エンジン、ブレーキ系整備(整備士が驚いた内容とは)

ご無沙汰しております。東京のマンザキです。2024年も宜しくお願い致します。

C3iiiのエンジン、ブレーキ系の整備を行いました。

シトロエンC3iii  2019年式  puretech1.2 turbo 169500km

2024.1.27

整備内容は

前後ブレーキローター交換

前後ブレーキパッド交換

前ブレーキキャリパーOH

後ブレーキキャリパーアッセンブリー交換

ブレーキフルード交換

に加えて

イグニッションコイル交換

スパークプラグ交換

です。

今回は全て純正品で揃えました。

というのもパッド等は社外の低ダストを考えました。ですが周りで使っていた方のパッドが剥がれ落ちたり、何よりここぞという時に制動力が効かなかったりということもあり、「衝突まであと1mmで止まれていたら」と後悔しないためでもあります。命に変えたらホイール汚れた方がいいです。

C3iiiには非搭載ですが、C4ピカソから搭載された追従式クルーズコントロール。社外ブレーキパッドに交換すると、追従時に前の車が減速した際にコンピューターは「純正パッド装着時の制動で制御」されるため前の車が減速時に車間が狭まり、最終的には緊急ブレーキが作動するため交換する際にはそのあたりも考えながらの方が良いと思います。

交換作業を行なっていきますが、ちなみにこの工場は自宅から約500キロ離れた所にあります。

旅行ついでに整備という感じですね。

リアのキャリパーを外している間に自分はホイールを清掃します。普段から洗車していることもあり汚れは少なかったです。

洗浄後、リアのキャリパーとローターを外した整備工場の人が大変驚いていました。

自分も驚きました。なんとブレーキパッド全く減ってませんでした。約8mm残っています。

2022年2月にディーラーでの点検を行なった際(85000km)にリヤブレーキパッド残量約8mmとの記載がありました。となるとリヤのブレーキはほぼ使われていないということになります。

となるとフロントだけかなり減っているのではないかと推測されます。

整備工場の方も

「点検時にパッド交換してるんじゃない?」

と疑問を持っていましたが、もちろん交換した履歴や形跡もありません。点検パック等にブレーキローター、パッド交換は含まれていません。

リア左右のブレーキパッド。方減り等はありませんでしたが、左リアのハブベアリングにガタがきていたようです。

次はフロントに移ります。

フロントのブレーキパッドですが、これも約8mm残っています。2022年の点検時約10mmだったので17万キロ走行で約2mmしか減っていませんでした。

C3にはEペダル等はもちろんありません。

もちろんハンドブレーキで止まったりもしていません。

フロントローターを見てみると、しっかり減っているように見えます。

普通は

パッド2回→ローター1回の交換サイクルが

自分のパターンだと

パッド1回→ローター2回の交換サイクルになりそうです。

パッドが減っていないのになぜローターが消耗しているのかが不思議でならず、SNSで詳しい方に聞いてみると心当たりがあることに気付きました。

「踏力少なく長い時間で制動掛けるとパッドよりローターが減るようです。特にヨーロッパ車はローターが軟らかいため」とのことでした。

確かに他の人よりもブレーキを弱く長く使う傾向にあるなと感じました。

リアのキャリパーはシール類だけの設定がないので全交換になりますが、フロントキャリパーはシール類の設定があるのでOHできます。しっかりと磨いていきます。

大変綺麗になりました。

シール類を取り付けていきます。

ブレーキ系の作業は終了致しました。

やはり今回残量は残っていたものの、所々錆びていたり、何より次回への参考になればと思い交換することによって安心を得ることができました。

やはり長くても10万キロごとに見てもらうことが重要だと思いました。

2024.1.8

料金所からの加速時にエンジンチェックランプ点灯(赤・点滅)

加速できず出口付近で停車。ファン全開。

1気筒死んだような振動。

エンジン停止から20分後再始動。

エンジンチェックランプ(オレンジ色)

その後は特に異常なく帰宅。(100キロ巡航、約4時間)

洗車機に入れている途中にエンジンチェックランプ消灯。(理由不明)

とのことでOBDに接続しエラー履歴を検索すると

「ミスファイア検知、イグニッションコイル異常」とのことでした。

イグニッションコイルとスパークプラグは同時交換です。プラグはまだ使えるのでスペアに回します。

交換後200km走行、翌日も200km走行テストして東京に帰りました。

イグニッションコイルも本来は10万キロ交換です。やはりある程度の予防整備は大切だと感じました。

次の整備はおそらく例のタイミングベルトになると思います。皆様ご存知の通りリコールされているものです。ですが大体の方は交換されず点検とコンピュータ書換えで終わるようですが、自分の場合は走行距離による劣化が考えられるため点検だけでは終わらないと思います。(要交渉)

関東お茶会

福岡では複数の参加者が発熱するなどしたため、中止となりました。
関東ではあいにくの雨模様だったようですが、無事に開催されたようで、写真を送っていただきましたのでご紹介します。

ducaさんお貸し出しによるスフェア圧力想定器とのこと

地震お見舞い御礼

CCQの皆様には、2024年1月1日に当地を襲った令和6年能登半島地震に際して ご厚情あふれる励ましのメールをいただき、心よりお礼申し上げます。
ご心配をされているとおり、今回の地震では新潟県も震度5強から震度6弱の激しい揺れにみまわれ、我が家でも立っていられないくらいの激しい揺れを感じました。
我が家は、幸い家の者に怪我はありませんでしが、家の中はテレビが倒れ、棚上の物が床に散乱している状態でした。 一旦外に避難し、余震も心配なくなったので家に戻ってきましたが、無残なその様子に愕然とさせられています。皆が無事であったただけでも良しとしとようと思うばかりです。
皆様どうかご心配なさらないでください。
このような状況でしたので、ご報告とお見舞いのお礼が遅くなりました。 どうかお許しください。
略儀ながらメール・Web書中をもちましてお礼まで申し上げます。

当地、柏崎も水道濾水のための断水・道路陥没や亀裂による通行止めなどの被害が発生しており、我が家も断水状態でしたが、今朝1月2日に復旧しました。ニュースを見ると新潟市も被害が大きかったらしく、懇意にしているシトロエン新潟さんも被害がなかったのか心配なところです。

我が家は原子力発電所の半径3km以内ですが、発電所は概ね無事だったようです
上越市の様子です。右側から海水が川を遡上しています
川を遡上した海水が車にかかっています
新潟市西区寺尾の郵便局駐車場では液状化現象で車が道路に水没しました
新潟県は古代は海面下だったのでまさに砂上の楼閣です。地震ですぐに地面が液状化します

引用:日テレNEWS、ANNnewsCH

2024年

あけましておめでとうございます。
昨年はたいへんお世話になりました。

この目まぐるしい変化の時代、いつまでシトロエンをこれまでのように楽しめるのか想像もつきませんが、皆様のお知恵を借りながら、一日でも長くシトロエンライフを続けていきたいものですね。

CCQは本年4月をもって32周年を迎えます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

◆昨年末には巨匠がお亡くなりになるという衝撃が走りましたが、最近では巨匠のことをご存じないかとも多くおいでのことと思い、[CCQ小史]→[コラム]に[巨匠の思い出]として掲載しましたので、毎度の駄文でお恥ずかしい限りですが、よろしければぜひ御覧ください。
巨匠の人となりをわずかでもお伝えできれば幸いです。

◆CXオーナーのHさんによれば、今年はCXデビュー50週年とのこと。ああ、そうか!と思いさっそくCGの棚へ。

左は1974年10号、シトロエンのニューモデルとしてポール・フレールによる5ページに及ぶCXの紹介記事。右は翌1975年に日本上陸したCXが表紙となった8月号で奥にはDS。ちなみにこの号ではデビュー間もないポルシェ930ターボや、シトロエンのハイドロニューマティックサスペンションを採用したスーパーメルセデスの450SEL6.9の海外インプレッション、はたまた初代ゴルフの長期テスト開始など注目すべき記事が並んでおり、まだ免許もないのにやたらときめいていたあの頃が思い起こされました。

Bleu français

初の「広島ハイドロ会」、師走ランチミーティング。

期せずしてフレンチブルーの揃い踏み也り❢

以前、町中でお見かけして C5 で追走し(笑)、知り合ったこの紺色の DS21 1970年式の N さんは元歯科医だそうで、長野ナンバーの訳は別荘のある軽井沢での登録だからだとか(凄)

ということで、クルマ仲間の C6 2.7L HDI の S さんと一緒に、宮島の鳥居や弥山が一望できるお屋敷訪問。

そして奇遇なことに、S さんが何台目かの Xan に乗っていた頃、N 歯科医院に通院していたそうで、期せずしての十数年ぶりの再会をお二人とも喜んでらっしゃいました。

紺・バルモラル・濃紺の「仏式青」揃い踏み

当時、シトロエン話に花が咲いて毎回診療が滞るもんだから、スタッフだった奥様から「早く治療開始してくださいね」と注意を受けてたという笑い話も(笑)

ハイドロニューマチック、初期と最終型

シトロエン談議に時間も忘れ話し込み、流石におなかが空いてきたので、DS21 に乗せてもらって、三人一緒に近くのスープパスタ屋さんへ。

車中動画→ https://youtu.be/rP_6tasDMbU 

ナビはバックカメラ連動、ダッシュボードには方向指示器戻し忘れ防止用にちっこいLEDが貼ってありました。

アウトニーズでのレンタカー体験以来久々の DS、それも初の後席体験は実に至福でした。(蕩けました呆)

絵になります❢

おいしゅうございました❢

DSワゴン、一度現車を見てみたいもの
巨艦と小舟(笑)
お約束のアングル(笑)
2.7L HDI は、さぞかしトルクフルなことでしょうねぇ

因みに、この奥のガレージには、ビンテージのベントレー・ロールスロイス・ベンツの揃い踏みで魂消ました。次回は、N さんもかつて乗っていたという、S さんのランチア・フルビアと友人 M さんのフラミニアとで伊ランチャ大会に、というお話になり散会。

N さん、S さん、ありがとうございました❢

それでは、皆さん良いお年を❢

#DS21 2.2L 1970 #XantiaSX 1.8L 16V 5MT #C6 2.7L HDI

巨匠逝く

2023年も残すところ二週間ほどになりましたが、悲しい連絡がありました。

CCQ設立にあたり、最大最強の協力者であった巨匠ことTさんが、16日お亡くなりになったそうです。
享年89歳。

近年はすっかりご無沙汰してしまい、たまにお電話するぐらいでしたが、昔と少しも変わらぬ話しぶりであっただけに驚きました。
一度お訪ねしようと思いながら、ついにそれを果たせぬままになってしまったことは、なにより心残りです。

巨匠のご助力なくしてはCCQ設立もおぼつかなかったと思いますし、ひとかたならぬお世話になりました。
この原稿を準備するにあたり、アルバムやらなにやら、思い出すことがとめどなく溢れて心に迫りました。
謹んでご冥福をお祈りします。

(写真上)隠すように2CVの絵入りトレーナーを着ておられ、リクエストに応えて上着を半脱ぎに。すべてにおいて熱い情熱と強いこだわり、さらにはユーモアの心をお持ちでした。
(中)巨匠の代名詞でもあった初期型のGSクラブ-1015ccは新車から49年間ワンオーナー。写真の感じで白っぽく見えますが、ボディカラーは淡いクリーム色。ほかにDS23、CX、2CVなどシトロエンだけでも正確には把握しきれないほどで、ここ数年は日常の足として現行のC3を愛用されていたようです。主を失ったシトロエン達はどうしているのか…。
(下)ミーティング先で渓流釣りを楽しまれる巨匠。ジャンルを超えて何でもサラリとこなしてしまう自然体の達人でした。

予期せぬオドロキ

Amazonプライムに『アルフォンス〜君の男〜』というパリが舞台のドラマがあります。
その内容をここに書くのは、ややシトロエンから逸脱するようで憚られるのですが、後で繋がるのでお許しください。

主人公のアルフォンスは既婚者で、うだつのあがらないセールスマン。
念願だった家を買い、長いローンを抱えた矢先に会社をクビになり、妻にも言えず路頭に迷いますが、めぼしい職歴も能力もない40代半ばの男には、思うような仕事もありません。

彼は、幼いころ母親が家を出て行ったため父親から育てられましたが、女たらしという以外なんの取り柄もない父親は「男娼」として生計を立て、それで息子を大学まで行かせたツワモノで、その顧客はもう若くはないセレブの女性達。

破天荒な生き方をしてきた父親は、苦境に立つ息子を自分の「仕事」へ引き入れ、身なりから姿勢、声の出し方、詩の暗誦まで指導して自分の顧客の元へ送り込みます。
はじめはしぶしぶだったものの、やがて親譲りの才能が花開き、気がつけば顧客から顧客へと忙しく飛び回るようになり、すっかり魅力的な男になっていくのが笑えます。

その顧客の一人が政府高官の女性で、シトロエンは政官御用達という一面もあるのかC5Xが登場!
ついには、アルフォンスがC5Xを運転してパリ市内を走り、急げと云われて飛ばしたら警察に捕まるシーンがあったりと、ドラマ自体も面白いのですが、こんなオマケがつくとは思いもしませんでした。

もうひとつ、『アナザー』という2016年のフランス映画で、こちらは難解で見通すだけで疲れましたが、ワル社長の車がなんとSMでびっくりしました。さりげなくルノー16やBMWの02が出てくるあたり、時代設定が1970年代のようでした。

SMの登場シーンは短く、全編を通じて出てくるのは古いアメ車のサンダーバードなのですが、その素晴らしいコンディションとうっとりするようなボディカラーの美しさだけでも見た甲斐がありました。

追記;ちょっと調べていたら、このドラマに出てくるアルフォンスの奥さん役はシャルロット・ゲンズブールで、彼女はその名のとおりセルジュ・ゲンズブール(20世紀後半にパリで活躍したアーティスト、とりわけスキャンダラスな歌で話題となった「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」の作者)の娘さんで、その母親はあのジェーン・バーキンでした。どうりで面立ちにどこかで見たような気がしたのですが、大いに納得でした。現在ジェーン・バーキンの名は歌手や女優としてというより、あの有名ブランドのハンドバッグの由来としてのほうが知られているのかもしれませんね。
ちなみにセルジュ・ゲンズブールは現在のウクライナ出身、ジェーン・バーキンはイギリス、もっと見渡せば画家のシャガールはロシア、作曲家のショパンはポーランド、さらには日本の藤田嗣治など、いずれも他国からパリに移り住んで根を張り世界的存在へと登りつめた大物で、こういう人達は数知れません。パリという街にはそんな特別な土壌や力があることを思うと、ここで生まれたシトロエンが大衆車にもかかわらず他車とは一線を画していることも、当然のような気もします。