オリンピック

パリ五輪の開会式では、開始間もないシーンで聖火を手にしたジダンが街中を駆け抜けて行く中に、2CVや複数のDSが出てきて「オオ!」っとなりました。

万一に備えて録画していたので、あらためて見てみると1960年代のパリの風景を表現したのか、ほかにもルノー4やパナールまで出てきて、ほんのわずかのシーンをチェックするのに忙しいことといったらありません。

驚いたことには、その中になんと初代のダルマセリカやクジラクラウンが紛れ込んでおり、これには我が目を疑いました。
何か意図するところがあったのか、ただ単に古い車をエキストラとしてかき集めただけなのかわかりませんが、このシーン、当日の悪天候に比べるとお天気は快晴、どう考えても事前に収録されたものでしょうね。

実際はすでに曇天で、ほどなく無情にも雨粒が落ちはじめ、さらに時間が経つほどにそれは激しいものとなって、その中でダンスを始め必死にパフォーマンスに打ち込む大勢の人が気の毒なほど。
選手たちの乗る船もときに大きく上下に揺れるのがあったりで、きっとDSの乗り心地どころではなかったでしょう。

そんな激しい雨が打ちつける中、フランス人ピアニストのアレクサンドル・カントロフが、ずぶ濡れのピアノで自身もずぶ濡れになりながら弾いていたのは、皮肉にもラヴェル作曲の『水の戯れ』で、なんとも奇妙な光景でした。

一部の演出にはいろいろと批判もあるようですが、随所に散りばめられたそのセンスはやはりさすがでした。

お茶会その他

7月もつつがなくお茶会を終えることができました。
今回は、偶然にも食事からデザートにいたるまで、4人が4人、まったく同じ注文内容だったので会計作業は楽でしたが、すでに顔なじみと思しきベテラン店員の女性から「わ、仲いいですねぇ! めっちゃ仲いいじゃないですか〜!!」と何度も言われてしまいました。

言葉通りに受け取って良いものか、毎月土曜に長居して閉店間際に帰っていくオッサン達への当てこすりなのか、その真意は判然としませんが、まあ悪印象を持たれて火花が散るよりマシかと思いました。

退店後はTさんのリクエストにより、DS5に試乗させていただくことに。
昔は数台集まれば、安易に試乗会のようなことをバンバンやっていましたが、時代も変わり、現在は他人のクルマのハンドルを握ることは、よほどの合意がない限り慎むというのが相互のマナーとして自然に機能しはじめた観があります。
万が一にも粗相が起これば責任問題は出るし、人間関係にも支障が出かねないことを考えれば賢明だと思われ、今回もオーナーの運転で同乗に与ったのみでした。

この日、写真にあるように4台中ハイドロは一台で、関東陣のあっぱれな気骨に比べると、軟弱な風がそよそよと吹いているようです。尤も、白いカクタスのKさんはC6オーナーでもありますが…。


余談ですが、過日TVを見ていたら、あっと驚く映像が出たので思わずスマホのシャッターを押しました。

1973年9月、パリを訪れた田中角栄がDSから降車するショット。
このあと、時の大統領であるポンピデゥーとの会談で、モナリザの日本への貸出が決まったとか。

大きめのテールランプの形状からして最後期型、おそらくは23IEパラスではないかと思われますが、当時はまだDSが生産されている時代だったことを思うと、今昔の感に堪えません。
それにしても場所はパリ、政府差し向けの最もフォーマルな使い方をされるDSに乗る賓客が、よりにもよって田中角栄というのは、まるで変な食べ合わせをしたようでした。

壮烈な夕焼け

日曜19:30ごろのこと、とあるホームセンターから外に出ると、西から猛烈な光が射していて、これまで見たこともないような激しい日没でした。

他の人達も口々に「えー、何あれ?」といいながら、何人もが立ちすくんでしまい、きれいというよりなにか凶事の兆しのようで、あわてて写真を撮りました。
トリミング以外、もちろん一切加工はしていません。

シトロエンとは関係ないことですみません。

6月お茶会から

お茶会の写真をいただきましたので、いちおうご紹介。
SさんのDS5が初お目見えと思ったら、Hさんは三菱のiで登場の由。

この車はヨーロッパではシトロエンC-Zero(およびプジョーiOn)として2009年〜2020年まで発売されていたとのことで、ほかならぬHさんのことだから、当然そういうこだわりも含んでのことかと推察しているところです。

DS5

14年間という長きにわたって初期型C5-3Lを愛用してこられたSさんですが、A/Tの故障で一度はO/Hされたものの不調が再発、ついに修理を断念され、なんとDS5へと乗り換えられました。

ちなみに、引退となったC5は2004年型、走行約16万キロとのことで、入退院も多かったけれど寛大なオーナーに愛されて、大往生であったと云えそうです。
(一時期はご夫妻で同型C5の2台体制という時期までありました)

名義変更に同行したので、Sさんのご了解を得て、写真を交えながら私からお伝えすることになりました。

DS5は2015年型、走行わずか6500km(!)という驚きの個体で、DS生誕60年を記念して発売された限定車とのこと。
専用のデカールやシリアルナンバー、エンブレム/ホイールのセンターキャップは金色となり、ボデイはブルーアンクル(フランス語で青いインクの意)という、往年のDSに使われた色が再現されているそうです。

そのコンディションはとても中古車とは思えないもので、室内のボタン類には新車時のビニールの保護シールが付いたままであったりと、よくぞこんなクルマがあったものです。

DSブランドが立ち上がって以降のモデルゆえ、初期型のFグリルにあったダブルシェブロンは廃され、DSブランドとしてフェイスリフトされていますが、すっきりと迷いのない顔立ちになっていてます。
陸事に到着後、他県ナンバーを外して名義変更のスタートですが、クルマとしてはナンバーのない状態というのも悪くないと個人的に思います。

手続きは滞りなく進み、ついに新しい福岡ナンバーを与えられて封印が終わると完了です。
やはりこれをもって車は真の意味で所有者のものとなり、さらに土地にも根付いた感じが一気に強まってくるものですね。

思わず「どこのスポーツカーだろう?」かと言いたくなるような、スタイリッシュな運転席まわり。
各スイッチのデザインや配置、形状などが、隅々までこれでもかとデザインされており、このころからシトロエンが新たな挑戦にも打って出ていたらしいという印象。
レザーシートの編み方、ステッチの色、外観では特徴的なサーベルラインはもちろんアートな雰囲気なホイールの意匠まで、内外のありとあらゆるところがこだわり抜かれているのは呆れるばかり。

どうですか?このサイドビュー。
薄い屋根、短いリアのオーバーハングなど、シトロエンの造形言語が踏襲されていながら、新しい試みもふんだんに取り入れられて、それらが見事に調和しています。
飛行機のような三角窓、リアドア後端でキックアップするあたりはXMを髣髴とさせるものがあり、個人的にはXMのあの先はもうないと思っていたデザインですが、こういう姿へさらに変換されたんだという発見と解釈にも繋がりました。

DSを起点として、贅沢な2ドアクーペのSM、それを基に4ドア化したXM、そしてしばらく置いて突然現れたDS5、その名が暗示していたのか、これらはDSからひとつの造形の系譜として繋がっていることにようやく気いた…といえば、多少こじつけのように聞こえるかもしれませんが、そんなこじつけめいた話が作れるところもシトロエンの世界で遊ぶ楽しみの一つのような気がします。

※C5との付き合いは、一台目から通算すると19年!だそうです。