物語でしかありませんが、その後マツダによる長年の奮闘を見てきた我々からすれば、ロータリーをやめたことは賢明であった気がします。

燃費問題さえ克服できるのなら、現代のハイブリッド車とロータリーエンジンとの組み合わせなど、そう悪くない気もするのですが…。

2CVのエンジン

シトロエン関係の書籍を読んでいると、いまさらながら驚くべき内容が少なくありませんが、その中から2CVのエンジンに関することを。

この空冷フラットツインは1948年の登場以来、実に42年間にわたって作り続けられたというだけでなく、あまたあるエンジンの中でも「歴史に残る銘機」だとして特筆大書されています。

簡潔にして、創意にあふれた設計、軽量かつ頑丈で、これほど壊れないエンジンは滅多にないのだとか。
空冷なので冷却水やラジエターの心配もなければ、ホース類がないから破裂もせず、ファンベルトがないから切れることもなく、要するに壊れようがない、頼りになる稀有なエンジンとのこと。

しかも、ただ頑丈で壊れないというだけでなく、エンジンとしてのバランスに優れ、それは秀逸な設計に加えて、厳格な工程と精度をもって巧緻に組み上げられたことによる結果だというのです。
技術的な説明も詳しく解説されていましたが、メカに疎い私にはうまく理解し文章として纏める自信がないので、間違ったことを書かぬよう、そこはあえて断念することに。

とにかく、この2CVのエンジンは自動車用エンジンにおける「巧妙な設計と精密加工の手本」のひとつで、かつ、それは手間やコストのかけられる高級車でなしに、すべてを必要最小限に切り詰めた大衆車において実現されたことは二重の驚きです。

2CVのあのヒューパタパタというエンジンに、そんな真実があったとはうっかりしていましたが、「のどかな排気音に騙されてはならない精密エンジン」と釘を差されています。

シトロエンではこのエンジンを組む際の許容寸法公差が1/1000mmで、主要コンポーネントの接合面には一切のガスケットが使用されず、それは時計並みの精密加工のレベルなのだそうで、どんなに酷使されようともオイル漏れ、混合気漏れはなかったともあります。

設計者はタルボからシトロエンへ移籍したワルテル・ベッキアというエンジニアで、軽量かつ最大の強度と完璧なバランスを両立させることに成功しています。

結果、このエンジンはオイル管理さえ怠らなければ、何時間でもスムーズに回り続け、しかも呼吸ひとつ乱すことはないと記されています。いわれてみれば、ずいぶんむかし高速のほとんどをフルスロットル(になる)で300km以上走ったときも、エンジンにはまったく乱れる様子がなく、インターを降りればケロッと正常にアイドリングし、その後も一般道をごく普通に淡々と走っていたことが思い出されました。

余談として記述されていたのは、2CV開発中に誰かがBMWのモーターサイクルに乗っていて、そのエンジンが素晴らしいので参考にすることになり、密かにドイツからエンジンやパーツを取り寄せて研究したという逸話もあるとのこと。

ともかく、2CVのエンジンは望外の精緻な作りで、工学上の傑作エンジンだったとされているのは、いわれてみればたしかにそうだなぁ…と今ごろ納得させられました。

2CVは、乗っているといろいろと騒々しいし、あれこれ笑いのこみあげるようなクルマですが、その乗り心地はハイドロのようにソフトでしなやかであったり、挙げればキリがないほどネタ満載で注目点が多いため、エンジンにまで目を向けることを怠っていたことを残念に思いました。

なにしろ現代の交通環境の中では非力ということばかりに意識が向いて、振動のなさやストレスのない回転バランスの良さを見落としがちでしたが、ドライバーのアクセル操作にもいつも忠実に応えて、持てる限りの力を尽くしてがんばってくれるあたりは、いじらしいばかりです。

頑丈さについても、今よりももっとシトロエンと故障が同義語だった時代、2CVは最も故障が少なく、並み居るハイドロ車を尻目に、いつも安定した信頼感が寄せられていたダブルシェブロンでした。
さらに、2CVは生まれ持った立ち位置や性格から、必ずしも正しく丁寧に乗られるわけではなかったにもかかわらず、「エンジンが壊れた」という話は一度も聞いたことがないのはこの話を裏付けているように思います。

わずか602ccのフラットツインは、時を選ばず容赦なくアクセルは踏みつけられ、常に全力でこき使われていたことを思うと、たしか敬服に値するなと思います。

昔のカタログにはこんな可愛らしい見事なイラストが踊っていたりと、時代の雰囲気を感じます。

補足ながら、昔の記憶をさらに辿ると、高速では本線への合流がトロい加速で無事にできるか?とか、平地のベタ踏みでもやっとメーター上の120km/hとか、少しでも上り坂になるとみるみる速度が落ちてくるようなクルマなので、長距離走行、まして高速を長時間走ることなど普通なら御免被りたいところです。

ところが、2CVのすごさはシトロエンの例にもれず、これを敢行しても覚悟していたような疲れは意外に少なく、2CVなりの高い巡航能力をもっているから、朝から丸一日走りづめで夜帰ってきても、ガレージが近づくとまだ降りたくないような、もっと走ってもいいような、そんな気持ちに何度もさせられたことを思い出します。

それを可能にしているのは、なにしろ抜群に楽しいドライブフィールや巧妙なサスペンションと並んで、この名機と言われるエンジンに負うところも大きかったことがあらためてわかりました。

見ているだけで楽しくなる表現やセンス。今はこういう温かみのある、人を笑わせるような味わいがすっかり失われました。